ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

「真言宗智山派 総本山智積院」の朝のお勤めに参列。お庭などの拝観も

2017-09-14 | 寺社仏閣

七条通の東の突き当りに位置する「真言宗智山派 総本山智積院」があります。この夏、高野山を訪れて以来、ミモロは、空海上人に強い関心を抱くようになりました。「ここも真言宗のお寺だから、ご本尊は、大日如来さま。ご祈祷をするお堂には、不動明王さまがいらっしゃるんだよね~」
 
広い境内には、ご本尊がいらっしゃる金堂では、毎朝6時から、僧侶たちのお勤めが行われ、その後は、明王堂で、ご祈祷が行われます。
 
50人を超す僧侶たちの読経が響くお堂。そのおつとめは、本当に心が浄められる心地がします。「そのおつとめ、一般には参加できないんだよね~。」そう、それに参列できるのは、境内にある「智積院会館」に宿泊するゲストです。でもこの日、ミモロがその朝のお勤めに参加できたのは、ご祈祷のお願いをしたからです。
前日に、翌日のご祈祷の申し込みをして、その特典みたいに、朝のお勤め、そしてお庭や宝物がおさまる収蔵庫を拝観できるのでした。「知らなかった~」ミモロは、3000円納め、「心願成就」のご祈祷をお願いしたのです。

朝の境内の澄み切った空気・・・そして、僧侶たちのお勤め・・・本当に心浄められます。

お勤めが終わると、ミモロたちは、名勝庭園の拝見に講堂へと移動します。
 

そのお座敷に座り、お庭を拝見しながら、「智積院」の歴史などのお話をお坊様から伺います。
 

「なんかすごくいい気持~」
利休好みと言われるお庭は、元は豊臣秀吉が息子鶴松の菩提を弔うために建立した「祥曇禅寺」がその原形です。

真言宗は、ご存じの通り、空海が開祖。唐に渡り、密教などを納めた空海は、京都の東寺を賜り、そこで長らく多くの弟子などの教育をはじめ、真言密教をさらに深めてゆきます。空海というと高野山が活躍の場と思われがちですが、実は、高野山に入ったのは、晩年の4年間くらいだと言われます。それまでの多くの年月は、京都で過ごしていたのです。

弘法大師と呼ばれるのは、空海の死後、なんと80年以上たってから。醍醐天皇から賜った諡号(生前の功績に因んでつける名)です。「え~空海さんは、自分が弘法大師って呼ばれてるの知らないんだ~」とミモロ。そう、最澄の「伝教大師」も円仁の「慈覚大師」も諡号なので、ご本人は知らないことになりますね。

空海の死後、真言宗は、その勢いを停滞させる時代に入ります。それを再興したのは、鳥羽上皇の支援を受け高野山に上った覚鑁(かくばん)上人です。若い覚鑁は、真言宗の改革運動を推進。しかし、高野山にいる昔からの僧侶の反対にあい、ついには高野山を追われることに。そこでたどり着いた和歌山で根来寺を建てます。根来寺は、鉄砲の製造をはじめさまざまな事業などにより、戦国時代には、坊舎は、2700をこえる大きなお寺になるのです。漆の根来塗、またそこに住まう根来衆と呼ばれる人たちは、忍びとしても活躍。大きな軍事力を有する集団に成長します。天下を納める秀吉にとって、大きな脅威。そこで、天正13年に、秀吉により全山焼き払われてしまいます。

行き場を失った僧侶たち・・・当時、学頭だった玄侑僧正は、根来の再興を願いつつ、長く高野山や京都に逃れる苦しい時期を過ごすことに。時代は変わり、根来寺を焼き討ちした秀吉は、死に、豊臣家が滅ぼされると、京都にあった豊臣家関係の土地や建物は、没収。その折り、徳川家康は、かねてから根来寺の再興を願っていた僧、能化に、秀吉が建立した「祥曇禅寺」を下げ渡し、それが現在の「智積院」となります。
 
「根来寺が焼き討ちされたのは、天正13年(1585)でしょ、家康さんがお寺をくれたのは、元和元年(1615)って資料に書いてあるから、え~30年以上もかかったんだ~」と驚くミモロ。

「五百仏山根来寺智積院」というのが、山号です。

「では、お堂の中をご案内します」と。ミモロたちは僧侶の後を拝観順路で進みます。
  
拝観順路の途中には、いろいろな見所が…

お庭や講堂などの拝観は、9:00~16:00 500円です。

広いお堂を進むミモロたち。
「遅れちゃった~」
小さなミモロは、歩幅が狭いので、どうしても遅れがち。でも理由はそれだけではありません。

実は、ミモロは、途中にいろいろ立ち止まって、お庭を眺めたり・・・だからみんなから遅れるんですけど…。
「お寺の紋が入ってる」畳の縁には、オリジナルの文様が…。そういう細かいところについ目がいくミモロなのでした。

「待って~」転がるように廊下を慌てて進むミモロ。
「大丈夫ですよ。急がなくても」
やさしくミモロを見守ってくださったのは、素敵な僧侶。智積院で勉強し、今はお寺のお手伝いなどをなさっているという若い女性のお坊さん。「は、はい…どうも」やさしく抱っこされたミモロは、ほっとした表情に。

「追いついた~」


お堂の中をいろいろ拝見した後は、華やかな豊臣家の名残りを留める国宝の障壁画を「収蔵庫」で拝見します。

家康公から賜ったお寺は、その後、火災などで焼失。この襖絵などは、僧侶たちが必死に持ち出したものだとか。

「智積院」の朝のお勤めは、いつ参列しても心浄められる心地がします。一般に公開されていないだけに、参列者の数も限られ、一人一人が、大日如来さまと不動明王さまに、ご焼香ができます。ぜひ、宿坊の「智積院会館」に宿泊するか、個人的にご祈祷をお願いして、参列したい、すばらしい体験です。

「あ、桔梗まだ咲いてる~」でも上を見ると、楓の先端が少し色づいて見えます。
 
「まだ暑いけど、秋、すぐそばにいるんだよね~」残暑の京都ですが、秋の足音はしだいに近づいているのです。


*「真言宗智山派 総本山智積院」の詳しい情報は、ホームページで






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