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ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」などを務めたライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。

南座の前に聳える創業100年を迎える「レストラン菊水」。受け継がれたもてなしと新しい味

2015-01-21 | グルメ

四条大橋の南座の向かい側に、レトロな雰囲気を漂わす洋館が聳えます。ここは、今年、創業100年を迎える「レストラン菊水」。京都人なら誰でも知っているレストランです。
  
ミモロは、毎年夏、祇園祭の「神輿洗い」の神事の時に、この屋上のビアガーデンに、お友達に連れてきてもらっています。「すごく見晴しいいんだよね~。鴨川も四条通も遠くまで、ずっと見えるんだから…」と。「一度、ゆっくりお料理食べに来たかったの~」ということで、ある日、ランチを食べに出かけました。

「あ、ミモロちゃん、お久しぶり…」と笑顔絵迎えてくださったのは、こちらの4代目になる奥村洋史さんと奥様。
「こんにちは~ランチに来ました~」とミモロは、1階のレストラン&パーラーへ。
 ここは、営業時間内、いつでも食事ができる場所。ミモロもこの日は、14時過ぎに来たのです。「観光やお買いものしてると、ランチの時間過ぎちゃって、食べそこなうことあるよね~。そういう時にいつも食べられるところを知ってると便利だよね」と。さっそく窓際のテーブルへ。
テーブルにはメニューが。
「なんかレトロな感じのデザイン…素敵…」と言いながらメニューを開きます。「なんにしようかな…」
たくさん種類のある定食。「ビフテキ…ビーフシチュー…エビフライ…好きなものばかり悩んじゃう…」と洋食好きなミモロの悩むところ。
「あ、これ珍しい…鴨と九条ねぎのハンバーグだって…定食にするとサラダ、スープ、デザートも付いて1450円だって…。これにする!」と大好物のハンバーグを注文しました。ほどなくして、ミモロの前に、スープとサラダが…。
「今日は、アスパラガスのスープだって~」
サラダもたっぷり
「ミニスープとミニサラダじゃないところがいい…」と。セットメニューだと、小さなサイズのものが多い中、ここはフルサイズ。続いて、鴨の肉を使ったハンバーグが。上には京野菜の九条ネギがトッピングされています。
「デミグラスソースたっぷりで美味しい~」お皿にいっぱいのデミグラスソース。ミモロは、ライスに掛けて食べています。「はい、スプーンどうぞ…」とそんなミモロを見て、お店の方が…。
ハンバーグは、鴨の肉をメインに、鶏肉を混ぜてこねたオリジナルの味。「鴨肉の風味豊かで、豚や牛のハンバーグとは違う独特の美味しさがあるね~」と言いながら、口のまわりにデミグラスソースをつけながらパクパク…。

最後に、デザートが…
 
「ふ~お腹いっぱい~これで1500円以下って、リーズナブル、満足度高いよね~。だって、大根焚き1000円だったんだよ~」と。ミモロ、大根焚きは、見えないありたがい付加価値があるでしょ。あくまでも食べ物というところがミモロの基準になっている発言でした。あしからず…

「ランチ、楽しんでいただけました?」と、オーナーの奥村さん。「あの~少しレストランのこと教えてもらえますか?」と、お願いしてお話しを伺うことに…。
ミモロは、ノートを取り出して、リポーターの顔つきに…。

「昔から、この場所にレストランはあったんですか?」とミモロ。
「はい、創業当時からこの場所です。この土地は、昔、北座があったところなんですよ。レストランの前は、「菊水煎餅」というかわら煎餅を商っていたんです。ひいおじいさんの時代に、煎餅屋から洋食店に…」
「ハイカラなひいおじい様だったんですね~」「そうですね。場所柄、歌舞伎役者さんたちも常連ですね」
すでに4代目となる老舗の洋食店。京都人なら一度は、訪れたことがあるお店です。「うちの従業員も40年以上のベテランも多いんですよ」キリリと締めた蝶ネクタイ、白い上着姿は、他の新しい店では感じられない品格を漂わせます。

