蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

こころに鍵をかける

2013-08-08 | 日々のこと

夫の実家の、ご近所状況は、非常に人付き合いが親密、濃厚。
限定エリア的特徴か、はたまた、義母の社交的な性格からか。

遠い親戚にあたる30代男性のお嫁さん(30代)。
前までは、少し離れたところに夫婦だけでマンション暮らしだった。
が、旦那さんの実家の同敷地内に家を新築してくれたので、そこに引っ越してきた。
で、そのお嫁さん、玄関に内側から鍵をかけている、らしい。

そのことで、姑は嘆き、回りに愚痴ったようだ。
わたしとしては、今までマンション住まいであったなら、内から鍵は、当たり前のこと、と思う。
ただ、在宅時には鍵をかける習慣のない田舎で、
同じ敷地内の、親と同居に近い状態なら、あれこれ言われるだろうなあ、と感じた。

親だけでなく、ご近所の人々にも知れ渡っている。
変わった嫁さんだ、と。
これといった娯楽も、情報も、人の動きもないからか、
ゴシップネタの格好の餌食にされ、離婚秒読みを噂されたりもしている。


わたしは、ぜったいに、あのエリアには住めない。
そんな干渉され、奇異の目で見られ、・・・息が詰まって、チアノーゼになりそうだ。

彼女のお姑さんの友だちが、これまた、ごくごく近くに住んでいて、家に入り浸り。
おそらく冷蔵庫の中まで知っていることだろう。
それが、互助システムが自然と整っている田舎や、人情たっぷりの下町の付き合いだというのかも知れない。
わたしは、そういう、プライバシー無視、土足どかどかは、非常に、大の大の大の苦手だ。
社宅でのお付き合いとかも、だ。

どの夫も、同期入社。
同じ年齢、同じ給料、同じ勤務先、同じ住まい、同じ間取り、
子供の通う幼稚園は、同じ。
金太郎飴的に、同じ暮らし。
どこに行くにも、○○さんがいつ、出かけた、いつ、帰ってきた、と、みんなの興味の目。
監視に近い。

トラブルを起こすと、夫の仕事に影響する。
なので、極力、自分は抑えて、難のないように。
息を殺して生活している・・・ように、わたしには見える。

わたしは、絶対に耐えられない。
でも、耐えて頑張っている方々は、偉い。

だが、ひとり抜け、ふたり抜け・・・次第に、社宅から転出していく。
各人、水を得た魚のようになる。

若い頃は、そうやって、みんな、なんらかの苦労をしている。
生活の基盤が出来るまでの間、歯を食いしばる。
若いときは、あまり意識してないかも知れないが。(わたしも、そうだった)


ひとになにを言われようが、ゴーイングマイウエイだったわたしは、
おそらく、ママ友グループみたいなものから、はずされていたんだろうと、想像する。
というか、ママ友たちとの遊びや、お付き合いは、ほんの短い期間だけで、
あとは、社会に出たので、小さな世界から、抜け出した。
(ただし、閉ざされた窮屈な世界でもなかった)

夫や子供、親戚、・・・そういう縛り、くくりの中でしか、自分が存在しないことに、耐えられなくなった。
家族は、なくてはならない大切なもの、核となる。
が、それだけ、というのは、あまりにも息苦しい。

人には、いろんな生き方があるので、本人が納得していることが、いちばんいい。
人がなにを言おうが、なにをしようが、自分の軸を持ち、ブレないで生きる。
なにを言われようが、批判した人のために、わたしは生きているのではない。
その批判した人の型や枠にはめられて生きるなんて、イヤだ。
価値観や好みを押し付けられても、自分は自分だ。

ただし、ひとの迷惑になるようなことは、だめ。
社会で生きるには、ルールというもの、つまり常識を持つことが不可欠。

陽気で、活発で、社交的な人もいれば、静かで、クールで、一人が好きな人もいる。
同じようなタイプの人と、遊べばいい。
一人が好きな人は、一人で遊べばいい。
必要に応じて、それなりに対応、協調するべきときは、仲良く。
無理に合わせるのではなく、大人の感覚で。不調和音は、極力、避ける。
それだけだ。

