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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

クロワッサン症候群

2021-04-20 | 人生
半世紀前の自分。すでに義務教育は終了。
あれから50年。
半世紀かけて、醸成されて良い味を出している、と自分では思っている。
熟女とはまた違う方向性。
性別はあるようでないようで、ユニセックス、ユニバーサルデザインのようなもの。
ついでに、年齢枠もない。

四半世紀前、インターネットが初めて繋がってお話ししたのが、香港の中学生男子。
彼はもう40歳にはなっているか。
お互い、ハンドルネーム。
国籍、性別、年齢を超えた繋がりだった。
今も当時のそれに近いかも知れないが、関心事や近況を書いていると年齢はすぐバレる。
魂の深いところで繋がっている場合は、あまり気にならないが。
だが、背景は本人を形成する欠かせない要素だ。

浮世離れしているため、現実世界ではあまり友達はいない。
(「今でしょ!」でおなじみの元塾講師、林先生も「友達いない」と、テレビ番組内で言っていた。関係ないけど)
インターネット上では、こころを開いていることが多い。
リアルなわたしを知らない人に対しての発言は、お互いに負担が少ない。
発言に責任を持たないかというと、微妙なところ。

ちなみに、、、
クロワッサン症候群というのがある。
クロワッサンという名の雑誌の掲げる理想の生き方モデルであるシングルを追いかけていた読者。
途中で、編集方針を既婚ダブルインカム、お洒落なワーキングママにモデル変更された。
それまでクロワッサンに影響を受け独身を貫いてきたが、今更やり直しがきかない年齢になり、出産からも結婚からも置き去りにされた女性たち。

桐島洋子さんが、当初、その生き方モデルとして読者を牽引していく格好になった。
彼女は3人の子供を持つシングルマザーの草分け的存在だった。
当時はまだ保育制度が今ほど整っていなかったため、産休や育休などなかったようだ。
立て続けに毎年、産んだばかりの赤ん坊を知人の未亡人に連続して預けた、とのこと。
母親に、ではなく、知人の未亡人に。
ざっくりインターネットで調べたところ、桐島洋子さんが50歳ぐらいの時に海外に行っている間に、ご両親は亡くなったとか。
孫が生まれた時はご存命だったにもかかわらず、預からなかったと見られる。
出産に反対したのかなと勝手に推測する。

桐島洋子さんのルポタージュ著書「淋しいアメリカ人」は、読んだことがある。
内容は、あまり印象に残っていない。
が、あの時代なら、そうとう破茶滅茶、破天荒、おてんば娘だろう。
わたしは憧れはしない。
というよりは、無理。
そんなエネルギーも能力も気力も実行力、実践力もない。
生きてきた背景があまりにも違うから、そんなストレスの山に挑もうとは思わない。
比較するのは不毛。
そういった人を生き方リーダーイメージとして君臨させて、一般の普通の人を引っ張っていくのは良いが、自分と桐島洋子さんは能力や運不運、その他、違う、という、現実とのギャップに気づかず、後戻りできない年齢になってしまった読者に、どう責任を取ってくれるのか。

自己責任。
世の中、信じられるものは、自分しかない。
裏切られたり失敗したら、外因に責任を押し付けても、責任を取ってくれないことが、ほとんどだ。

わたしは、自分ほど信じられないものはないと思っている。
じゃあ何を信じろと?
自分を信じられないのだから、他人も信じられない。
とりあえずまだ一番良さそうなものを信じて、たまたまうまく行けば、儲けものだ。
うまく行くとは限らないのが常、と思えば、腹も立たないし、悲しくなっても一瞬だけ。
失敗マイナスが転じて、その後、プラスになることもあるのだから、長い目で見ないとわからない。

ちなみに、腹立たしいことがあっても、命まで取られない。
(「憤死」なんていうのもあるが)
復讐や仕返しを脳内でシュミレーションして鬱憤を刹那的に晴らしていると、時間が経つとまた事態は変わっていることもある。

近年、桐島さんの言っていたことが、たまたまわたしのモットーと同じだった。
「流れに身を任せる」
じたばたもがくと、余計、悪い方向に進む。
沈んだものは、じっとしていたら、いずれ浮いてくる。
待てるか、待てないか。
性格にもよるだろう。

大なり小なり、レベルの違いはあれど、根本的に底に流れているものはそう変わらないと感じた。
ただ、わたしはそもそも若い時から保守傾向にあるので、身の処し方、道の選び方は違ってくるが。

ところで、、、
破茶滅茶ながらも子供をもうけた桐島洋子さんと、切れ味鋭い上野千鶴子さんの対談を読んだが、老後の収まり方は、意識が違っているようだ。
子供を持たないと、甘えが生じる余地がない。

高齢の親と、60代ぐらいの子供の断絶感などが取り沙汰されている手記を読んだ。
子供がいても、老後、自立できなくなって子供と同居して世話してもらうと、良好な関係が維持できなくなる恐れがある。
人によって、認知症の発症などで心身自立が出来なくなると、過去の恩と現実との狭間で親子に亀裂が生じることもあり、きれいごとでは済まない状況もある。

子供がいても、いなくても、厳しい老後は待っていると覚悟しなければならない。
ピンピンコロリといきたい、などと、あまりにも当たり前すぎるお気楽なことを言う気にはならない。
当たり前すぎることをわざわざ口に出して言う、、、という行為は、わたしには単純で深みがなく浅はかに感じる。
漫才のネタならいざ知らず。

まあ、なるようになる。
なるようにしか、ならない。

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