友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

巡り合わせ

2008年04月10日 22時09分40秒 | Weblog
 昨日、北の部屋でサナギが1匹が羽化した。しかし、夕方になって気温が急激に下がったためか、ジーっとしていて全く動く気配がなかった。やがて明日になれば暖かくなり、飛び立っていくだろう、それまではこの部屋でジーっとしていればいい。そう思ってカーテンを閉め、そばに蜂蜜を溶かした水を置いた。

 このサナギは屋外の植木に張り付いていたものだが、雨風のためなのか、植木鉢に落ちていた。雨や雪にさらされたから命はないのかもしれないが、もし生命力があるのなら羽化できるかもと思い、菓子箱にベッド代わりにティッシュをおいて、見守ってきた。それでも同じような運命のサナギが随分前に羽化して飛び立っていったから、やはりこのサナギはダメかなと半分は思っていた。

 この北の部屋でサナギになったものは2匹いて、そのうちの1匹は早々と空へ舞い上がっていったが、部屋の北の壁にくっついたサナギはまだそのままでいる。こちらが羽化するまで待とうと思ったのだ。それに南側のベランダの天井でさなぎになったものもいるが、こちらは温室のように暖かいはずなのに、未だに天井にへばりついている。

 さて、昨日に羽化したアゲハチョウは今日になって、よく動くようになっていたから、窓を開けておいた。しばらくして見に行くと部屋にはいない。とうとう飛び立ったか、そう思って庭を見ると、チュリーップの鉢のそばで羽を広げたままジッとしている。雨は大降りではないが、それでもこのままでは飛び立てないだろう。私が手を差し出しても飛び立たない。逆に指先から這い上がってきた。手のひらで包み込むようにして、南のベランダの、雨の当たらない場所に放してやる。このまま、明日、太陽が上がり、体が温まるまで動かないだろう。

 今朝いつもの喫茶店で、NPO準備の会議をしていた時、76歳の最長老が「私、膝が痛くて歩けなくなってね」と話し始めた。「医者に診断してもらうと、『これは手術できないからもう少し様子を見る』と言う。このまま車椅子かと思ったが、念のためにと思って、知り合いの医者にその話をしたら、『ここに行って診てもらったらどうか』と言う。そこで、紹介してくれた医者に診てもらったら、「手術で直る」と言われた。どちらにしても同じことならと手術してもらったが、こうして歩けるようになった。痛みもない」と話す。

 アゲハチョウから医者の話への飛躍で恐縮だが、人には巡り合わせというものがある。巡り合わせで助けられる人もいるが、巡り合わせに気付かない人だっているだろう。人との出会いに何かを感じたなら、一切を賭けるくらいでないと、巡り合わせを幸せの側に引き込めないのかもしれない。
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