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長時間、油を売る

2013-08-07 | 日々のこと

別SNSにコメント返しをまたまた性懲りもなく、延々書いていたら、
アタマの99%が空になり、ここに記事を書く気力と、時間の余裕が、ほとんどなくなった。

わたしの、非常に悪い癖で・・・
日記を書きはじめると、おもしろくなって、やめられないのだ。
しかも、人の日記なんぞ読まずに、一人でひた走る。
他の人の意見なんか、聞く気なし。
エゴイストの日常。

そうやっていると、なぜかアクセス数が増えて、コメントが増えて、ありゃりゃと、なる。
ただし、それほどたいしたものではない。
じつに、ささやかな、かわいらしいものである。
おそらく、その別SNSは、時間のたっぷりある方が多いので、
どんな日記でも、ほいほい、よく訪れるのだろうと推測する。

ただ、問題は、本音や実情を書きすぎてしまって、今後、オフ会などがあっても、一切、参加しないか、
あるいは、別のハンドルでも作るか、そうしないと、無理。
その決意は、固い。

ここ蝶ブログでは、趣味のことを書いても、おそらく、さらーっとスルーだろうが、
(なかには、読んでくださる方もおられます。謝々)
別SNSでは、みなさん、趣味のことばかり話し合っている。
でも、まだ、わたしのような、忙しい世代には、お茶飲み会話には、付き合いきれない。
なので、書き逃げする。

と、山のように用事を抱え、こんなことをしている場合ではない。
今日は、そそくさと引き上げることにする。

 

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アンテナ

2013-08-06 | 日々のこと

さて、すごい勢い(スピード)で、ここ蝶ブログを更新しよう。
例の別SNSのコメント返しは、後回しにする。

気になると言えば、気になるのだが、縁側でお茶のみながらの話に近いので、
さほど、焦ることはない。


昨日、ここに書いた、林真理子。
いまだに、アタマから離れない。
その前夜に観た彼女の特集テレビ。
印象的だった。

わたしが言いたいのは、これだ。
たんなる遊び人なら、あんなに好き放題、言ってたら、誰も相手にしない。
話を聞いてくれるのは、商売人ぐらいだろう。
お金には、人は寄ってくる。

よく言われることだが、
お金がなくなっても、まだ付き合いが続く人間関係が、ほんとうの、お付き合いだと。
人は、お金や、権力に、寄ってたかって、おこぼれを頂戴しようと群がってくる。
その頂点の時は、自分の実力のせいだと、勘違いする。
でも、それは勘違いではなく、本当に、その時、お金や、利権やらを持っていたことは確か。
腹の中で軽蔑していても、へらへらと揉み手で、人は着いてくる。

林真理子が、好き放題言えるのは、彼女の力の賜物。
能力があると思う。
時代の波に、ちゃっかり乗っかることに長けている。
時流の神様が、微笑んだ。
何本も抱えている定期エッセイだって、アシスタントに題材やらなんやらを用意させているのかも知れない。
自分は、最後にちょこっと手直しするだけかも知れない。
(想像だけど)

安藤忠雄だって、
優秀な東大卒の弟子志願の設計士が、無料に近いギャラで、汗流して設計したものを、
ちょこっと手を加えているだけかも知れない。
(聞いた話と、想像をミックスした、いいかげんな話だけど)

安藤忠雄は、面白いことを言っていた。
「今の政治にないものは、勇気だ」
なるほど、あの人は、営業がうまい。
営業で今日の地位を築いたようなものだ。

彼の構想、発想は、突拍子もなく、実現不可能であるように思えるが、夢がある。
発想と表現のセンス。

多くの人々がうごめいている社会で、誰と接するか、誰と接点を持つか、
チョイスするのは自分だ。

自分のいる小さな社会の中だけで、ごちゃごちゃ、ぐるぐる回っていても、良い発想は生まれない。
斬新なネタ、人には出会えない。
待っているだけでは、効率が悪い。
自分から出て行く勇気や行動力も必要。
ただし、ハイリスク、ハイリターン。

