友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

恋はいつも悲しいね

2009年01月30日 22時09分54秒 | Weblog
 家に帰るとカミさんが「これから反省会があるから出て」と言う。カミさんは今日、友だちとゴルフに出かけたが、その反省会を近くの中華料理店でするので、私に代わりに出ろと言うのである。「私はプレイヤーではないですが、反省会に出席させてもらってもいいですか」と今日のゴルフ仲間の長老に聞いてみた。もちろん冗談である。反省会という名の飲み会なのだから。「いいですよ。大歓迎ですよ」と言うので、孫娘を水泳教室に送っていって、反省会の中華料理店へ出かけた。

 既に二人はかなりお酒を飲んでいたようで、話は大いに盛り上がっていた。ゴルフの話ならば、ゴルフができない私は全くカヤの外だけれど、話の中心はいかに人生を過ごすかということにあった。「人はいつ死ぬかもわからないのだから、今生きていることに感謝し、与えられた命を精一杯生きていかなくちゃならない。自分が人様のお役に立つことができるならば、それは幸せというものだ」。「こうして話ができるのも、損得がない関係にあるからで、だから長続きしている。歳とってから心を許して話せる仲間がいることは最高の幸せと思わなぁーいかん」。

 早くからお酒を飲んでいたせいか、それともお酒に弱くなったのか、仲間の中でも一番若いこの日のゴルフの優勝者が眠そうな目になってきていた。実は彼は悩んでいる。恋の病だ。若い独身の女性に恋をしたというならば、何とかなりそうな気がするが、恋をした相手は人妻である。一番難しい相手である。「遊びなら早めにあきらめた方がいい」のだろうが、どうやら本人は真剣な様子だ。

 つかさず長老が言う。「私はそういうケースを何件も見てきたけれど、煽ることは簡単だけれど、別れさせるのは至難の業だ」。恋は盲目である。恋する二人には周りは何も見えない。「いや、そんなんじゃーないですよ。手をつないだこともないし、肉体関係はありません。ホントですよ。そんなことしたら、家庭を壊すことになるじゃないですか。だから悩んでいるんです」と真面目な答えが返ってきた。

 好きな女性ができて、手も握らない。それでも恋焦がれている。寝ても覚めても彼女のことを思っている。中年の一人前の男としては立派過ぎるくらい立派ではないかと思う。その時、私は中学高校からの友だちのことを思っていた。彼は10数年もの長きにわたって「友だち以上恋人未満」の女性と付き合っている。彼もまたこの日のゴルフの優勝者のように悩んでいるのだろうか。俗人の私には二人とも聖人に見えるが、同時に無理しているのではないのかと問いたくなる。

 でも、よくわかる。人は欲望を理性で抑えられるし、そうしなくてはならないのだ。でも、そんな風に理性が働くようなら、恋なんかしないのではないだろうか。ちょっと飲みすぎた。間違ったこと書いていないか心配だ。
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