友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

コマキストとサユリスト

2013年12月17日 18時39分30秒 | Weblog

 私たちの世代では、コマキストとかサユリストとか言っていた。コマキストとは女優の栗原小巻さんファンのこと、サユリストは女優の吉永小百合ファンである。共産主義者はコミュニスト、暴力主義者はテロリスト、そうした言い方を真似たものだろう。栗原小巻さんは目鼻立ちが整った顔でツーンとした感じだった。吉永小百合さんは田舎のお嬢さんといった感じで、美人とは思えなかった。私は栗原さんにも吉永さんにも、興味なかった。

 私は早生だったのか、日本の女優では嵯峨美智子さんに心惹かれた。忠臣蔵の映画に出ていて、吉良上野介の屋敷に入り込んで内偵する女中役で、見つかって折檻を受ける場面にドキドキしてしまった。着物の裾からわずかに出ている足首に、ろうそくの油を落とされて自白を迫られるところだった。その足は白くて細くてとてもきれいで、とてもエロチックだった。多分、祖母に連れられて見た映画だから、小学生の時だと思う。

 中学生になった時、街に新しく洋画館が建った。フランス映画『素直な悪女』を観て、小悪魔ぶりが強烈だったブリジット・バルドーに魅せられた。肉体の美しさもあったかも知れないが、キラキラする大きな瞳が印象的だった。M・Mのマリリン・モンロー、C・Cのクラウディア・カルデナーレと並んで、B・Bとも呼ばれていた。3人を見比べたら、モンローは可愛すぎるし、カルデナーレは肉体派的で、私はバルドー支持者だった。

 先日、吉永小百合さんが出ていた映画『北のカナリア』を観た。北海道の北端の分校の先生だった吉永さんが、村を終われるようにして去った。残された6人の子どもの中で一番泣き虫だった男の子が、東京で殺人事件を起こしてしまう。吉永さんは子どもたちに会いに行く。そこから、6人の子どもたちの今に至るまでがそれぞれに語られる。そしてまた、吉永さんがなぜ村を追われたのか、真相に迫っていく。映画の原作者が湊かなえさんと知って、なるほどと思った。

 湊かなえさんの『告白』を孫娘が高校生の時に読んでいて、私も一緒に読んだが、次々と事実が明らかになっていく筋書きはそっくりだ。「もっと早くそうしていたら(事実を明らかにしていたら?)、苦しまなくてもすんでいたのに」とか、「つらくても生きていて、いいんだよね」とか、「生きるって、つらい」、そんな言葉に、確かにそうだと思う。誰にでも苦しいことはある。それが人生さ、そう思う。吉永さんはかなりポッチャリしていた。

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