自分にとって、吸収できるもの、良いもの、良い効果があるもの、
そういうものをすくい取る。
林真理子じゃないけれど、アンテナを張る。
逆のもの、良くないものに、アンテナを張ってもなんの意味もない。マイナスなだけだ。
そういうものは、瞬間的に避ける。

少しずつ自分が変わると、変わった自分と接点のある人々も、また顔ぶれが変わってくる。
(引き続き同じ人である場合は、影響を受け合う)
よい方向に常に変わること。
地球が自転しているように。

これは、意識してないと、せっかくのチャンスも見落としてしまう。

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ストレス

2013-08-05 | 暮らし

ブログ・タイトルに、嫌な文言をつけると、訪問数が増えるようだ。
みなさん、ストレスが溜まっている?

林真理子、昨夜のテレビで特集を見た。
興味深かった。
嫌われているらしいけれど、あのふてぶてしさと、高飛車が、面白い。
知的なことに、お金が使えることのありがたさ、幸せを力説していた。
13万円のワインとか、値段を見ずに洋服を買う、行きつけのブランド店、
庶民派セレブだとか。
既婚で、中学生のお子さんがいて、あれ。豪快だ。
昨日、番組中は、林真理子はすごく稼ぐんだなあ、
印税や原稿料って、思いのほか高いんだなあと、目を丸くしていたが、
旦那さんが、けっこう稼ぐ人なのかも知れないと、いま、これを書いていて思った。
確か、お見合い結婚だったはずなので、林真理子としては、見極めるところは、見極めているに違いない。

彼女の、仕事をきっちりしているところ、問題意識を持ち、張り詰めているところ、
どんなに感じ悪くても、実績を残しているところは、十分評価されると思う。
若い頃の彼女と見比べると、外見の変身ぶりも、なかなか味わいがある。

好きなことをして、味わう後悔は、傷が癒えるが、
好きなことをしない後悔は、一生、傷が治らない、と言っていた。
たんなる遊び人が言っているなら、問題外であるが。


で・・・
話が唐突に変わって、・・・

昨日の記事は、ちなみに、ご近所さんブログのことではありません。
ご近所さんは、親しみをもってこころのなかで、応援している。

昨日の話は、最近、ずっと毎日読んでいる、読み逃げしている、とある、方。
まったくご本人は、ご自分のことだと気付いていないだろうし、
わたしとの接点は、まるでどこにもない。
年齢もブログ村カテゴリーも、なにもかも違う。
わたしが、一方的に好きで読んでいるだけだ。
その方は、わたしの存在すらご存じない。
それで、いい。
それが、いい。


今朝も、朝の5時から、物好きなわたしは、別SNSの日記のコメント返しに、
ヒーコラ、ヒーコラ、今までの時間を費やして、すべて返し終えた。
おそらく、今はいいが、そのうち、嫌になってくることだろう。
でも、同好趣味の面々とのやりとりなので、この蝶ブログとは、趣、内容、傾向が違う。

ここは、本音を吐いている。
趣味同好の人々に、本来のわたしの辛口コメントは、ちょっと場違いなので、
わたしは、いい子ぶっている。
でも、嘘は言っていない。
辛口面を全面に出していないだけである。
愚痴や不満を言うのも、やんわりと。


ちなみに・・・

同居したり、近所に、義理の親や実の親や親戚が、住んでいると、便利だがストレスが溜まるだろう。
いざというときに、すぐに駆けつけられるというメリットはあるが、
いざといわないときに、寄ってこられると、鬱陶しいだろう。
仮に口実で逃げたり断ったりしている場合があったとしても、
「あなたの家に行ったら、そんな様子、ぜんぜんないじゃない」なんて、実情がバレてしまうだろうし。
スープが冷めない距離というよりは、冷凍スープが解凍されるか、されないか、という距離のほうがいいかも。

でも、確かに便利である。
いただきもの、到来もの、賞味期限内に、さっさと渡しやすい。
休日の食事とか、来てもらいやすい。
今まで、わたしは、行く専門、いただく専門だったが、迎えるほう、あげるほうが追加された。
してもらう専門が、してあげる側にもなった。
じつに、不思議な感覚。
とは言いつつ、いただくほう、してもらうほうも、継続中だが。

