友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

公務員の賃金カット

2009年01月29日 18時47分16秒 | Weblog
 愛知県は職員の給与を一律4%カットするという。税収が大きく落ち込んできたので、仕方がないというのだ。どういう給与のあり方が一番よいのかわからないが、自治体も税収に合わせて支出を連動するという方法はいかがだろう。そんなことをしたなら不安定で、働けないと言われるかもしれない。けれども、民間企業ならば業績によって社員の給与が決まるのだから、働けないと言うのは眉唾だと思う。

 私が教員になった時は民間企業の方がはるかに賃金は高かった。証券会社に勤めていた友人のボーナスは私のボーナスの3倍くらいあったように思う。人事院勧告が出されて、後追いで公務員の賃金が上がっていった。ストライキでも賃金値上げが真っ先に掲げられていたが、労働者なのだから当たり前だと思っていた。労働組合の戦いは、自分たちの賃上げ闘争に力点が置かれていたから、賃金が上がれば闘争は目標を失った。

 日本の労働運動が衰退していったのは、社会はどのようにあるべきなのかを課題にしないで、自己の要求の実現ばかりに走ったからだと思う。組合でやってきたことは、要求を突きつけることと懇親でしかない。しかも組合が出世の窓口になっている場合もある。社会全体が見られない労働運動は当然消滅していく運命だった。先鋭といわれた国鉄動労も組合員の利益は守ったが、他の労働者と連帯することも市民と共闘することもなかった。

 ある自治体の市民の平均年収は350万円ほどだが、その自治体職員の平均年収は700万円あるそうだ。公務員はそこに住む人々に代わって仕事をしている。それなのにこの差は余りにもおかしくないだろうか。私は低い方に賃金を合わせろと言うつもりはない。公務員の賃金を上げることで、国民全体の賃金を底上げする働きが確かにあった。けれども今、公務員の賃金は突出してしまっている。

 私は、社長だから市長だからというので何千万円もの年収を得る必要はないように思っている。みんなが生活できる最低の保障額を決めればよいと思っている。国の総収入を国民に平等に分けてもよいのではないか。多少の差があった方がよいのなら、たとえば500万円を平均とするなら前後に10%くらい差を設けるくらいに止めたらどうだろうか。「収入にほとんど差がない状態になどしたら、人は誰も本気で働かない」と言われたことがある。本当にそうだろうか。

 人はお金を稼ぐことに生き甲斐を持っているかもしれないが、みんながそうだとは思えない。仕事に誇りとかやり甲斐を感じている人を私はたくさん知っている。むしろ人は社会的な評価や使命感の方が強いのではないだろうか。賃金が同じなら働かないというなら、そういう人はみんなで食べさせてあげてもいいのではないか。働く意欲がある人が社会をリードしていけば、うまく収まっていくのではないだろうか。夢物語なのかな。

 ところで、愛知県議会議員は自分たちの報酬は職員と同じようにカットするのだろうか。愛知県議会議員には報酬とは別に高額の政務調査費も支給されている。報酬のカットとともに政務調査費を廃止すればいいと思うが、どうするだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする