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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「今日の書展」

2015年01月11日 16時20分49秒 | Weblog

 午前中、県美術館で開かれている『今日の書展』へ大和塾の仲間と行ってきた。日展の「書」を見てもそれほどの興味は涌かなかったのに、玄々書作院の久保田関山さんに大和塾の季刊誌『風』の題字を書いてもらったことが縁で、書展を見る機会が増えた。幸いなことに、久保田さん自身から「書」を解説してもらうこともあって、なるほどと思うことが多い。

 「書」というと、白い紙に黒い墨で文字を書いただけのもので、極めて単純なものなのに、その形や色合いそして空間が「美」を作り出す。楷書体で一文字一文字を丁寧に美しく書き上げたものもあれば、何が書いてあるのか分からない前衛精神の作品もある。文字の印象を筆の勢いと墨の濃淡だけで表現する意欲的なものもある。

 「どんなに異様なものでも、基本を積み重ねた上での発想です」と久保田さんは言い、おもむろにサイフから3枚の雁皮紙を取り出した。そこには楷書で漢字がきれいに書いてあった。「毎日こうして楷書で繰り返し書いています」と言う。文字の意味、成り立ちや書く順序など、基本的なことが分かっていないと「書」は書けないようだ。

 小学校の4年の時、書き順にうるさい先生がいて私は注意を受けたが、なぜ書き順が大切なのかまで考えられない馬鹿な私は、「出来上がりがきれいなら書き順なんか関係ない」とばかりに先生の注意を聞き入れなかった。おかげで、「えっ、そんな書き方をするの!」と馬鹿にされたこともあって、ますます書道をすることが出来なくなった。

 自由に書いているような作品でも、「基本がしっかりしていないと書けませんね」と久保田さんに言われて恥ずかしかった。「書を見れば、どんな書き順で書いたのか直ぐに分かってしまいますよ」と、その見分け方を教えてもらい、皆さん「なるほど」と納得する。文字の美しさ、その流れを眺めながら、「書にもう一度挑戦してみようかな」と意欲に燃える人もいたが、やっぱり私は自信がない。

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