少しずつ、今まで、わたしの回りの皆さんにしてもらった分、お返しができたらいい、と考える。
そして、子供たちに、ちゃんとしてあげられなかった分、ローンで、サポート労力を遅刻・追加している。


こんな本音、読んでいる方にとっては、まったくストレスが発散するどころか、面白くもなんともないだろう。ひとの、のほほんとした話、読んで楽しい人はいるか?
まあ、愚痴をブログに書くのと同じノリで、まじめなことも、書く。


子育て世代、親が近くにいないと、なかなか大変だろう。
義理の親御さんであってもありがたい。
しかし、仮に、これが息子の嫁だったら・・・お互い、気を遣うだろうと思う。
やはり、世の中でよく言われている、娘一家のほうが、トラブルがない。
娘婿さんは、嫁(=娘)が、機嫌よくしてくれて、自分も家事・育児負担が減るのであれば、
よほど気難しい親でない限り、おんぶに抱っこ傾向にある。

わたしは、夫の親に、たいへんお世話になったが。
娘一家でなくても、そういう義理親ケースもある。
お手伝いできる間に、お手伝いしておかないと。
自分の健康に問題がない今は、年を取ってから介護してもらおうと、あてにしているわけではない。
お互い、べったりは、気が重い。
が、弱りはじめて状況が変わると、また違ってくるのだろう。

わたしは、4世代の、ちょうど中間なので、とてもバランス感覚として、そのあたりがよくわかる。
姑を抱え、夫もいて、子供たちがいて、孫もいる。
夫の両親には、子供たちのお世話に尽力してもらったし、夫の両親たちは、そのまた両親たちのお世話もしていた。
わたしの両親も、然りだ。
つまり、順番である。
孫の世話と、老親の世話の時期が重なることが多い。

自然とそうなっている。
順番が来たのに、自分が順番をスキップする、抜けるなんてことは、したくない。
なので、非力ながら、頑張ろうと思っている。

問題は、サボりで、アタマと要領が悪いことだが、まあ、個性のひとつと捉え、
わたしカラーで、やっていくしかない。

と、話が逸れた。
あいかわらずのことである。
 

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神経を逆なでされる

2013-08-04 | 日々のこと

いつもの小さいSNSに、日記を書き、コメントや伝言を返し、
もうひとつのSNSに寄り、ここ蝶ブログに来た。
アタマのなかは、80%ぐらいは、空になっている。

で、話は変わるが、

人を根本的なところでキライになった場合、
その人の、すること、なすこと、すべてがキライになるようだ。
それを、とある人のブログを読んで感じた。

ブログに書いてあるような、身近な特定の他人の行動は、
それだけなら、かわいらしかったり、キュートだったりするのだが、
その人の根本、根っこのところを知っていて、根本が徹底的にキライであれば、
どんな他の行動も、すべて、カンに障るようだ。

わたしは、その逆。
根本的に好きであれば、少々の難には、目をつぶる。
それは、相性の問題でもある。

どんなことが、耐えられないほどキライ、許しがたいことなのか、
その人それぞれの、価値観にもよる。

わたしは、じつは、その前述のブログの方と、部分的に同じ感覚を持っている。
なので、とことん嫌っておられる気持ちも理解できる。
しかし、枝葉の部分は、そんなに目くじらを立てるほど、ひどいとは思えないが、
坊主憎けりゃ、袈裟まで憎いのだろう。

根本のところが、好きかキライか。尊敬できるのか、許せないのか。
そこのところが、大きい。

こころ、人柄、それを示す行動。
行動に示すための、ノウハウ、金銭感覚。
考える力。思いやり。

そのあたり、けっこう、影響力が大きい。

経済的感覚は、お金があろうがなかろうが、ひとそれぞれ。
ただし、ない袖は振れない。
知的水準は、たいした学歴がなくても、生涯努力している人のほうが、輝いている場合もある。

持って生まれた資質を、どう生かすか、どう料理するか、
その取り組みによって、同じ資質の持ち主でも、一生では大きく変わってくる。
気持ちの持ちようで、変わってくる。

