蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

能率主義

2022-10-28 | わたし
学生の時、経済の授業が大好きだった、、、先生もユーモア溢れ、わかりやすく情熱をもって教えてくれたにもかかわらず、、、ずーっと私は居眠り。
これは脳が、「望んでいること」と「現実」には差がある、もしくは、不向きなことを望んでいる、理想と現実にはギャップがある、ということだろうと推測した。
経済の授業をイキイキして受けて身につけるカッコイイ自分と、実際には全然そうでない、授業内容を理解する以前に、受け付けない自分が分裂していた。
積極的に興味があるのに、受け入れられない理解できない、乖離。

私は、学問や思考には向いていないということ。
(あ、実務にも向いてない)
趣味分野においても、そう。
テキストやYouTubeで解説されているものを熟読、熟視すれば、理解が増すにもかかわらず、目や耳を通して脳から伝達されるものには拒絶反応を示しているのだろうか。
何度も何度も屈することなく、諦めることなくトライすれば、少しずつでも理解、上達できるものを、毎度拒絶してしまう脳。
思いは熱いが、脳は薄い。
長い長い年月、それの繰り返し。
強い意志は岩をも通さないまま、今日に至る。
意志薄弱ということだ。
受け入れたい側と、受け入れたくない側では、頑固な閉められたシャッター脳の勝ち。
開けたがる脳の負け。残念でした。

脳を通さず、実践、体当たり派。
考えなし。
それはそれで、当たって砕ける。
学習せず、性懲りも無く何度も何度も繰り返す。
脳(アタマ)は何のために付いているのか。

(※ちなみに、ダンスにおいては、頭の重みを利用して回転する。
機能や中身【ソフト】としての頭ではなく、物体【ハード】としての役目を果たす)


自分に甘い。何が何でも、と頑張らない。
ある程度してダメなら、しがみつかずに代案を用意してしまう。
だからモノにならない、、、が、欲望は消えず、他の動きはある。
高い山に自力で登れないなら、頂上までヘリコプターで行く。行動力はある。
が、中途半端な生半可な自分である。
あっさり諦めてしまうところが、じつに良くない。
それが嫌なら、地面に貼り付いてでも頑張れば良い。
のではあるが、、、頑張っても頑張っても、不毛なものへ努力している。
それなら、同じ頑張るなら、同じエネルギーを使うなら、もっと効果が高い、能率の良い頑張り方をしたほうがよいと考える。
省エネなのだ。
短所を克服するより、長所を伸ばしたいタイプ。
せっかくの頑張りが無駄になっている、エネルギーの無駄遣いを惜しがっているのか。

骨の髄まで成果主義なのだろう。
美談とは程遠い。
プロセスより結果を重視してしまう。
効率が良いほうが、結果もその分、良い。
結果より努力を評価して重んじる傾向がある日本人的思考ではないのかも。

立ち止まったまま動かないと、進まない。
立ち往生していると「欲望」は早く進めと背後から圧力を加えてくる。
ある意味、短気だとも言える。
待てない。

わたしの長所は待てることだ、とある人に褒められたことがある。 
が、実際のところは気長に待てないではないか。
人のことや物事は待てるが、自分のことは待てないようだ。
自分でやるより、やってもらうほうが早いし精度も高い。
白米ご飯が大好きでも、自分では稲作しない。
買ったほうが手っ取り早くて便利で美味しい。

苦手を克服し、自分ですることに意義があるらしいが、自分自身をとうに見限っている。
代理人にやってもらえば、苦労しなくても済む。
それは自立心がないのとは違う。
(人々が)わけのわからない、こんがらがった案件は税理士や弁護士に依頼するように。
自分だけの力でやり遂げようとするなら頑張るのは大いに結構。
ただし、分野や案件による。
不正解なんかない。 
どれも正解だ。
答えは一つではない。



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