成人式で歌う首長さんがいるが、式典でのエライ人の話はたいてい面白くない。首長や校長が話し下手というよりも、日本人は全般に話すのが下手である。ノーベル賞の授賞式でのスピーチでも、3人の日本人受賞者よりも17歳のマララさんの方が大いに説得力があった。今やすっかり影を潜めてしまったが、大統領選挙の時のオバマさんの演説は英語の苦手な私でも迫力を感じた。
どうして日本人はスピーチに弱いのだろう。経験不足が一番の原因だと思う。というのも、私の市の首長がいろんな場で挨拶をするけれど、当選した当初はそれほど上手いとは思わなかった。それが20年間も首長の座にいると挨拶の機会は非常に多い。どんどん話し上手になってきた。素質もあるが場を踏むことが育てるようだ。議員になった友だちもやはり上手くなってきているから、自信を持って話すことが大事なのだろう。
日本では昔から、「読み、書き、そろばん」が学びの基本だった。まず、お上が書いたものが読めることで、自分で書くことは二の次でよかった。そろばんも多少の計算が出来ればそれでよかった。それでも世界中で、これほど多くの人が「読み、書き、そろばん」の出来る国はなかっただろう。そんな基礎があったから、明治政府は「地域に不学の家がないこと、家に不学の人がいないこと」をめざした。
ところが、話すことに力を置かなかった。戦後の教育でも話すことは後回しだった。最近になって、朝のスピーチとかグループディスカッションとかが学校で行なわれるが、まだまだ話し上手を育てるには至っていない。学校では文章を書くことの指導はあるが話し方の授業はなく、文章が上手な人でも話し上手にはならない。文章が魅力的だったのに、話を聞いたら全く分からなかったケースはよくある。
私はどちらかと言えば文章に頼ってしまう方で、高校でも大学でも演説をしたことがあるけれど、文章通りでは迫力に欠けるし、箇条書きにして話すとまとまりを失うことばかりだった。やっぱり聞き上手に徹した方が我が身に合っているのだが、話を聞く相手が少なくなってきた。