「昔から、この建物なんですか?」「そう、もちろん内部の改装はしていますが、外観などは、当時のままを残すようにしています。おかげで、国の登録有形文化財に指定されています」「南座とこの建物は、四条大橋のランドマークですよね~」「そうですね。空襲を受けてないので、当時のままです」と。
昔の景色を描いた絵には、今と変わらぬ建物の姿。四条大橋には、路面電車が走っています。

「京都の老舗は、どこでも同じでしょうが、昔ながらのことを、ずっと続ければいいというものではありません。その時代にあったものを取り入れていかなくては、商売は続けられません」と奥村さん。大学を卒業して大手外食企業に勤めていた奥村さんが、家業を継いだのは33歳の時。経営に当たることになった時、お店には多額の借金があったとか。それから猛烈に努力をなさり、ついに完済へ。

「いろいろ新しいこともやったんですよ~。たとえば、ビーフシチューを独り用の小鍋で出し、ずっと温かいままで召し上がっていただけるようにしたり、クレープジュゼットも、スタッフ全員、お客様の前で作れるようにしたり…今では、いろんな店がやってますが、おそらくうちが先駆けです」「え~いろんなことしてるんですね~」「まぁ、ジュースでも飲みながら聞いてください…」「は~い」
お話しに夢中になっていたミモロ「ホントは、喉渇いてたんだ~」と、フレッシュなバナナジュースを頂きました。

「僕も、5年前から調理師学校に通い、ふぐ処理師の資格を取ったんです。また、ワインも学んで、ソムリエの資格も取得しました」「あ~そのブドウのバッジですね~」奥村さんの背広の襟には、ソムリエバッジが輝きます。

「経営だけでなく、作る側の視点があったほうが、お客様に十分なおもてなしができるだろうと僕は思っているんです。両方の視点を持つことで、バランスのいい経営やお客様に喜ばれる料理の提供ができるんだと…」と奥村さん。

フグの調理師である奥村さんは、和食でしか味わえなかったフグを洋食にアレンジ。「弾力のある肉質は、洋食にも合うんです」と、「いつか食べてみたいな~」と、思わず喉を鳴らすミモロです。

「よかったら、建物をご案内します…お時間ありますか?」と聞かれ、「はい、たっぷりあります…」とミモロ。
奥村さんに国の登録有形文化財の建物を案内していただくことに…・。

*「レストラン菊水」の詳しい情報はホームページで



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後白河上皇のお住まいだった「法住寺(ほうじゅうじ)」。恒例の大根焚きで賑わう18日

2015-01-20 | 寺社仏閣

京都、七条通の「三十三間堂」周辺を散策しているミモロ。「あ、ここに寄らなくちゃ~」と、門の前に止まります。
「ここ、ここ」
ミモロが、入っていったのは、「法住寺」という天台宗のお寺です。あ、大根焚きしてるのね~
「あの~大根焚き食べたいんですけど、どうしたらいいですか?」と、お寺の方に尋ねます。「はい、こちらで引換券を購入してください…お願い事を書く、護摩木も授与しますから、どうぞ~」と。「あ、護摩木がついてるんだ~1000円だって~」と、ちょっと躊躇しましたが、お願いごともしたいし、大根も食べたいしということでお願いすることに。

ともかく、まずは、本堂に参拝を…。
  
本堂の中では、護摩供養が行われていました。

さて、この「法住寺」は、平安時代の公家、藤原為光によって建立された天台宗のお寺です。その後、後白河上皇が、院政を引かれたときの、この寺を中心に、お住まいである「法住寺殿」と呼ばれる、広大な敷地を有するりっぱな御所が造られました。現在も向かい側にある「三十三間堂」は、その敷地内のひとつのお堂で、東にある「新日吉神宮(いまひえじんぐう)」は、この「法住寺殿」の鎮守社として創建され、さらに熊野詣でお好きだった後白河上皇は、清盛に「新熊野本宮」も敷地内に造営させました。

