先ほど、若い男性がやって来た。マンションを個別に回っているようだ。ドアを開けると、「私は今度の市会議員選挙に立候補しようと思っています」と言い、名詞を手渡された。「若いね」と言うと、「29歳です。小学校で先生をしていました」と答える。続いて、「今、生活保護を受けながらパチンコに使っています。これを規制したいと思っています」と主張を述べる。私は「それは違うと思う。まず、政治は弱い人の立場に立つべきです」と言う。
彼は「弱い立場というのは、障害者とか、お年寄りのことですか?」と聞くので、「ええ、もちろんそうですが、今、あなたが言われた生活保護を受けている人もそうです。自分のことは自分でできるような人は自分でやればいい。できない人のために手を差し出すことが政治です。まず、困っている人を助けることです。規制はいくらでもできますが、それを先にやってはダメです」と話すと、これ以上ここに居ても無駄だと分かったのか、「ご意見、ありがとうございました」と言って帰っていった。
この4月が選挙だから、新人にとっては今が勝負どころだろう。それにしても、東京都知事選挙で多くの若者が右翼的な田母神さんを支持したけれど、それは東京に限ったことではないようだ。「おれたちはこんなに働いているのに、生活保護を受けている連中はパチンコして遊んでいる。絶対に許さん」。そういう気持ちが強いだろう。パチンコをする生活保護者を弁護する気はない。むしろ、パチンコも競馬も競輪も競艇も宝くじも、働かずにお金が入るようなものは全て無くせばいい。株や投資も廃止していい。
みんながそこそこに働いて、みんながそこそこの生活ができる。そこそこに多少の差があるのは仕方ないだろう。生活保護を受けなくては生きていけないが現実社会なら、そのひずみをゼロに近づけることが政治だと思う。生活保護の家庭で育った子どもは、大人になってもやはり生活保護を受けると担当している友だちは言う。「ナマケモノでどうしょうもない」と見ている人は多いだろう。それなら、働くことの喜びや大切さが実感できる仕組みを作るべきだ。
子ども6人に1人が貧困状態にあると国は公表している。この子たちを救わなければ、貧困の連鎖を断ち切ることはできない。人は怠けるようにはできていない。働いて喜ばれて評価される、その充実感が与えられなければ遊んで暮らせる道を甘受する。そしていつの間にか、自分の存在はそんなものだとしか思わなくなる。政治を目指すなら、無償でこの子たちの勉強をみてあげたらいいのにと、彼に言いたかった。