昨日、延々3時間かけて書いて非公開にした、自慢記事。
懲りずに加筆、訂正した。
で、やはり非公開が良さげと感じて、お蔵入りにした。
非公開、下書き記事が並ぶ、そこで見つけた、書きかけの記事。
日付は今年の5月20日になっている。
なんで非公開にしているのだろう?
ひょっとして公開しているかも?
パラパラと過去公開記事をあっさりチェックしてみたが、見当たらなかった。
(スマホなので、見方が雑かも)
同じ人物(わたし)が書いているため、いつも同じような内容で変わり映えしないが、お蔵から出してみる。
アップします。
重複アップしていたら笑ってください。
↓
・・・・・
幸せな幼少期、、、なんて、たぶん誰も興味がないと思う。(よほどの推しでもない限り)
なぜか?
他人の不幸は蜜の味だからだ。
ああ、この人に比べるとわたしは幸せだ、、、なんて、自分を慰める時に役立つ。
だが、ああ、この人に比べると、なんてわたしはダメなんだろう、、、なんて、落ち込む必要もないのに落ち込んだりしては、マイナス効果以外のなにものでもない。
苦労は買ってでもせよ、というが、出来れば誰もしたくないはず。
失敗は、したくなくてもするのが普通だ。
失敗と苦労は似ている??
自分の為になる、自分を成長させるのであれば、苦労も失敗もしたほうが、人生のヒダが増える。引き出しも増える。
が、凄惨な過去といっても、その後、どういった人生を送っているかで、活きたり、悪い影響を及ぼしたりする。
悲惨な過去を語りたがる人もいて、引かれる場合もある。
ブログで悲惨な毎日の様子を綴ったとして、読む側はどうだろう?
励ましたり応援したりする人もいるだろう。
ただただ暗い気持ちになり、暗い毎日を擬似体験しても、それに比べてわたしは、まだマシ、、、なんて思い続けるか?
好奇の目で、興味本位で、人の人生に踏み入られては、たまったものではない。
今はブログは下火で、注目を浴び、もてはやされた頃から20年は経っている。
取り残された、アナログ感を強く感じる。
ではあるが、別にトレンドなど全く関係ない場所で棲んでいると、時代にいちいち振り回されなくてよい、ブログは安心、安泰の快適な居場所になっている。