「え~どんだけ広いの~」とミモロ。そう、今でいうなら、東は、「三十三間堂」から「ハイアットリージェンシー京都」をすぎ、東大路通を超えて、まだ先。南は、東海道新幹線を超え、「新熊野本宮」までは、約440メートルの距離があります。

つまり、いかに後白河上皇の力が強かったかを象徴する御殿だったのです。その造営費用は、平清盛の負担。両者の関係をも物語ります。

平家の力が急速に衰え、「法住寺殿」は、源氏の木曽義仲により焼き討ちにされ、そこから命からがら逃げ延びた後白河上皇は、数年経て崩御。その後は、上皇の御陵を守るお寺として存続。明治期に、御陵は、宮内庁の管轄となり、現在、天台宗のお寺として多くの信者の崇敬を集めています。

この日、本堂の脇の建物には、普段は、公開されていない「後白河上皇の木造」を拝見できました。「お庭もあるよ~」
 

お庭を眺めていたミモロ、気づくと机に向かっています。
 
ここでは、写経をすることができます。「こんど、静かな時に、写経しに来ようね~」と。お庭に向かい、ひたらすお経を書く時間は、心鎮めるのにふさわしいもの。申し出れば、だれでもできるそうです。

「さぁ、まずは、護摩木にお願いごと書かなくちゃ…」見ると「運気上昇」の文字が…。
  
もっと運気あげたいわけ~?「だって、ミモロがパワーないと、みんなを笑顔にできないもの…」と。まぁそうですけど…。

護摩木を納めて、いよいよ大根焚きのところへ。
「いい匂いがする~」と鼻をピクピク。
大きなお釜には、1日かけて焚いた大根と厚揚げが…。
 
「はい、どうぞ~」と渡されたお椀には、大根がいっぱい。そして甘辛く煮た厚揚げが盛られました。「すごいたくさん…食べきれないかも…」とさすがのミモロも全部の大根は食べられないよう…。「これで、1000円…ありがたいのはわかるけど」と…。

最近の京都の各お寺の「大根炊き」価格は、1000円というところが多いよう。正直、ちょっと考える値段です。「だってランチ食べられるもんね~」とミモロ。ランチと比較してはダメ…。無病息災になれるというありがたい大根炊きですが…。ひとりで全部食べたらお腹こわしそうな量です。「700円くらいにして、もう少し食べたい…ありがたいね~と思うくらいの量がいいなぁ~。護摩木も付いてるんだから、半分くらいの量だとうれしいんだけど…」とミモロ。ふたりで食べればちょうどいい量ですが、それだと護摩木は1本なので、お願いが一人しかできません。

「美味しかった~ふ~もうお腹いっぱい…無病息災だね~」と、大根で膨れたお腹を抱えて…。

門のところには、ご住職が描かれたという「身代わり不動さま」と「今年の干支の絵馬」が…。
 
「絵のお上手な住職さまだね~」と感心するミモロです。

「これ、大根の葉で作ったお惣菜…」大根のすべてをありがたくいただき、無駄にしない心が素敵です。


「節分も法要があったり、豆まきや鬼さんも登場するんだって~」と、ミモロ。もうすぐ節分、京都では、節分もいろいろなところで盛んです。「忙しいんだよね~」と、昼間から夜まで、京都市内各所を歩き回る日が、もうすぐやってきます。

*「法住寺」の詳しい情報は、ホームページからどうぞ…。





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「三十三間堂」の「楊枝(やなぎ)のお加持」。そばの「養源院」で、俵屋宗達の障壁画をたくさん拝見

