蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

一生、癒えない傷

2024-04-13 | わたし
「フラッシュバック」というタイトルの蝶ブログ過去記事。
どなたかが引っ張り出して読まれたようだが、その記事を読んだ。
またまた、フラッシュバックした。

一度や二度ではない、フラッシュバックの引き金は、、、
突然、やってくる。

夫は、高校卒業後、親元を離れ賃貸住宅に単身で住んでいた。
そう書くと、自立した人のように聞こえるが、とんでもない。
大学の学費、住居、生活費、全て親持ち。
さらに近隣の市に住む叔母の家に、(自宅に家電一式、洗濯機も親に買い揃えてもらっているのに)洗濯物を持っていき、そして食卓を囲んでご馳走になっていた。
実家からは下着だの衣類やその他が、どんどん送られていた。
夫は、叔母家での大好きなメニューがある。
それを普段の今の生活で、キッカケがあると嬉々として夫は話す。
その瞬間に、わたしの脳内は瞬間的に爆発する。血管がブチギレる。
洗濯をしてもらい、ごはんをご馳走になり、生まれた時から知っている叔母一家、楽しい明るい暖かい家庭で好意と愛情に包まれ過ごす。
無邪気に素直に、何の憂もなく明るく育つ。
美しい光景。
(わたし以外は)全員が良い人々で幸せな時間。

親(姑)は子(息子)に、過保護、過保護、過保護、過保護、過保護。
食事が出来たら右手にお箸だけ持たせ、食事が終わったら箸を鉛筆に持ち替えさせる。
教育ママ。
ボクちゃんはお勉強だけしていたらイイのよ。
(社会人になってからは、
アナタはお仕事だけしてたらイイのよ。
→家庭は妻の尽力による癒しの場の提供)

その幸せ溢れるシーンで、なぜ、わたしの血管がキレる?
一種の条件反射。癒えることがない病気。こころの傷。
おそらく、目が開いたのだろう。
自我の目。
目覚めても、どうすることもできない不幸が待っているだけなら、目覚めないほうがいい。
目覚める時期、タイミングにもよるが。

世の中には、不条理なことや矛盾がいっぱいごろごろある。
時代が違うと価値観も違う。
今頃なんだかんだ言っても始まらない。
なぜかいつも不機嫌な妻たちを見て、理由はわからないものの、触らぬ神に祟りなし、と、腫れ物、危険物注意の精神で夫たちは接する。
不機嫌、突然の激怒は、積もりに積もった鬱憤なので、どうすることもできない。
長い年月の間に、形や大きさ、形状が変化している。巨大な妖怪になっている。
今更、解けない、溶けない。
出口を失い抱え続けた弱者の怨み。
原発の汚染物質のようなもの。
地中、深く、埋めるしかない。

その一方で、、、自分だってそうだ。
同類。
人のことは言えない。
見方を変えると弱者ではない。
なのに、わたしは消えることのない不満を抱え続けているのに、なぜ相手は何も感じていないのか。
原因を解明できないが、妻が不機嫌な理由は自分(夫)にあるような気がするため、出来るだけ神経に触らないようにしているかも知れない。

2050年には独居老人が激増するらしい。
結婚しない、子供がいない。
人生ライフスタイルは個人の自由。
(老夫婦で死別もあるが)
結婚に求めるものが、複雑になっている。
結婚しないのも、よくわかる。
折れ合うことをしないと無理だ。
理解できない、納得できないものをそのまま抱えて進めない。
ではあるものの、生活は妥協なしには成り立たない。
自分を押し殺してまで結婚したくないのは一理ある、、、が。

身体に何も大きなトラブルが発生しなければ、2050年に、わたしはまだ生きているかも知れない。
たぶん、独居。
いや、ひょっとして、、、老人ホームの別階で別居?
あるいは、同じ墓の中で眠っている。