友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

友だちがまた逝った

2019年02月11日 17時48分59秒 | Weblog

  高校の新聞部の仲間が亡くなった。昨夜、ケイタイから電話があったが、鳴った途端に切れてしまった。カミさんは、「こちらからかけてはダメ」と言うが、なんとなく知らせるものがあったのか、かかってきた番号にかけ直した。声が沈んでいた。「主人が今日、亡くなりました」と言う。昨年の新聞部の集まり時のこと、「あんなに嬉しそうな主人の顔を見たことがなかったので」と話す。

 思い出したら私は泣けて声にならなかった。昨年の開催は私の企画だった。彼は脳卒中の影響で半身不随の上、言葉も話せない。会社の合併問題の時、労組の責任者だったからかなり苦労したのだろう。労組のトップになるような男ではないと思っていたが、責任感が強くその無理からか、突然倒れてしまった。不自由な身体でも、新聞部の集まりには参加してくれていたが、カミさんの介護が必要だった。

 彼とは高1の時に同じクラスだった。私は入学してすぐ新聞部に入ったが、1年生は他に男が2人と女が2人しかいなかった。しかも男のひとりはカメラしかしないと言う。女のふたりも新聞作りが好きという雰囲気ではなかった。2年生の先輩が「これからは君らがやれ」と言う。どうしても書き手が要る。私のクラスに声はでっかいが身体は小さい、けれどなかなか論客な男がいた。その前の席にニヒルな匂いがする男がいた。

 2人に声をかけると、ふたりとも入部してくれた。声のでっかい男とは考え方が似ていたし、鼻筋の通ったニヒル感のある男とは、どこか分からないが共通するものがあった。彼が好きになった女を私も好きだったから、譲ることが友情の証だった。彼は東京で大学生活を送り、私が上京した時は彼のアパートに泊めててもらった。新聞部の男の中では極めて現実的な考え方で、学校批判のような文章は書かず、映画評とかの軽いものを担当した。

 体育大会の当日、彼は「身体の具合が悪いから、代わりに走ってくれ」と言う。「いいよ」と引き受けたが種目は400メートル走で、200を過ぎたら足が上がらなかった。彼を見ると、別に具合が悪い様子はなかったから、優しいダンディに騙されたと知り、笑ってしまった。ニヤリと彼も笑った。

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