明日は立春、今晩は豆まき。「今日、給食で豆出たよ」と放課後子ども教室の子が教えてくれた。「どうして、福は内、鬼は外と言うんだろうね」と聞いてみると、「そんなのいいじゃん。恵方巻が食べれるんだから」と切り返されてしまった。
長い間来ていなかった女の子に、「久しぶりだね。元気だった?」と声をかけるが、「キモイ。あっちに行って」と嫌がられてしまう。算数のドリルの問題をのぞき込むと、「見ないで」と叱られる。仮分数は帯分数に直さなくてもよいのかと思ったのだが。
分数の足し算と引き算は、学校ではどんなやり方を教えているのだろう。学校で習ったやり方でないと、子どもたちから「ヘンなの」と言われてしまう。そんな子どもとのやり取りは結構面白い。9月からの週1日では、まだまだ子どもと仲良しにはなれないが、それでも話しかけてくれる子もいる。
どんな家庭環境なのか、ひとりっ子なのか末っ子なのか、何が好きなのか、いろいろ思い巡らしながら話を聞いている。学校とは違って、子どもを預かっているだけなので、子どものことは全く知らないから、子どもが話してくれる範囲で推測する他ない。
「どうして宿題なんかあるんだ」と不貞腐れ、みんなと一緒に勉強しようとしない子が、ゲームではみんなと夢中になっていた。「うまく出来たね」と声をかけたくなるが、出しゃばってはいけないので見守っていた。どこかで心の扉を開く時があるのだろうが、その役割は自分ではない。
子どもたちは素直だが、子どもたちは残酷だ。子どもたちは何かを抱え込み、イライラしている。満たされなくて、ギンギンの目をしている。大声をあげるが、泣き叫ぶ訳ではない。どうしてこんなに気忙しいのだろう。子どもの環境は大人の責任である。大人がもう少し、ゆっくり出来たらよいのかも知れない。