2015-01-19 | 寺社仏閣

1月18日は、七条通にある「三十三間堂」で、弓の競技会の「通し矢」と厄払いの「楊枝のお加持」が行われます。
  
この日は、「三十三間堂」は拝観料が無料に…。さっそくミモロも出かけました。
「三十三間堂」は、南北にのびる長いお堂で、その柱が33本あることから、こう呼ばれています。平安時代、後白河上皇が、時の権力者、平清盛の資金をバックに建立したもの。なぜ南北に建てられて、中の仏像が、みんな東側を向いているかというと、後白河上皇のお住まいだった「法住寺」が、東側にあるからだとか…。「いつも仏様に見守られていたかったんだね~」とミモロ。

創建当時の建物は、建長元年(1249)に焼失し、現在の建物は、鎌倉時代に再建されたもの。


さて、1月18日の日曜日、いつも観光客でにぎわう「三十三間堂」は、はかま姿に弓を携えた人たちでいっぱい。そう、年に1度「大的大会」という江戸時代の弓の技を競う「通し矢」にちなむ大会が開催され、全国から約2000人の参加者で、広い境内は、にぎわっていました。特に、成人を迎えた若い女性たちの華やかで、りりしい袴姿が素敵です。

この日は、インド伝来で、平安時代からの伝統法要の「楊枝のお加持」が堂内で行われるため、さらに参拝者は多く、境内中人だらけ…。ミモロも、列に並び、聖樹といわれるやなぎで、観音様に祈願した法水をピチャピチャと僧侶から頭に掛けていただきました。「これを受けると病気にならないんだって…特に頭痛に効果的なんだってよ~」とミモロ。頭痛は、ミモロには無縁ですが、食べ過ぎの腹痛予防にと思っているようです。

「今日は、拝観料がいらないんだって…無料で、仏様たちにお目にかかれるの…」と、お堂の中に入りますが、無料だけあって、堂内は、人でぎっしり、立ち止まって、ゆっくり仏様たちを拝観することはできません。「やっぱりここは、朝一番で来るのがいいね~」と。開門直後にお堂に入ると、広々した中をゆっくり静かに仏様たちと対面することができます。

「う~人がいっぱいで大変だった~」と、お堂の外に出たミモロ。
  
お堂の前にたつポールの上には、龍が睨みを利かせています。東側に続く回廊は、人も少なく、ほっとできる場所でした。

「あれ、こっちに大きな門がある…」
「南大門」です。「三十三間堂」は、七条通の「京都博物館」側から入るのが一般的。「ホントは、こっちが正門かな?」と。この門は、慶長5年に豊臣秀頼が作ったものだそう。秀吉は、「三十三間堂」の北側に、「方広寺」の大仏殿を建て、ここも実は、その境内の一部に取り込まれて、周囲を築地塀が囲んでいたのだとか。いかに「方広寺」の規模が大きかったかわかります。

「南大門」が面する通りからは、「京都タワー」の姿が…。

さて、そこからミモロは、再び七条通に戻るため、北へと「三十三間堂」の塀越しに進みます。

「養源院って、行ったことない…」と、そこでちょっと立ち寄ることに…。
  
門のところには「桃山御殿、血天井」という高札が立っています。「なんか怖そう…」と言いながら中へ。

門から、長い参道が続き、このお寺の規模と格式を思わせます。

「徳川家の家紋だ~」そう、ここは徳川家とも所縁の深いお寺です。

この「養源院」は、文禄3年(1594)に、父である浅井長政の菩提を弔うことを願った娘茶々=淀殿のリクエストで、秀吉が建立したお寺です。寺の名は、長政の法号から名づけられました。その25年後、火災で焼失。でも、わずか2年後に、今度は、長政の三女、徳川家に嫁いだお江により、見事再建。現在の本堂は、その時代の姿を留めています。

織田信長の妹、お市の方は、戦国武将の浅井長政に嫁ぎ、3人の娘に恵まれます。でも、敵対関係になってしまった兄と夫。長政は、信長に討たれ、お市と娘たちは、その後、柴田勝家のもとへ。しかし、今度は、兄の部下だった秀吉に滅ぼされ、お市の方は、娘を残し、自害してしまいます。

