「じゃー、ボクがニッポンのお父さんになってあげる」。そう言って、みんなで結婚パーティを開くことにした。あの頃はこの街にもたくさんのトルコ人がいて、私はその人たちに日本語と日本の風習を教えていた。その中に真面目でいかにもガンバリ屋の男性がいて、日本人の女性と「結婚する」と言うので、私が彼の父親役を引き受け、花嫁の両親、国際交流の仲間、彼の友人・知人が集まって結婚パーティを行なった。
父親となった以上、どうしているかと気にかかり、毎年年賀状をやり取りしてきた。花嫁は結婚式の時に始めて会ったけれど、会の進行に気をとられ、話すことも無いままだった。外国の人との結婚を決意するくらいの女性だから、しっかりした印象だったけれど、困ることもあるだろうと思い、「何かある時はいつでも言って来て」と話したが、それも社交辞令の言い方だったような気がする。
送られてくる年賀状には子どもたちの写真があり、年毎に大きくなっていくのが嬉しかった。今年の年賀状が届いてしばらくした後、1通の手紙が届いた。彼の花嫁で3人の母となった彼女からだった。「早いもので、結婚パーティを催して頂いてから10年になります。その間、年賀状のみでご挨拶にも伺えず、大変失礼致しました。この10年、3人の子宝にも恵まれましたが、育児と夫のサポートは想像以上に厳しいものがありました。夫もまた、異国で独立し、家族を養うことがどれほど大変か感じながらも、立ち止まる暇もなく、目の前の仕事をただこなしてきたという状況です。コミュニケーションがとれず、お互いに何を考えているかわからず‥『幸せにやっています』と胸を張って会いに行くことができなかったことをお詫びいたします」。
そして、「私たちの始まりを祝福して下さり、見守って下さった皆さんとのご縁を深く感じ、そして、この10年という節目に、年賀状では書ききれない思いをお伝えしたく、ペンをとりました。おかげ様で今は3人育児に奮闘しながらも、夫婦二人三脚で頑張っています。まだまだ若輩者ですので、これからもどうぞよろしくご指導下さい。追伸 今年は家族そろって皆さんとお会いできたらいいなと思います。ご多忙かと思いますが、みなさんにもよろしくお伝え下さい」。
人のつながりとはありがたいものだ。ぜひ、我が家へも招待しよう。