友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

まだまだ勉強しなくてはいけないのか

2024年09月07日 17時37分13秒 | Weblog

 日差しは強いが、吹いて来る風は爽やかに感じる。台風10号の影響でこの地方も雨降りが続いたが、雨が上がった夜から、リンリンリーと虫の声が聞こえて来た。「暑さ寒さも彼岸まで」と言うから、この暑さも後もう少しの辛抱だ。

 私の右の肘の内側は相変わらず赤く痒みがある。朝起きると、パジャマの胸の辺りがびっしょりと濡れている。気候の変化とともに、体調はよくなっていくものと期待しているが、まだまだ先のようだ。

 今朝の中日新聞に、三重県菰野高校の野球部の監督が処分された記事が載っていた。練習試合でミスをした部員に昼食を取らせなかったり、胸ぐらをつかんで叱りつけたりしたとある。「バカか」「へたくそ」「殴らせろ」などと怒鳴りつけたりしているが、「体罰という認識はなく、指導の範囲だと思っていた」とあった。

 運動部の顧問にありがちなことだが、殴ったり、バカかと声を上げて、生徒が本当に上手くなると思っているところが恐ろしい。教師自身もそうやって鍛えられてきたのだろうが、もっと上手に指導することを考えることが教師の務めである。

 兵庫県知事の百条委員会での答弁をテレビで見て、この人も野球部顧問と同じだなと思った。「きつい言葉であったかも知れない」と認めつつも、県政全体のためであり、あくまでも「指導」だったと主張していた。

 知事は「指導」だったかも知れないが、「指導」を受けた職員がどんな気持ちだったのかを配慮していない。そこには「俺は知事だ」「俺はおまえらの顧問だぞ」という、優位性が働いている。本当に県政や部員たちのことを考えるなら、権力を駆使せずに、一緒に考える人でなければならないだろう。

 夫婦はどうだろう。オレがワタシがと我を張れば、行先は見えている。我慢であり、譲歩であり、相手を思いやることだ。そう分かっていても、実際は難しい。「人生は死ぬまで勉強である」と誰かが言っていたけど、まだまだ勉強しなくてはいけないのかと思うと、行先は暗い。

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