友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人生設計

2019年02月21日 18時18分07秒 | Weblog

  姉は痩せてきていた。歩くことが出来なくて、すっかり車イスの生活だが、身体を支え切れずに左に傾いていた。だから当然だが、腰や背中が痛むようで、姪っ子に「痛い、痛い」と訴えていた。認知は進んでいるはずだが、接していると前と変わらない気がしてくる。私を父と間違えるから、「お父さんが死んだ時よりも、20年も長生きしてしまった。家族の中では、姉さんが一番長生きだよ」と言うと、「そうかね」と納得できない顔をした。

 帰り際に姪っ子が、「食欲も無くなってきているから、あまり長くないかも知れない」と囁いた。よく世話をしてくれた。認知が始まって、いっそうわがままになった姉を、愚痴も言わずに面倒見てくれた。姪っ子の人脈で施設にも入れたし、月に1度だけれど私たちも見舞いに来られる。私が高1の時に母は亡くなった。そして妹が高3の時に材木屋は倒産し、一家離散となった。私も妹も姉には本当に世話になった。

 妹は「昔のことは何も覚えていない」と言う。妹にとっては、高校を卒業し姉と一緒に暮らした時からが、人生の始まりとなったのだろう。姪っ子は結婚して3人の男の子に恵まれた。3人はそれぞれの道に進んでいる。長男は凝り性で大手の会社で開発を担当し、仕事以外に興味はないようだ。次男は札幌に赴任し、恋人も出来たと聞いた。3男は演劇の世界で活躍している。姪っ子もそのダンナも、「子どもは自由に生きていけばいい」と言う。

 もちろんそれでいいと私も思う。けれど、何時かは結婚し、子どもをもうけ、家庭を持って欲しいと子どもたちに伝えることも親の役割だと思う。その時が来れば何とかなるかも知れないし、なんとかしていくだろう。親が健康で働けるうちはそれでいいが、長患いにでもなったら、会社を辞めなければならなくなる。先のことまで考えることは出来ないかも知れないが、でも、そろそろ人生設計に取り組んで欲しい年齢になっていると私は思う。

 

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