友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『60歳の集い』から14年

2019年02月24日 17時55分45秒 | Weblog

 社会福祉協議会の呼びかけで、『60歳の集い』が開かれたのは14年前だ。協議会の事務長はよく知る人で、参加を頼まれ断る理由はなかった。翌年に「第1回シクラメンの会」が開かれた。「シクラメン」などとロマンチックな名前をなぜ付けたのだろうと思ったが、何のことはない、『60歳の集い』の時、ステージに「シクラメンの鉢が並べられていたから」と言う。当時、流行していた布施明の歌の影響もあるかも知れない。

 初代の会長は次女の友だちのお父さんで、私もよく知る人だったので、結局、欠かさず参加してきた。ところがその人が亡くなり、幹事を選挙で選ぶことになり、第7回から会長を務めることになった。同年の者が集まる、そこに何か意義付けをする必要があると思っていたが、今はただ集まって、食べて飲んで歌って、3時間を楽しく過ごせればいい、幹事はそのお手伝いなのだと思えるようになった。

 昨夜も集合場所まで歩いてきた男性が、「息が切れる」と言うので、「どうしたの?}と聞くと、私と同じようにペースメーカーの移植手術を受けていることが分かった。「家を出るのも億劫だけど、年に1回のこの集まりだけはと思って」と言う。同じ心臓病でも私とは違うようで、「ちょっと無理すると心臓があぶく」と話す。「無理せずに。酒も控えめにした方がいい」と言うと、「酒はもともと飲めない」と答える。じゃー、何がよくて参加するのだろうかと思ったが、宴会中の彼を見ていると楽しそうだった。

 私と同じ第7回から幹事を引き受けている女性は、肺に欠陥があり酸素ボンベを持ち歩いて参加してくれている。私たちは8回も開催してきたので、「そろそろ交代してもいいよね。後釜を見つけておいて」と話すが、「いざとなると難しいわよ。喜寿の77歳か、長くても80歳まで続かないわよ」と言う。後、3回、あるいは6回まではやろうということなのか。私はこの人にという候補を見つけたが‥。

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