東山の「高台寺」で枝垂れ桜のライトアップを見たミモロは、「ねねの道」沿いにある「圓徳院」へ向かいました。
「今、ここも夜、拝観できるんだよね~。あの~まだ大丈夫ですか?」とすでに20時になっています。
「大丈夫ですよ~受付は、21:30までですから…どうぞごゆっくり~」と。
受付では、「これどうぞ~」と、「新型コロナウィルス 疫病退散」のお札を頂戴しました。
拝観者への心遣いに感激したミモロです。
ライトアップされたお庭を目指し、ミモロは奥へと進みます。
豊臣秀吉の死後、正室だった北政所ねねは、徳川家康の庇護のもと、秀吉の菩提を弔うために「高台寺」を建立。
人望の厚いねねの元には、大名、禅僧、茶人、文人、画家など多くの人が訪れたと言われます。これが「圓徳院」の起こりで、ねねが58歳から77歳で没するまで19年間を過ごした終焉の地となります。
「圓徳院」は、木下家の菩提寺として、ねねの兄の木下家定の次男、利房により「高台寺」の塔頭として開かれました。
ねねの実家は、もともと杉原の姓でしたが、兄、家定は、秀吉の出世と共に、木下の姓を名乗ります。家定の息子の一人が小早川秀秋です。
「戦国時代の大名などの関係って、今の感覚ではよくわかんない~」というミモロ。そう、養子縁組や血縁関係などで同盟関係を深めてゆく時代でもあるのです。
「でもねね様ってすごいね~」というミモロ。そもそもそれほど身分が高くなかった生まれですが、多くの大名や文化人に慕われるほどの人望を備えていたことに、驚きます。「きっといろいろお勉強もしたんだろうね~」とミモロ。
もちろん秀吉の才能のすごさによって、もたらされたことですが、秀吉の周囲の親族たちの実力も侮れません。
さて、まずは南のお庭を拝見。
また座敷には、長谷川等伯などにより障壁画が…
「ここには、桜があんまり咲いてないね~」といいながら奥へ進むと…「あ、桜~」とミモロが立ち止まったのは、桃山時代の華やかさを感じさせる桜などが描かれた襖絵です。
京都で活躍する日本画家志村正作
さらに「タケノコ美味しそう…そろそろ季節だよね~」とミモロが眺めるのは、こちらも京都の日本画家 木下育應作の「松竹梅図」です。
色鮮やかな作品は、「きっと今、ミモロたちが目にする桃山時代の障壁画も、当時は、すごく華やかだったんだろうなぁ~」と。
さらに奥に進むと、国の名勝指定の「北庭」に至ります。
「わ~ライトアップされて素敵な雰囲気だね~」としばし静寂に身を置くミモロです。
このお庭は、かつて伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、その当時の姿をほぼそのままに留める桃山時代の代表的な庭園のひとつ。
「このお庭もねね様、ここで見たのかな?」とミモロ。伏見城の暮らしを思い出させるお庭ですから、もし見ていたら、どんな思いだったことでしょう。
建物にしても、お庭の石など、滅ぼしたり、改築などにより、以前あったものを移築し、再利用するのは当たり前。「これって、リサイクルだよね~」とミモロ。昔は、新たに資材を調達する手間と費用からもリサイクルは当然のこと。でも現代の建物は、昔の建物の素材からして、おそらく解体して建て直すような建造物はあるのでしょうか?「昔の人の方がリサイクルの感覚あったんじゃないの~」と思うミモロです。
「圓徳院」の拝観を終えると、出口は、「三面大黒天」の脇に通じていました。
この本堂の建物も京都御苑から移築したものだそう。
「お詣りしよう~」と大黒天が大好きなミモロ。
ほとんど人がいない道をミモロはトコトコ進みます。
やがて「八坂神社」に到着。「あ、お月さま~」
もうすぐ満月を迎える月が天上に輝いています。
「さぁ、おうちに帰ろう…」
さすがコロナ禍で外出を控える今…八坂の石段下の車の流れもまばら…人の姿も極めて少なめ。
ブルブル・・・春の夜の冷え込みが、ミモロを震わせます。「襟巻持って来ればよかった~」
気温の変化で風邪を引かないように注意も必要です。
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