蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

「過去は未来」という夢を見る

2018-04-04 | 老い
「私、認知症が心配なんです」
と、軽いジョーク混じり、本気半分で言ったら、
「薬飲んでる? 少しでも症状を遅らせる薬、今はあるでしょう?」
「専門の先生に診てもらった?
勇気をもって、診てもらってください」
と、ある人に、背中を押された。

えー?
私、認知症なの?
本気にされたことに、ショックを受けたけれど、まあ、自覚症状もあるし。
でも、30歳代も、あまり変わらないところがあったし。

認知症の人は、自分が認知症だと自覚していないらしい。
だとすると、自覚しているわたしは、認知症ではないということか?
どっちなんだ?
まあ、歳相応の物忘れは、しっかり。
歳より、天然の分だけ、物忘れにも拍車がかかっていると思うが。

バスの中で、お年寄り同士が、
「あんた、認知症の薬飲んだら?」
「何いうてんねん、そんなもん、飲まんでもええわ」
と大声で話していた。
シャレにならないなあ、笑えないなあ、とわたしはジョーク扱い出来なかった。

「北の桜守」の吉永小百合。
美しく気高い、認知症役。
でも、脳のスキャン?MRI?では、深刻な病気ではないような風だった。
(病名は、よく覚えていない。肝心なことなのに。
アルツハイマーではない、とは言っていたような気はするが)
映画の中で舞台を取り入れ「劇中劇」仕立ての、新しい試み、テイスト。
吉永小百合は上手いなあ、立派な役者さんだと思った。
あれで70歳を超えているとは、、、。
今のわたしは、もう気持ちは完全に後期高齢者だ。
涙と鼻水で、またもやハンカチはしっとり、ぐっしょり。
(キャラクター、ケロケロケロッピの、娘が子供の頃のお古ハンカチだ)
嗚咽を堪えるのに必死だった。
わたしの涙腺は、ほぼ故障している。
時代考証として、40〜50年?前の当時のファッションが面白かった。
メガネと靴が、決め手。
役の中での、中村雅俊のシルバーメタルフレームの大きなメガネ、堺雅人のヒール靴、ビートルズ世代と重なる?
車と家も、時代を語る大道具。

と、途中から、映画の感想に移行してしまった。
認知症の自分と出会う、ひとつの試み、体験になった。
自分もやがて歳を取る。確実に。
過去を振り返り、現在があり、未来に繋がる。
果たして未来は?
認知症という神様からのプレゼントを受け、過去に生きた世界での夢を見続けるのだろうか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。