それが、まったく接点のない、真逆の人と、べったり、離れないで生活しなければいけない、となると、
苦痛以外のなにものでもないだろう。
あるいは、そんな、たいそうなことでなくても、
性格の相性が合わない、
例えば神経質な人と、無神経な人、・・・きちんとした人と、だらしない人の組み合わせとか。
ただ、それに、別の要素が組み合わさって緩和されるのだが。


常に神経を逆なでされるのは、耐えられないだろう。

なので、ひとそれぞれではあるが、
自分なりにブロックして、自分が壊れないように、防御するしかない。

 

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エゴイストの日常

2013-08-03 | 日々のこと

わたしは、エゴイストだ。

しかし、社会で一人で生きているわけではないので、仮面をかぶっている。

自分のことが、一番大事で、人は、二の次。
しかし、そういう人間だと、あからさまにわからないよう、努力している。
その努力が実る場合と、実らない場合がある。
バレてしまうのだ。

人は、バカではない。
わたしがエゴイストであるということを、よくご存知だ。
で、それでもいいから、と、接点を持ったりする。
おそらく、お互いにエゴイストなのだろう。

だが、わたしは、臆病者のエゴイストなので、徹しきれていない。
言葉や言動で、エゴイストではないよう、振舞おうとする。
が、メッキはすぐ、はがれる。

いっそ、本当に、バリバリの、なんの装いや取り繕いもしない、正真正銘のエゴイストのほうが、
突き抜けていて清清しいかも。

優しそうな外見に人は騙されるが、わたしは、優しくないし、気も利かない。
いちばんの特徴は、サボりで、アタマが悪いこと。
これで、エゴイストが加わると、まったく取り柄がない。
なので、自分で頑張って、そこらへんの安物の、自分でも出来そうな、中途半端なケチくさい行動を、
ちまちまっと加えて、
自分のダメぶりをごまかそうとする。
が、実際は、なんにもごまかせていなくて、お見通しである。


が、逆転の発想というものがある。
人間、ピンチに陥ると、なんなりと考えるものだ。
アタマが悪いので、それを逆手にとって、「考えなくていい方法」を考える。
案外、これは、アタマを使うのだ。
サボりなので、サボれる努力をする。
この努力は、ずっとし続けなければならない。
要領が悪いので、要領が良い人に、要領よく、お任せする。
どのあたりまで任せるのが要領が良いのか、要領良くやらないと、あとが大変になるので、見極めが難しい。

だが、小手先や、見てくれ、外側だけでは、薄っぺらい。
基本的に、信頼関係が成り立ってないと、無理である。

エゴイストで、サボりで、アタマと要領が悪い人であるわたしと、
どうやって信頼関係を結ぶというのか?
人間である限り、こころがあるのだ。
こころ、自分の思い、目標を掲げ、実行すると、それなりの伝わるものがある。
あきらめずにやっていると、手ごたえがある。
エゴイストで、サボりで、アタマと要領の悪いわたしの、今までやってきたことを振り返ると、
腹黒いけれど、芯のところは、愚直な善人であると自己分析する。

わたしは、人間、性善説を唱える派である。
気持ちの持ちようで、人は変わることができると思う。

じつのところ、どうしようもない悪人と接したことがないので、
わたしの言葉には説得力がない。
悪人は、不思議なことに、運良く、わたしの前や横を通り過ぎる。
正面にガッツリ立ちはだかれても、おそらく無意識に避けているのだろう。
お互い、正面向いて歩いていて、ぶつかったとしても、幽霊か透明人間みたいに
わたしとは、がつっとした手ごたえを感じることがなく、するっと抜けていく。
悪人である部分に触れることなく、浅いお付き合いしかしないのだろう。(もしくは、袖も触れない)

(ニュースを見聞きすると、善良な方が、悲惨な事件に巻き込まれる例もある。
本人に、なんの非もない被害者である場合は、不運、お気の毒としか言いようがない)

どちらかというと、わたしは、人の悪と闘うよりも、自分のなかの悪と闘うほうだ。

いま、アタマにいろいろ浮かんできているが、ここに書くのはやめる。
(最近、そういうことが多い)


