友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

東京で考えた

2009年01月10日 20時27分58秒 | Weblog
 東京は異質だ。快適すぎる。大きすぎる。余りにも東京以外の地域と違いすぎる。東京にいてそう思った。車がなくてもどこへでも行ける。どこにでもちょっと休める公園がある。何十メートルもある高層ビルがあちらこちらに建っている。緑も結構多い。地下はどうなっているのだろうと心配になるほど地下鉄が縦横無尽に走っている。地下鉄の駅を結ぶ地下通路は迷路のようだ。

 東京には学生の時6ヶ月ほどいたし、国会議員の秘書だった15ヶ月は東京駅から参議院会館までよく通った。それなのに、しばらく東京に出かけることがなかっただけで、すっかりわからなくなってしまった。地下鉄の駅通路を端から端まで往復しなければ、外に出られないほど忘れてしまっていた。東京駅はリニュアル工事がされていて、ただウロウロするばかりだった。

 「無党派・市民派自治体議員と市民のネットワーク」で最初の視察で訪問した国立市は、景観条例と住基ネットに接続していない自治体(ここの市以外では矢祭町)で名高い。国立駅前から南にサクラとイチョウの並木が続き、それは見事だ。ここを通る人なら誰もがこの景観を残したい、壊したくないと思うだろう。その歴史を聞いて驚いた。昭和のはじめに、西武鉄道が駅から南の広大な土地を買い、ここに東京商科大学(現在の一ツ橋大学)を誘致し、景観が素晴らしい大通りを中心と都市計画が作られたという。行政ではなく私企業が計画した大規模な街づくりだったのだ。

 2年前に市長になった関口博さんから直接、話を聞くことができた。「国立市は無党派・市民派の人が2人も当選できる風土がある」と関口さんは言う。「人口7万3千人だがマンション問題では5万人の署名が集まった。無防備都市宣言も住民発議で行った。街のあちこちで署名に立つ子ども連れのお母さんの姿が見られた。こういう街でありたいという声を出すことが(国立市では)当たり前の街になってきている」と話す。私はここに民主主義があると思った。議会がどんなであろうと、首長がどれほど革新的であろうと、住民が自ら声を上げないようなら、それは本当に民主主義なのかと思うからだ。

 翌日、派遣村報道でよく取り上げられる千代田区役所を訪問した。文京区の区役所もすごい建物だったけれど、ここも立派な高層ビルだ。誠に贅沢な施設だと思ったら、当たり前のことだと思い知らされた。千代田区から上がる税収は2千8百億円あるそうだが、それはいったん東京都に集められ、都が55%を取り、残りを23区で分配するそうで、区役所が立派なのはお互いが競ってそうしている結果らしい。都から千代田区に戻る税金はかなり少ないそうだ。それにしても、東京は桁違いな社会だ。ここにいたら日本の現状を把握することは困難ではないだろうか。

 職を失い、住むところもなくした派遣労働者を「真面目に働く気がある人たちなのか」と役人が発言し、後から慌てて訂正していたが、冷暖房が効く快適な部屋にいると、現実さえも見えなくなってしまうのだろう。悲惨な目に遭った人たちを、明日はわが身かもしれないと思いやる気持ちが本当は必要ではないのかと思う。便利で快適な生活は私たちに豊かな幸福感を与えてくれた。けれども、その社会が崩れようとしている。自分だけを守ることではなくて、みんなで受け止める社会が必要ではないのか。

 高層ビルとおいしそうな食べ物がいっぱいある東京でそう考えた。
コメント
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