蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自分の昭和

2024-04-16 | 思い出
昭和レトロが人気らしい。
歌謡曲も、昭和歌謡。
令和の10代、20代は、石原裕次郎とかではない。
松田聖子、中森明菜、、、
が、似たような時代?
対象が違うだけか。
オッチャンと若者。
わたしはオッチャンではないが、いやというほど石原裕次郎の歌を誰かが安酒場で歌っているのを、かつて、聴いた。
歌が出来たのは、もっともっと前。
感情移入、全く出来ず。
世代背景は同じなのに、やはりわたしはオッチャンではないからだ。
リアルタイムでビートルズを聴いた第一期ビートルズ世代にしては、わたしは少し若い。

今、思えば、貴重な時期をつまらないことに必死になって潰してしまった。
子育て、家庭を犠牲にしてまで大切なものか?
ノン、否。
「自分育て」と「家庭育て」を同時進行していた。
当時は洗濯機の中に、あれこれ一緒くたにして回していたようなかんじか。
だが、後にならなければわからない。

家に引っ込んでいたら、もっと後悔しただろう。
当時は必死だったが、個人的嗜好に走っただけで、たいした成果はない。
何度も言うようだが、自分の欲求、満足のために、家族を犠牲にした。
(捉えようは様々だが。自分が理想とする良妻賢母ではなかった)
そして、自分のすることなど、たいしたことはなかった、ということがわかったのだから、上出来だ。
ごめん、わたしの家族たち。
「自分育て」の(結果的には)踏み台にした。
女性も時代と共に自立に向かう。

しかし、全身全霊をかけて子育てしていたからといって、自分が納得できず満足してなければ、どうか。
良い結果が得られたらいいが、悪い結果になっていたら、努力はパー。
子供たちに自分の全エネルギーをかけていたなら、成果を当然求める。
自分の理想を子供に押し付ける。
ある意味、広々柵付き放牧状態は、そう悪くはない。
過保護で子供の自主性の芽を摘むよりはマシと思っている。
自己擁護に過ぎないが。

とは言え、やってない架空のことを想像しても、実際にはやってないのだから意味がない。
やってきたことだけが残る。
あの時の選択では正しかったのだ、と思う他はない。

自分としては、親には感謝。
それだけだ。
甘いわたしは、「求め過ぎるな、足(たる)を知れ」とは言われたが。
それにしても、昭和の高度成長期はすごいパワフル。
その時代に育ったことはラッキーだった。
各、個人によって様々なケース、違いはあるにせよ。
あ、ついでに夫の親には感謝。
「ついで」で申し訳ないが。
さらについでに、夫にも感謝。
どこに最も感謝かと言うと、今まで健康にいてくれ、休むことなく働き続けてくれて。
あとは、DVも借金もギャンブルも不貞もせず、たいしたトラブルも事故もなく、平穏無事に今日まで来た。
故障しなかった身体とメンタルに、感謝。
今後は歳を取って行くので、生き物の常として、衰えることは必至。
努力も最低限、抗うのも最低限にして、受け入れながら生きていく。

※写真は、八尾市の江戸〜明治の旧家。
土間の雰囲気が、田舎での幼い頃の記憶とオーバーラップする。

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