東京都内の公立図書館で、『アンネの日記』や関連する書籍のページが破られた。その数は300冊近いという。破った人は『アンネの日記』を読んだことがないのだろう。アンネに関連するものとなると、ユダヤ人を大量に虐殺したホロコーストか。アウシュビッツ収容所の存在を否定する人がいたが、そういう考えの人なのだろうか。それにしても、なぜ書籍を破ったりしたのだろう。言いたいことがあれば言えばいいのに、隠れてする行為の方が不気味さを与えると計算してなのだろうか。
人種差別というか、人に対する偏見はなぜ生まれたのだろう。友だちも自分が養子だったと知った時、朝鮮人ではないか、人ではないかと、心配になったと言った。人が人を差別するのはどこに原因があるのだろう。「朝鮮人は自分のことしか考えていない」、「自分たちだけが正しいと思い込んでいる」と、先輩たちはよく言う。逆に、韓国の人からすれば日本人を同様に思っているだろう。TPP交渉で、「どれだけ国益を守るかではなく、相手国にどれだけサービスできるかが鍵」と言う人がいたけれど、国と国の交渉はそんなところだろう。
オリンピック会場のソチで、反プーチン運動をしている女性音楽家グループが活動をしようとした時、警備の警察官は「大統領の恩を知れ」と、彼女たちをムチで叩いていた。馬や牛ではあるまい、ムチで叩く行為に驚いた。ムチはもうとっくにこの世からなくなったと思ったが、今もなお使われているのだ。人が人をムチ打つなど奴隷時代と同じではないか。華やかなオリンピックとは裏腹に、ロシアには言論の自由は存在しない。
韓国や中国でも、日本に対する抗議デモは汚い言葉ばかりだという。日本での反韓国、反中国のデモも同じで、「殺してしまえ」とシュプレヒコールをする。こうなれば、殺される前に殺すのが当然の帰結になってしまう。今日、中学からの友だちと喫茶店で、次ぎに誰のところへ行くかと地図を広げて相談していた時のことだ。私が地名を挙げて探していると、隣の席の若い女の子が「その町は隣りの市ですよ」と教えてくれた。傍から見ればおせっかいに聞こえるが、私は親切なお嬢さんだと思った。
知らぬ振りで過ごすよりも、おせっかいでも口を出す方が親切だ。彼女はきっと優しい人なのだろう。私は礼を言い、今、私たちが何をしているのかを話した。高校生かと思ったら、大学生だった。大学生の孫娘とダブって見えた。『アンネの日記』の事件について、彼女たちに感想を聞いてみればよかった。