ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

「京の冬の旅」初公開。仁王門通にある俵谷宗達ゆかりの日蓮宗本山のひとつ「頂妙寺」へ。

2015-01-18 | 寺社仏閣

1月10日から始まった「京の冬の旅」非公開文化財特別公開。今年は「琳派400年記念祭」というテーマで、琳派ゆかりの寺院が公開されています。ミモロが、向かったのは、鴨川の東、仁王門通にある「頂妙寺」です。
このお寺の位置するのは、三条通に並行する仁王門通という一方通行の道。その通りの名の由来が、このお寺にある仁王門なのです。

さて、このエリアは、「新洞学区」と呼ばれ、通りの名を見ると、「あれ?」と思うはず…。
「新高倉通」「新堺町通」「新柳馬場通」など、鴨川の西側の通りの名に新という文字が付いています。実は、この地域、宝永5年(1708)3月に油小路通姉小路通角から出火した「宝永の大火」で、内裏のそばのお寺が、ここに移転したのです。そのため、かつてお寺があった一帯の通りの名をここにも。

この「新洞学区」には、なんと地図で見ると55寺があるのだとか。
 
移転後の今も、このエリアの神社は、御所の南側にある「下御霊神社」。春の大祭には、鴨川を超えて、神輿がこのエリアを巡ります。

もともと内裏に隣接していた「頂妙寺」が、この場所に移転したのは、寛文13年(1673)、関白鷹司房輔の屋敷から出火した「寛文の大火」により、現在の場所へ。つまり、たくさんのお寺が移転する前から、ここにあったお寺です。

ちなみに、京都の町は、幾たびかの歴史的大火により、その町の形を変化させていきます。その最後ともいえるのが、幕末の蛤御門の変になります。

では、話を基に戻して…「頂妙寺」は、このエリア最大規模の寺院。室町時代に日祝上人によって開かれた日蓮宗本山のひとつです。今回特別公開される「琳派400年記念祭」の3寺、「頂妙寺」「本法寺」「妙顕寺」は、いずれも京都に21か所ある日蓮宗の本山のひとつなのです。
 
仁王門通の由来となった仁王門が、境内の南側に聳えます。
 
門には、信長に禁止された布教を許可する秀吉の扁額が掲げられています。門の両脇には、仁王様ではなく、持国天と毘沙門天が、なんでも鎌倉時代の仏師、あの有名な運慶・快慶の作だと伝えられる木像です。
 
「網が前にあって、よく見えない~」とミモロ。目を凝らして中を見つめていました。

仁王門の中心部に見えるのは、日蓮上人の像。
  
「さすが、センターに来るように立てられたんだ~」と変なことに感心。

「わ~広い境内…」仁王門通は、うどんの「うね乃」や「ピニョ食堂」「手焼きの鯛焼き屋さん」などがあるので、よく通るところ。でも、このお寺の中には、いままで入ったことがありませんでした。

「これが大本堂」なかには、日蓮上人の坐像を中心に、文殊菩薩、普賢菩薩などが周囲をお守りしています。ここも公開で参拝できます。

「ここは、祖師堂で、お隣は、大黒堂だって…」
 
「あ、赤い鳥居がある・・・え~っと『威徳善神』だって・・・」
京都のお寺のほとんどに境内に神社があります。神仏習合の時代を物語るもの。

今回の特別公開の見どころは、俵谷宗達の水墨画「牛図」2幅。「立ってると、座ってるのだって…」
「公開期間の前期は、立ってる牛、後期は、座ってる牛だって…一度に2つ見たいのに~残念…」と、ミモロだけでなく同じような声が参拝者から。ほかにも数点、寺宝が公開。
(内部は撮影禁止なので話だけで…)

「そうだ、お墓も行かなくちゃ…」とミモロは、参拝後、墓地へ。
ここには、俵屋宗達のお墓が…。
「へぇー、俵屋宗達さん結構近くにいらしたんだ~」と、ミモロの住む近くにいらしたことにビックリ。

「う~寒い…早く帰ろう…ブルブル」とミモロ。
晴天にも関わらず、すごく冷えた空気が立ち込めていて、立っているだけで、体が冷えてきます。
「あ、雪…」時折、冷たい雨や雪が…。「ほかのお寺もまわりたかったけど、寒いから帰ろう…」とミモロ。
別の寺院は、またいずれご紹介します。

*「頂妙寺」京都市左京区仁王門通川端東入ル大菊町96 075-771-0562 特別公開は、10:00~16:00(受付終了)拝観料:一か所600円。詳しくは「京都市観光協会」のホームページで



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