さてさて、土日。
暑いけれど、頑張りましょう。(と、毎日、書いている・・・)

 

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人の言葉が突き刺さる

2013-08-02 | 日々のこと

ちょっと、ご近所さんではない、初ブログをのぞいた。

う、うわ~。
見に行くんじゃなかった。後悔した。

やはりわたしは、マイナス志向は、苦手だ。
キレイごとばかりも、薄ら寒くて気持ち悪いけれど、
あまりにも強烈に品がなさすぎるのは、好みではない。

インパクトは、大(悪い意味での)だが、わたしは、ノーサンキューだ。
そそくさと、逃げ帰り、ああ、自分とは違う世界だと、認識、実感した。

さて、・・・
例の小さな、こじんまりしたSNSに書いた日記は、早々に、ここ、蝶ブログの閲覧数を越えた。
あっという間。
が、足跡形跡、誰が、いつ、何時何分に、のぞいたか、誰が、何時何分に拍手したか、
詳しく詳しく、しかも、人のページにそれらのことが、他人がどこから見てもわかるようなシステムになっている。
う、わ~。

わたし、書き逃げ傾向あり。
がんじがらめは、堪忍して~。
そういう窮屈なものは、息が詰まる。
まあ、見なければいいのであって、ほっておけばいいのだが。

で、今日の書きたい案件、そこに書こうか、ここに書こうか、悩んだのだが。

長々と切々と本音を書くと、その、がんじがらめSNSでは、支障をきたしてもよくないし、
反応が実にあっさりしている(無い、に等しい、が、それが、わたしはお気に入り)
ここは、涼しくてよろしいです。

・・・・・

ここからは、リアル社会でのお話です。


とある知人に、言われた、何気ないことを気にするわたし。
それは、悪意に満ちているわけではないのだが、わたしのこころにグサっと突き刺さる。
その人は、決して、わたしを誉めない。
誉め言葉なんて、おべんちゃら、お世辞、
それを真に受けるのは、みっともない、と、常日頃、わたしは思っている。
しかし、その人は、いつも辛口コメントばかり。
それをわたしは、痛々しく引きずっている。

・・・・・

人の言うことなんか、気にすることなかれ。
自分が正しいと思ったことをすればいい、突き進めばいい。
わたしにとって、良かれと思って、こころを鬼にしてアドバイスしてくれているなら、いざ知らず、
が、困らせてやろうと思って、言っているわけでもないところが、余計に効いてしまう。
意地悪をしてやろうという気持ちが、その人にはなく(たぶん)、本音であることが、問題なのだ。

・・・・・

人の言葉が気になるということは、
少なからず、自分もそう思っていて、痛いところを突かれたのだろう。
「あら、わたしとは意見や感想が違うのね、わたしは、そうは思わない」
と、堂々としていれば、いいではないか。

自分の背丈、実力に応じたことなのに、それを見抜かれたからと、
「違うの、これは、仮の姿で、ほんとうのわたしは、もっと、すごいの」
なんて、思い上がりもいいところだ。

自分を評価されなかったからって、逆恨みはよくない。
素直に反省するには、わたしは、謙虚さが足りない。
この気持ち、どこにもって行けばいい?
どうやって、納得すればいい?

もっと、つっこんで、具体的に書きたいが、やめておく。

・・・・・・

さて、
時間は、待ってくれない。
時間がやってまいりました。ブログタイムは、ここでやむなく終了。

今日も厳しい暑さだけれど、頑張りましょう。


 

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ヒネくれていても、はじまらない

2013-08-01 | 暮らし

昨日は、ひとつ落ち込むことがあったが、
気を取り直して、本屋に行って本を買い、いつも行く店で洋服を買ったら、
ブルーな気分が、すーっと消えていた。

その勢いで、帰りに、デパ地下で、タイムセールの米八のおこわ弁当とフォションのパンを買い、
家でビールを飲んだら、気分はもう、もとに戻っていた。
それから主婦コース、夕食の支度をしたが、通常の生活になっていた。