長女、茶々は、母と養父を自害に追い込んだ秀吉の側室、淀殿となり、三女、お江は、徳川2代将軍、秀忠の正室に。そして姉妹は、関ヶ原の戦いで敵対関係の立場へ。でもどんな立場に置かれても、父を思う娘の思いは同じ。父を弔う寺が焼失したら、すぐに建て直す…「なくなるのは嫌だったんだね~きっと…」とミモロは、父を思う娘の心を思います。「でも、二人ともお金持ちのおうちにお嫁に行ったからできたんだね~」とも。その後も、母、お江の思いは、後水尾天皇に嫁いだ娘、東福門院和子に、さらにその娘で、明正天皇に引き継がれ、寺を守ることになります。母から娘、そして孫までかかわるお寺なのです。

寺に安置されている長政とお江の位牌には、菊・葵・桐の3つの紋が入っています。天皇家・徳川家・豊臣家を示す紋です。

「浅井長政さんって、娘を持っていてよかったね。男子だったら、とっくに殺されていると思う。しかも、母ゆずりの美人姉妹だから、よかったじゃないの~。ブスだったら、歴史に残らなかったかも…」とミモロ。でも、美人だからこそ、数奇な運命に翻弄されたのかも…。

さて、門の前に掲げられた高札の「血天井」とは…。これは徳川家の家臣であった鳥居元忠が、慶長5年(1600)、関ヶ原の前哨戦の「伏見城の戦い」で、豊臣側の西軍に、立て籠もっていた伏見城を攻められ、自害した時、流れた血が残った床板。それを彼を弔うために、天井板とし、長くその偉業をたたえたもの。京都には、他にも9か所「血天井」があるそう。

「このお寺は、琳派の俵屋宗達の作品が多いんだってよ~」とミモロ。
昨日ご紹介した「頂妙寺」には、「牛図」という掛け軸がありましたが、こちらはカラーの大きな障壁画。「わー象さんだ~」重要文化財の「白象図」です。大きな2頭の像が、モダンにデザイン化されて描かれています。

ところで象が日本にやってきたのは、足利義持、織田信長、徳川吉宗の時代です。俵屋宗達が、本物の象を見る機会があったか、不明ですが、なかなかリアルな表情は、実際に見たのではないかと想像させる迫力です。

他に、「唐獅子図」「波と麒麟図」「松図」など、宗達の大胆な構図とデザイン化された表現の巧みさが楽しめる優れた作品を見ることができます。

「ここは、期間限定の公開じゃないから、いつでも見られるね~。今度、平日にゆっくり来たい…」とミモロ。

宗達の作品のほかに、豪華な狩野派の襖絵なども…。

「お庭は、小堀遠州作なんだってよ~」
この時は、見られませんでしたが、紅葉ば美しいそう。また境内には、しだれ桜も多く、春の美しさも楽しみです。

*「養源院」京都市東山区三十三間堂廻り町656 075-561-3887 拝観時間9:00~16:00 拝観料500円 「三十三間堂」の東側です。


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「京の冬の旅」初公開。仁王門通にある俵谷宗達ゆかりの日蓮宗本山のひとつ「頂妙寺」へ。

2015-01-18 | 寺社仏閣

1月10日から始まった「京の冬の旅」非公開文化財特別公開。今年は「琳派400年記念祭」というテーマで、琳派ゆかりの寺院が公開されています。ミモロが、向かったのは、鴨川の東、仁王門通にある「頂妙寺」です。
このお寺の位置するのは、三条通に並行する仁王門通という一方通行の道。その通りの名の由来が、このお寺にある仁王門なのです。

