友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中原中也と石川啄木

2020年02月11日 17時17分21秒 | Weblog

 日曜日の新聞に「中原中也賞決まる」という小さな記事を見つけて、詩人・中原中也を思い出した。あれは高校の国語の授業だった。中原中也の『汚れっちまった悲しみに』を読んだ時、何故かゾクッとした。詩の意味はよく分からなかったが、すっかり共感してしまった。

 「悲しい」だけでも辛いのに、「汚れっちまった」とさらに重なり、「生きていることは辛く」「罪深い」と勝手に思い込んだ。「小雪が降りかかり」「風も吹き」、どうしようもない。せっかくの「狐の革裘」も「小雪がかかってちぢこまる」。

 第3節は、「なにのぞむなくなにねがふなく」、「倦怠のうちに死を夢む」とある。高校生の時はただ絶望としか思わなかったが、75歳になった今は何だかもっと共鳴している。20代では、こんな風に人生を見ることはなかった。やることはいっぱいあったし、絶望などしている余裕はなかった。

 それが今は、明日は何をやろうということもない。夢中になる人もいない。「いたいたしくも怖気づき」「なすところもなく日は暮れる」と中原中也は結ぶが、怖気づくような何事も現れない。いったい自分の人生は何なのかと模索するのは若いからだ。

 中原中也は30歳で死んだ。26歳で死んだ石川啄木とよく似ている。ふたりとも弱い人間なのだろう。だからこそ、弱さを率直に歌に出来たと思う。酒を飲み、遊興し、ハチャメチャな生活をしてしまうのも、現実から逃れたかったのだろう。

 高校生の時は、ふたりの「悲しみ」に心惹かれていた。憧れることはなく、共感して満足していただけで、人生が辛いとまでは知らなかった。今となっては「倦怠のうちに死を望む」ばかりだ。

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