蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

寒さに負けた、ルーブル美術館展 

2009-09-03 | 展覧
学生さんの夏休みが終わるのを待って、
国立国際美術館に、ルーブル美術館展を観に行った。

考えることは皆さん同じのようで、結構、会場は混んでいた。
ぞろぞろぞろ。
自分のペースで観ることができない、苛立ちは、まあ、しかたない。
我慢できないのは、エアコン効きすぎの、あの寒さ。
音声ガイド器を借りたのだが、観るペースのほうが早くて(寒いから早足)、
音声が作品の後追いすることも、しばしばだった。
ナレーターの藤村俊二の発音が、部分的に、おかしなところがあり、それが気になった。
ナレーターで、発音がおかしいというのは、命取りだと感じた。
ちゃんと発音できない音があるなら、ナレーターとしての仕事は、辞退するか、引退すべき。
彼が後期高齢者の仲間入り直前といっても、大目に見ることはできなかった。



肝心の内容だが・・・・
同時展覧の「やなぎみわ」の「婆々娘々(ぽーぽーにゃんにゃん)」は、
とてもおもしろく、興味津津。
フロアーが違うせいか、その時は、まだ冷房も苦痛に感じるほど効いてなかったし。
ただっ広い空間に、大きな作品・・・なのだから、
せめて、作品の横に掛けてある、作品に関連した説明文(散文=イメージコピー)を
もっと大きくしてほしかった。
誰か一人が、文字の目の前で読んでいると、
他の人は、遠く離れた位置からは、文字が小さすぎて読めない。
散文を読みたくても、あまりにも読むのが遅い人が読んでいる場合は、
散文は、飛ばして、次の作品に行かなければならない。
幸い、他に誰もいなくて自分一人になって、散文を読むことを独占できても
目の前でも文字が小さすぎて、あまりよく読み取れない。(私、目が悪い・・・)

あの小さい文字、あれもデザイン効果、視覚を考えてのことだとしたら・・・
「50年後の老後の自分」を表現していることがテーマの展覧なのに、
肝心のところが抜け落ちているような気がした。
所詮、机上の空論。
老化した自分を想像するのは、頭の中だけであって、
老化後の体の衰えの表現も、見かけだけに、とらわれ、中身を重要視していない。
作者はまだ若い女性なので、そのあたり、理解しろ、といっても無理だろうけれど。
内容は面白いけれど、せっかくのテーマを、うわべだけのお遊びにしてしまっている。
核心のところでは、かなりボヤケた、理想論、空想論に終わってしまう。
かえって、若い人の無理解に、哀しさを覚えた。

と、ここまでで、ルーブル美術館展の手前の展覧に、こんなに文字を費やしてしまった。
エネルギーは、ほぼ使い切った感がある。
テンションを維持できない。
申し訳ありませんが、ルーブル美術館展に関しては、
他のメディア(特に朝日新聞)などで、論評をご覧になってくださいませ。


とは言うものの、ちょこっと感想を・・・
子供を軸に展開した、人類の遺産との対話。
観る前に資料、解説、内容などを把握して行っていれば、もっと、ちゃんと観たのかも知れない。
一応、すべての展覧品は観たが、(しかも有料の音声ガイド器まで借りて)
事前予習なく、さささあーーっと、観てしまった。(寒いせいも、大いにあったが)

自分が好きなジャンルは、古代モノではないようだ。
何千年も前に出土された貴重な品々には、あまり興味がなかった。
私はキンピカ宝飾類、あるいは、重厚な作品が好きのようだ。
鑑賞用品、タペストリー、絵画、陶器、衣装・・・そういうものが好き。
中では、キューピットの天使たちが、可愛らしかった。
自宅に帰ってきてから、詳しく載っている資料を読んでみると、
とてもとても重要で貴重な品々が、いっぱい集められていたことを知った。

今回は、美的好奇心、歴史的興味より、寒さに負けた。
それと、あまりにも古いものには興味を示さない私。
完璧なままの姿の美しいモノが好きなようだ。
それにしても、ああ、寒かった!
じっと座っているスタッフの方々、さぞや寒いだろうとチラリと見ると、
長袖パンツスーツに、大判ショール、・・・羨ましかった・・・。
3時間も観ていた私が悪いのかな?
今度は、防寒用品をどっさり持っていこうっと。



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