さて、このエリアは、「新洞学区」と呼ばれ、通りの名を見ると、「あれ?」と思うはず…。
「新高倉通」「新堺町通」「新柳馬場通」など、鴨川の西側の通りの名に新という文字が付いています。実は、この地域、宝永5年(1708)3月に油小路通姉小路通角から出火した「宝永の大火」で、内裏のそばのお寺が、ここに移転したのです。そのため、かつてお寺があった一帯の通りの名をここにも。

この「新洞学区」には、なんと地図で見ると55寺があるのだとか。
 
移転後の今も、このエリアの神社は、御所の南側にある「下御霊神社」。春の大祭には、鴨川を超えて、神輿がこのエリアを巡ります。

もともと内裏に隣接していた「頂妙寺」が、この場所に移転したのは、寛文13年(1673)、関白鷹司房輔の屋敷から出火した「寛文の大火」により、現在の場所へ。つまり、たくさんのお寺が移転する前から、ここにあったお寺です。

ちなみに、京都の町は、幾たびかの歴史的大火により、その町の形を変化させていきます。その最後ともいえるのが、幕末の蛤御門の変になります。

では、話を基に戻して…「頂妙寺」は、このエリア最大規模の寺院。室町時代に日祝上人によって開かれた日蓮宗本山のひとつです。今回特別公開される「琳派400年記念祭」の3寺、「頂妙寺」「本法寺」「妙顕寺」は、いずれも京都に21か所ある日蓮宗の本山のひとつなのです。
 
仁王門通の由来となった仁王門が、境内の南側に聳えます。
 
門には、信長に禁止された布教を許可する秀吉の扁額が掲げられています。門の両脇には、仁王様ではなく、持国天と毘沙門天が、なんでも鎌倉時代の仏師、あの有名な運慶・快慶の作だと伝えられる木像です。
 
「網が前にあって、よく見えない~」とミモロ。目を凝らして中を見つめていました。

仁王門の中心部に見えるのは、日蓮上人の像。
  
「さすが、センターに来るように立てられたんだ~」と変なことに感心。

「わ~広い境内…」仁王門通は、うどんの「うね乃」や「ピニョ食堂」「手焼きの鯛焼き屋さん」などがあるので、よく通るところ。でも、このお寺の中には、いままで入ったことがありませんでした。

「これが大本堂」なかには、日蓮上人の坐像を中心に、文殊菩薩、普賢菩薩などが周囲をお守りしています。ここも公開で参拝できます。

「ここは、祖師堂で、お隣は、大黒堂だって…」
 
「あ、赤い鳥居がある・・・え~っと『威徳善神』だって・・・」
京都のお寺のほとんどに境内に神社があります。神仏習合の時代を物語るもの。

今回の特別公開の見どころは、俵谷宗達の水墨画「牛図」2幅。「立ってると、座ってるのだって…」
「公開期間の前期は、立ってる牛、後期は、座ってる牛だって…一度に2つ見たいのに~残念…」と、ミモロだけでなく同じような声が参拝者から。ほかにも数点、寺宝が公開。
(内部は撮影禁止なので話だけで…)

「そうだ、お墓も行かなくちゃ…」とミモロは、参拝後、墓地へ。
ここには、俵屋宗達のお墓が…。
「へぇー、俵屋宗達さん結構近くにいらしたんだ~」と、ミモロの住む近くにいらしたことにビックリ。

「う~寒い…早く帰ろう…ブルブル」とミモロ。
晴天にも関わらず、すごく冷えた空気が立ち込めていて、立っているだけで、体が冷えてきます。
「あ、雪…」時折、冷たい雨や雪が…。「ほかのお寺もまわりたかったけど、寒いから帰ろう…」とミモロ。
別の寺院は、またいずれご紹介します。

*「頂妙寺」京都市左京区仁王門通川端東入ル大菊町96 075-771-0562 特別公開は、10:00~16:00(受付終了)拝観料:一か所600円。詳しくは「京都市観光協会」のホームページで



