蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

兄たちの肖像

2022-10-29 | 人生
それはそうと、、、。
今朝、兄たちに逢いたくなった。
二人とも幼い頃にもうこの世を去っているので、その後に生まれたわたしたちきょうだいは、兄たちの顔を知らない。
先日、彼岸に実家を訪れた時に初めて兄たちの生前の写真を見た。
わたしは、今まで一度も兄たちの写真を見たことがなかった。
父が、思い出すのが辛いからと、兄たちの写真は破り捨てられ、アルバムには剥がしたあとがあるだけだった。
が、姉が、古いアルバムを見せてくれた。
そこには初めて見る兄たちの顔があった。
無性にポロポロと涙が流れた。
こんな顔をしていたんだ。
名前しか知らなかった兄たち。
家族揃って、若い父、母と兄たちの四人の家族の肖像があった。

こんな可愛い盛りに次々と子供たちを亡くした父と母。
上の兄が3歳ぐらい、下の兄が1歳ぐらいの写真だった。
モノクロの若い家族写真だった。


父は他界している。
顔も人生も丸ごと知っているし、時間を共有した日々だった。
だが、夭折した二人の兄たちは、話は聞いていたものの、顔を見たことはなかった。
先日、初めて見た時は、さらっと見たが、今回はマジマジと見てみた。
こんな顔だったのか、、、あどけない幼児。
誰に似ているのかな、生きていたら二人とも70代。
胸に迫るものがある。

わたしの小さい頃の写真も見た。
わたしの長女の1番下の娘(4番目孫)に、少し似ているような気がする。
写真に写っていた当時の年齢的なものが持つ特徴か。
3歳になっているか、なっていないかの頃。
3人きょうだいの中では、ものすごくユニークで個性的な上二人の特徴が濃すぎて、わたしのまあなんと存在感がないこと。
目立たない。
おとなしい女の子というかんじ。
姉は、見た目は漫画に出てくるような、気の強い負けん気いっぱいの女の子。
兄は別として、
そりゃあ女の子二人揃うと、大人達がわたしたち姉妹に投げかける言葉は、似たり寄ったり。
小学生だったある日、立ち寄った店の店員さんに、「同じ学校のお友だち?」と聞かれた。
同じ苗字の名札を二人共、胸に付けていたにもかかわらず。
たった2歳しか離れていないのに、全く正反対の姉妹だった。
どうも遺伝子に偏りが見られるようだ。
きょうだい、5人もいれば、色々バラツキもあるだろう。

上の二人の兄が生きていれば、わたしの人生も少しは変わっていたかも知れない。
すぐ上の兄は、全くころっと生き様が変わっていただろう。
ある意味、上二人の兄が夭折したための、気の毒な犠牲者になったのかも知れない。
三男として生まれて育ち成長していたら、自分らしく、のびのび生きていただろう。
可哀想で同情する。が、仕方ない。
そういう宿命か。
静かに受け入れている。

わたしは、逢ったこともない兄二人に逢いたくなったらいつでもスマホに取り込んだ写真で逢える。
写真を見たくなる感情が湧いてきた瞬間にはもう目の奥がじーんと熱くなっている。
ウォーミングアップ状態で、感情が先走り、フライングして既に涙。
実際にスマホを開いて写真を見る頃はもう涙ほろほろボロボロ。
何に対して涙が出るのかわからない。
もう人生の変更が効かない、すでに夭折した、顔も知らない兄を思ったところで、何を思うのか。
しかも、生きている期間、時期はズレているため、逢うことは不可能。
兄たちが亡くなってからわたしたちは生まれた。
懐かしい、という感情はあり得ない。
人生が花開かず閉じてしまったことに対してか。
他人ではなく、わたしの実の兄たち。

ちなみに、兄たちが生きていたら、家を長男が継ぎ、わたしたちは、兄嫁や甥姪たちを遠くから見ながら、静かにゆっくり実家から離れて行ったことだろう。
今のような状況や関わり方、心情にはなっていなかったと予想できる。
時も流れ、時代も移ろいだ。




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