蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ファミリーヒストリー

2023-08-31 | 
わたし自身のファミリーヒストリーを知るには、親戚のホームページを見るとわかりやすい。
商いのためにWEBホームページを開設している親戚が、さらっと商売沿革を紹介している。
ほんの数行ではあるが。
ホームページの現在の跡取りの顔写真を見ると、先代のお父さんにソックリ。
血は争えないとしみじみ思った。
小さい頃の色白おぼっちゃまの面影は、微塵もなかった。
商い所在地の写真も懐かしい、わたしが子供の頃に知っているまんま。
ホームページも何年か前とは見せ方を変え、リニューアルしてあった。
WEB販売も前々から行われ、今は、インターネットの時代だと痛切に感じる。

しかし、、、わたしはあまり古いことを知らない。
おそらく、家によって伝える内容が違うのではないかと想像する。
立場が変わると見方も変わり、歴史さえ変わってしまう。
どちらの言い分が正しいのか。
大きな声で言った者の勝ちのような現状に、諦めにも似た傍観者のような目で見ている。
しかも言った本人たちは今はあの世。
その話を聞いて育った子供たちは、それぞれに聞かされるストーリーは違うわけで。
まさに諸説あるのだが、当の本人は自分が親や祖父母などから聞き伝えられたことを信じる。
そういうものだ。

昔、昔の争いが尾を引くこともある。
農業が国の基幹産業であった昔(そうとう昔)は、田んぼへの水の権利は死活問題である。
「我田引水」なんていう諺もある。
人口のほとんどを農民が占めていた。
今は食糧自給率がガクンと落ち、輸入に頼っている。
国の政策の影響が大きいが、大丈夫か、日本の将来。
大きな目で見た長いスパンの計画は、国の行方を左右する。
国の舵取りは重い責任がある。
と、話がどんどん俯瞰的になってきた。

えーっと、何だった?
話を元に戻す。 
自分のファミリーヒストリーはあまり知らないということだ。
なぜなら、話を伝える立場の人が、あまり積極的でなかったり、キーマンの不在だろう。
少しぐらいは知っているが、ほんの少しだ。
母方も、知っているが、直に聞いたことは少ない。
今ある事実としては、それまでの歴史を物語っているが。
幼い頃に母の実家に、正月や、葬式や法要で行ったことはある。
母方の祖父母、おじ夫婦、おば夫婦、いとこたちと度々顔を合わせた。
家で執り行われるお葬式も何度も。
今はわたし自身が還暦を過ぎているのだから、上世代はあの世に行っていても何の不思議もない。

実際、わたしが目で見て経験したこと以外は、あまり伝承されていない。
少しだけエピソードはあるものの。
受け手であるわたし自身が、神経を集中させず、あまり注意して見てないこともあるだろう。
それに実家に居た時間より、実家から出てからの時間のほうが2倍近くになっている。
婚家のほうが過ごした時間も内容も濃くなっている。
そして、伝承係の姑が知っていることは全て嫁に伝えようという積極的姿勢のため、たくさんたっぷり見聞きした。
1年間同居していたし、10年ぐらい毎週末、核家族メンバーは、嫁ぎ先の家に泊まっていた。
毎年、盆正月、彼岸は必ず仏祀り。
そりゃあ出るわ出るわ、おしゃべりの源。
空で暗記できるほど。同じ話を何回聞いたことか。
それで覚えられなければ、よほどだ。

だがしかし、まだわからない不明な点もあり、関係者の頭がハッキリしている間に聞いておきたいものだ。
けれど、わたしより若い、しっかりした親戚がいるので心丈夫だが、わたしの頭のほうが心配だ。

ということで、ファミリーヒストリーは、婚家のほうは情報や物証には事欠かない。
ただ、わたしのところで、止まっているのが気がかり。
次の世代がファミリーヒストリーなどに興味を示すのは70歳過ぎないと無理なのではないかと思っている。
興味ないのに無理やりベラベラ喋って押し付けも、聞かされる方はストレスで、話す方は徒労だろう。

今日の記事、いつも長いが、またまた長い、、、。
なかなか終わらない。