蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

コガネムシではなく小金持ち

2024-04-15 | 読む人々には興味ない話
わたしは小金持ち風ティストが苦手だ。
小金持ちそのものが苦手なわけではなく、小金持ち「風」「ティスト」が苦手。
これは、あくまでもティストであり、実際の財産、不動産や預貯金の有無は関係ない。
自分が勝手に脳内でイメージするもの。

マダムサロンに漂う雰囲気?
マダムサロンも、一種のロビー活動のような感じで、夫の仕事や出世に一役買うのなら、あるいは、コミュニケーションで仕事人間関係の潤滑油になるなら、と気配り、尽力すると思う。
「プロ野球・妻の会」「歌舞伎役者を夫に持つ妻たち→梨園」みたいな世界はさておき。
なぜ、さておき、かと言うと、自分には無縁なので関心がないから。

もっと実業界だの、法曹界だの、経済界だの、教育界だの、政界だの、、、そう世界なら身近なのか?
ノン、否。全く別世界ではあるが、興味はある。
なぜなら、「◯◯の妻」ではなく、本人の世界。
それはそれとして。
たんなる、知らない世界への好奇心。

本人が、例えば、政治家になった三原じゅん子に関心があるかというと、べつにない。
政界での活躍より、最近では高級車盗難被害遭遇のほうが実際の動きとしては印象に残る。
といっても、LINEニュースで見ただけで、わたしとは何の関わりもないが。
車庫は、都内の自宅に続くスペースのようなかんじだったので、国会議員さんは、やはり高収入のようだ。事業、多角経営とか?
これは、小金持ち?
まあそれはよいとして。

あくまでも、〇〇風、というイメージ、ティストの問題。
生き方にも関わってくる。
高級品を身につけ、高級品に囲まれた暮らしをしているのが、わたしが描く(狭義の)金持ちイメージ。
では、小金持ちとは?
金持ちのスケールを少し小さくしたかんじ?
ノン、否。

わたしが勝手にイメージ付ける小金持ちとは、、、金持ち自慢。
誇らしげに外に向かってアピールする、その鼻につくニオイが、苦手なのである。
自慢しなくても、垣間見えてしまうのはまあ仕方ないにしても、、、
ただ、わたしが苦手なだけだが。

それと、特権を振りかざす人。
このニオイには頭痛がする。
1日も早く失脚することを願ってしまう。
自分では気づかないだろうけれど、長年、積み重なると、強烈なニオイを放っている。
なんであんなに横柄な、嫌な感じになるのだろう。
家族も距離を取り、誰一人として近寄らないのではなかろうか。
特権を目当てに群がる人々も、特権を失い失墜したら、誰も着いてこないだろう。
特権に溺れた悲しき副作用。結末。
こういう人は、おそらく一生、治らないと思う。
人生には、プラスとマイナスがあるようだ。

小金持ちは、妬まれる。
妬まれないように仲間うちでワイワイしていればよいものを、チラと仲間以外の人にも見せたくなると思われる。
自慢気。
だが、性格が悪いと思われるのは避けたいため、平等精神を心掛けている、、、のが、見え見えの人がいる。
単に、わたしが捻じ曲がり、ヒネクレ者なだけであるが。
やはり、テリトリー内で活動するほうが摩擦が少ない。無難。
価値観を共有できることが多いから。
定年後、どこどこに勤めていた元〇〇、という肩書から離れられない人もいるようだが、わたしのイメージでは一昔前の定年族のように思える。
今の定年族は、リタイアする前からリタイア後の準備をしているため、職を離れても自由を謳歌する無職またはアルバイト、または第二の就職に、軟着陸しているように感じる。
(働かなくては年金では生活できない高齢ワーカーはまた別の話として)

例えば、、、偏見イメージではあるが、、、
小金持は、ホノルルマラソンに参加する。
近所を走るだけでは物足りない。
これは素晴らしい。
登山をする。汗をかく。
ブランド品をジャラジャラ身に付けない。
お金や肩書でないところで、汗を流す。
小金持を意識させない。
だが、高品質、高価格の、快適性、品質重視の普段着を着る。
ユニ◯ロの人もいるが、ハイレベルな品質に自分自身のためにこだわり、ユニ◯ロでない人もいる。

わたしが勝手に抱く小金持イメージを、決して否定しているわけではない。
良いイメージもある。
個人的な好みであって、カレーが好きな人も苦手な人もいる。
ただ、ああ、あの人のことかな、と顔が思い浮かぶ人は、一人や二人、いると思う。

別にどうってことのない、〆のない話になってしまった。

蛇足であるが、
人は、ゴシップや噂話、その場にいない人の悪口が好きである。
そんなことに全く関心がない仙人もいる。
仙人たちが集まって井戸端会議する図を想像すると面白い。
話題はなんだろう?
収拾がつかなくなりそうだ。
やはり仙人は千人集まって、世界平和を願う世界会議あたりを想像するが、決して不幸を生み出す新興宗教会議であってほしくない。


※写真は、ぼんやり小さくわかりにくいが、大阪城の上空を飛ぶ飛行機。
どんどん何機も次から次へと飛んでいる。