友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

根尾の薄墨桜

2008年04月09日 22時21分04秒 | Weblog
 根尾の薄墨桜を見るのは「今日しかない」と言うので、朝8時に家を出て根尾に向かう。車はナビ付だからそのとおりに行けばよいものを、「インターネットで調べたら名神高速の羽島インターで降りると出ている」と言うので、それに従ったところ、朝の渋滞に巻き込まれてさっぱり進まない。やっと揖斐川を渡り大垣に入ると、ナビは今度は右に曲がれと指示する。やっと通り抜けてきたのに、再び揖斐川を渡れというのでは元に戻ることになってしまう。

 ナビは大垣インターで降りるように指示していたから、結局そのルートに戻されたのだろう。初めから大垣インターまで行っていれば時間はもう少し短縮できたのかもしれない。地図が頭になければ、ジグザグに走っているとは思わないだろうが、なまじっかこの辺りを走ったことがあったので気が付いただけに過ぎない。それでもまあ、2時間余りで根尾に到着できた。まだ、駐車場には余裕があった。坂道を上がると広場があり、そこに薄墨桜はデーンとあった。

 地元の人の話ではまだ、散り際ではないそうだ。薄墨桜は初めの頃はピンクが強く、満開の頃に桜色となり、散り際には淡い墨を引いたような色になると言う。幹周りは約10メートルもあり、確かに巨木だ。その割に樹高がないのは台風や大雪で枝が折れてしまったからそうだ。この薄墨桜は2度の大手術を受けて、今日のように蘇った。昭和24年に前田利行さんという人が、活力の残っている根に山桜の若い根を接ぐ「根接ぎ」という手術を行い、生き返らせた。根接ぎは238本も行なわれたと言う。

 ところが昭和34年の伊勢湾台風で、薄墨桜は太い幹が折れ、小枝もほとんどもぎ取られ、無残な姿となってしまった。昭和42年、作家の宇野千代さんは根尾を訪ね、侘しく立っているこの老桜の痛々しさに心打たれた。何とか生き返させたいと各方面に呼びかけ、翌年には土壌改良やカビ取りなどを行い、以来8回もの手術を施しているそうだ。薄墨桜にとって、前田利行さんと宇野千代さんは命の恩人なのだと知った。

 宇野千代さんといえば、藤村亮一、藤村忠、尾崎士郎、東郷青児、北原武夫の順で生活をともにした、華麗な人生を謳歌した女流作家である。「私は、桜が大好き」と彼女は書いているけれど、正しく「桜」のような人生を送った人だ。たくさんの人々に「キレイ!」と言われ、デーンと構える薄墨桜を眺めていて、恋をするたびに大きく成長していった宇野千代さんとダブルようで、きっと素直に懸命に生きてきたんだろうなと思った。

 帰路には対向車線は大渋滞で、およそ5キロは続いていた。この人たちはライト照明に浮ぶ夜桜を見るのだろうか。この薄墨街道は桜が満開で、小学校の校庭は桜で埋もれてしまうほどだった。
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