で、落ち込みが消えたにもかかわらず、
落ち込んだ原因である悩みを、例の小さなSNSの日記に書いてアップした。
あららら・・・不思議、不思議・・・
コメントがたくさん寄せられ、しかも、アップと同時に、アクセス数が跳ね上がっていた。
この蝶ブログと、たいして変わらない数だった。

(が、そっちに気をとられ、昨日が締め切り日のポイント交換を申し込み忘れ、ポイント切れとなり、ショック)

しかも、コメント内容ひとつひとつが、わたしの悩みの解決の糸口となるような、
各人、ご自分の経験をもとに、誠意あるアドバイスをお寄せいただいた。
わたしにとってはコメント数が多すぎて、まだお返事はしていないのだが。

人によっては、いくつもいくつも、たくさんコメントが寄せられていても、
ひとりひとりに、ざざざっとお返事コメントを書いておられるのを見かける。
時間も相当かかるだろうし、
わたしの場合、そんな形式だけの、やっつけ仕事的なコメント返しは、自分の志向にあわない。
なかには、コメント欄にはコメントしにくいということで、メッセージを送ってくる方もいた。
一気には無理だが、少しずつ、返していこうと思う。

悩みというものは、まじめに真剣に取り組んでいると、
読んでくださった方も、まじめにアドバイスしてくださるものだと感じた。

おなじ思考空間にいる人々とは、こころの交流というものができる。
次元が同じ、目線が同じだと感じる。
まして、共通の趣味の世界の話だと、目の色が変わる。


逆に、まったく別次元、別世界に住んでいる人同士は、接点がない。
お互い、まるで、こころのひっかかるところがない。
それはそれで、棲み分けが出来て、衝突やトラブルを回避できる。

わたしのよく知っているAちゃんと、Bちゃんは、同性(女子)、1歳違い。
同じ時期に結婚し、同じ年の子供がいる。
まったく接点はなく、お互い、接点がないことを認め合っている。
それはそれで、キモチよく、接点がない者同士で、話したりしている。
傍らで見ていると、おもしろい。

子供の学年もいっしょだから、今後、なにかと、比較したり、されたりするのだろうけれど。
生きる道、スタンスが違えば、べつに、人は人の道。
お互いの道は、お互いが選択して歩んでいるのだから。

羨ましいとか、どっちが上だとか、下だとか、そういうことはない・・・はず。
自分の道を築いてきたのは、自分なんだから。
理想や目標に向かって、歩いてきたはずだから。
途中で挫折したとしても、それは、自分が挫折したのだから、自己責任だ。
だれのせいでもない。

それを、人のせいにするなんて、もってのほかだ。

ああ、ワタシのアタマが悪いのは、・・・ワタシがぶさいくなのは、・・・親のDNAのせいだ・・・
(同じ親から生まれた、きょうだいでも、イイのも良くないのもいるが)
ワタシが、○○なのは、○○のせいだ。ワタシには、まったくなんの責任も非もない・・・

わたしは、そうは思わない。
○○なのは、自分のせいでもある。
(ただし、災害や事故、病気など、どうしようもない特例は省いて)

この考え方は、うまくいかなかった時や失敗した時は、
自分を責めすぎて、鬱(ウツ)になる可能性もあるので、要注意。
さらに、人が、自分より秀でている、素晴らしいのは、自分が劣っているからだ、
などと、当たり前のような、わけがわかりきっているけれど、わけがわからない、
マイナス志向に囚われると、ろくなことがない。

人を責めたり、自分を責めたりせずに、
人や世の中を否定せずに、
あきらめずに、努力をする、向上心を持つことが大事だと言いたい。
まわりを否定したからといって、自分まで否定せず、
自分を肯定すること、自分を信じることから、よい実は生まれると思う。

なので、ひねくれている人は、まず、そのヒネ曲がったところを真っ直ぐに戻すところから始めて、
そのあとは、大地に足をしっかり付けて、ぐらぐらしないよう、
自分のポジションを把握しつつ、それなりに前向きに生きて生きたいものだ。

これ、ヒネクレ者のわたしのこと、自分に言い聞かせている。

 

 

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