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市役所のそば、寺町通にあるタルト・タタンが味わえる「カフェレストラン ヌーベルバーグKyoto」

2015-01-17 | グルメ

「一度入ってみたかったんだ~」と、ある日ミモロは、寺町通にある「ヌーベルバーグKyoto」を訪れました。
   
3年前にできたというタルト・タタンが人気のお店で、もともと京都大学の近くにあった名店の流れをくむところだそう。
りんごを煮詰めて焼くお菓子タルト・タタン。ミモロの好物のひとつです。
店内に入ると、甘く香ばしい薫りがミモロの鼻をくすぐります。「わ~いい匂い…」
料理長の上山明さんが笑顔で迎えてくれました。
タルト・タタンは、実は、失敗から生まれた産物。19世紀のフランスでホテルを営むタタン姉妹が、伝統的なアップルパイをつくっていたところ、リンゴをバターと砂糖で炒めていたところで、他の用事でその場を離れ、せっかくのリンゴを炒めすぎてしまいました。でも、そのまま捨てるのはもったいない…ということで、その上にタルト生地をかぶせ、オーブンの中へ。タルトが焼けたところで、ひっくり返してみると、なんと香ばしいデザートが…。「じゃ、もしタタン姉妹が、アップルパイを上手に作っちゃったら、タルト・タタンって生まれなかったのかも…」とミモロ。そう、失敗から生まれた新しいお菓子です。

こちらのお店で使うのは、青森産のふじという種類のリンゴ。
それをカットして、バターと砂糖で約2時間ほど煮詰めます。

しばらくしてから、その上に、自家製のタルト生地をかぶせ、オーブンでさらに1時間焼くのだそう。
なかなか時間がかかるお菓子です。
店の調理場の棚には、小さな鍋がズラリ。これはホールタイプのタルト・タタン用のもの。


ミモロは、お正月に初めてこのお店を訪れました。
「あの~タルト・タタンください~」お店では、カットされたものにクリームを掛けていただきます。
香ばしい薫りとリンゴの甘酸っぱさにミモロはうっとり。「あんまり甘くないのがいいね~紅茶とぴったり~」と。

お店では、カット用に大きな鍋で作ります。その鍋には、十数個のりんごがつかわれるそう。お持ち帰り用のホールタイプは、小さな鍋で…こちらは、4から5個のリンゴで…。

「こういうお菓子を、温かいお部屋で、ブランデー入りの紅茶でいただくと最高だね~」と、なかなか通なミモロです。

はじめて訪れてから、しばらくして、ミモロは再びお店へ。
「あ、煮詰めてる…」外から中を覗くと、ちょうどリンゴを調理中。

「また、来ちゃいました…」「あ、いらっしゃいませ~」とお店の方がミモロを覚えていてくださいました。
「はい、一度会うと忘れません…個性的なお客様ですから…」と。

「あの~今日は、お友達にプレゼントするお菓子買いに来ました…」とミモロ。
「タルト・タタンにしようかな~。あれ?リンゴのパウンドケーキがある~数量限定だって~」
こちらもリンゴがいっぱい…。「これ食べたことないから、これにしよう…」と。

ここは、カフェレストランなので、タルトタタン等以外に、パスタやキッシュなどのお料理も楽しめます。
市役所の西側で、お買いものにも便利な場所。寺町散策の折りに、ぜひ立ち寄りたいお店です。

「あ、このプレートカワイイ…」
オリジナルの食器もフランスチック。なかなかキュートです。


「今度、ランチに来よう…またね~」と言いながら、お店を後にしたミモロです。

*「カフェレストラン ヌーベルバーグ kyoto」京都市中京区寺町通御池上がる上本能寺町473 浅井ビル1F 075-741-8734 平日11:00~18:00LO 土・日曜~21:30lO 火曜休み 持ち帰り用のホールタイプは1994円、りんごのパウンドケーキは1620円 



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