蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

愛だ恋だ結婚だ

2024-08-10 | 日々のこと
昨日はまた地震。
ああ怖い。
一昨日は枕元に、スニーカーを用意した。
昨夜は、しなかった。
緊張感が、やや緩和された?
ずーっと緊張していては、こころが、もたない。
が、TVで速報が出ると、どきり。
一番心臓によくないのは、携帯アラームが周囲あたりに一斉に鳴り出すこと。
日本は治安は良いが、自然災害が多い国だと実感する。


ちなみに。
熊谷真実が3度目の結婚だそう。
2回目の離婚から3年後。
64歳で、3人目の夫、8歳年下の男性と再々婚。
身軽な人は良いなあ。
何のしがらみもなくて。
かといって、羨ましいわけではない。
8歳も年下だと、老化の進度が違うから、老化による心身の変化について、年齢差による実体験を伴う理解は出来ないだろう。
だが、その一方で自分が介護する側ではなく、される側になるので、不安は薄まる。
8歳も若いと、かなり心丈夫。
8歳上と比べると16歳も若い。
自分が70歳近くなると、身近な人が若いと頼もしい。
もはや恋愛感情や男女感覚ではなく、別の、生活サポート、協力体勢がアタマに浮かぶ。

さて、そこで。
好きな人について。
仮に私が今、独身で、好きな人が出来ても結婚しない。
入る墓まで決まっているし、(もちろん、やめることだって出来る)わたしの私物やら、お気に入りのものや、居場所、空間を失うのは辛い。
失わずに結婚することも不可能ではない。
(あくまでも仮の話し)
が、全てを捨てて、例えばハワイに移住、、、だとか、、、不可能ではないにしても、わたしは行かない。
取らぬ狸の皮算用、とは、このことだが。


日本人にはカップル文化は育たないそうだ。
男尊女卑の思考が蔓延り、有能な女性を活用しきれない社会風土。
結婚も然り。
亭主達者で留守がよい。
ただし、必要な時に居なくてはならないそうだが、必要な時にも居ない亭主も多い。
必要な時に役に立たない亭主もいる。

わたしは、現在は専業主婦なので、イエとセットになって夫がいる。
ついでに墓も付いてくる。
あの世の先も予定が立っている。
生活の一部、パーツである。
大黒柱とはよく言ったものだが、今の世の中では大黒柱は2本になっている。
1本だけだと嫌がる男性もいる。

そもそも、わたしは自分が生まれ育った環境とほぼ同じような位置へ、結婚によってスライドした。
夫はその結婚というジグゾーパズルの中の1ピースである。
重要なピースは、ひとつひとつ消滅していき、その代わりに新しいピースが生まれた。
ジグゾーパズルそのものを増やしていくならいざ知らず、何度も変えるのは、せっかく微妙に組まれたパズルなのに、リセットしたくない。

例え、ピースの一つである夫が消滅しても、ジグゾーパズルは枠はそのままで、しっかり存続する。
だが、わたしが消滅すると、ジグゾーパズルも消滅するかも知れない。(思い上がりではある)
しかし、わたしがジグゾーパズル構想を、過去の先祖の人々から受け継ぎ、打ち立てた。
構想者がいなくなると、壊れてしまうことは想像できる。
とは言え、さほど体勢は変わらず、どうにかなるのは、目に見えている。

わたしは単身ではないからか。
夫が消滅しても、大きな流れの中の1パーツが欠けるだけ。
わたしが消滅しても同じこと。
だが、後に残る子孫たちに、なんらかの意思表示はしたい。
なんていうと、一代一代で完結する他宗教とは違い、いかにも仏教的思考なのだろうか。
とかなんとか、よくわからないが。
うちの家系だけのオリジナル思考かも知れない。

なので、いろんな人と結婚、離婚を繰り返すのは、大ゴトで重い。
「身軽」の反対。
宗教や家訓の名を借りて、離婚しないことを勧めているだけか。
ではあるが、なぜか一族、離婚した人はいない。
離婚が重罪だなんていう教えは残っていない。
たぶん、昔は生き方に選択肢がなかったのだろう。

選択肢がないのは、不幸か?
だが、多すぎる選択肢は、幸福感を減少させる。


あ、最後に、「虎に翼」。
ドキドキの展開に、心臓が躍る、躍る。
ああいう愛情表現、言語化説明もあるんだなあ、、、と、すごく参考になった。
参考にしてどうする?ではあるが、恋愛について、とても納得できた。
ではあるが、相手が岡田将生では、理屈なんか溶けてしまう。
好きに理屈はない。