友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

誰が考えても当たり前のこと

2009年01月31日 22時08分25秒 | Weblog
 定額給付金を含む第2次補正予算案が、衆議院で再可決された。これで直ちに給付となるかと言うとそうではない。関連法案が成立しなければならないし、仮に法律に基づいて衆議院での可決が有効となっても、地方議会がそれぞれの議会での予算審議を経てからの支給となるはずだから随分時間がかかる。もともとの提案者である公明党は「手間取ってくれれば、国民のイライラが増して、反対した野党への反発になる」と見ているようだ。

 先日の中日新聞のコラム『中日春秋』は、「(定額給付金は)もっと困っている人のために、社会全体のために使われるべき」と考えている人々が7割もいることにふれ、「それだけの人が、単純な利己を拒否し、利他を考えた」「社会の健全さが確かめられた気がする」と書いていた。誰が考えても当たり前だと思うことがなぜ進められないのだろう。

 お金が欲しいですかと聞かれて「いらない」と答える人はまずいない。お金が生活の基盤だからだ。それでも、一人ひとりに渡すよりももっと有効な使い方を考えて欲しいと言えるのだから、人間としてのレベルは高い。学校で「みんなのことを考えて行動しなさい」と教えられてきた成果だ。自分だけの損得ではなく、全体のことに気配りができるのは立派な社会人である。

 アフリカのソマリア沖に海上自衛隊の護衛艦を派遣するという。公明党は戦争に反対する「平和」の政党ではなかったのか。政府は日本の船舶を海賊から守るためだと言う。いかにも理屈が通っているように思うかもしれないが、自衛隊の護衛艦を派遣する理由にはならないと私は思う。船舶を海賊から守るのであれば、ソマリア沖の沿岸諸国の警備力の強化の方が将来的にも有効ではないのか。

 そもそも海賊が発生するのは、テロが生まれる構造と似ていないだろうか。お金で何でも買っていく国がある一方で、お金もなければ生産もできない貧しい国がある。上等な服を着て上等な靴を履いた人間が土足で国の富を持って行ってしまう。着る服も履く靴もなく住む家もない。この貧富の差を縮める努力が先進国には必要だろう。軍艦ではなく、農業支援や教育支援こそが大事なのではないのか。

 民主党の鳩山幹事長が国会での代表質問の際に「定額給付金は悪質な選挙買収だ」と批判したことに対して、自民・公明の両党は鳩山議員の懲罰動議を提案している。お金を支給することで喜んで自民・公明に投票するだろうなどと考えての政策だったことは明らかだが、本音をつつかれてはいやなのだろう。

 本音と言えば名古屋市の市長選の候補者選びは全くどうかしている。「やりたい」と言う人が自分の政策を市民に訴えればいいのではないか。民主党名古屋市議団は、市議の報酬を下げるという政策になぜ反対なのか、パフォーマンスだと言うだけでは批判になっていない。本音で議論できない政治家は政治家ではないのではないか。人間としてのレベルの高さはどのように結実するのだろう。
コメント
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