蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

「退屈」が引き出すもの

2023-08-22 | 日々のこと
わたしのブログは、ひょっとして誤解を受ける書き方をしているかも知れない。
具体的事実も織り交ぜて書いているが、その事実は自分が書きたいこと、言いたいことを軸にチョイスしている。
なので、事実とは言え、一連ではなくスポット的な単発事実が、並べ方によっては誤解を生み、一人歩きしている可能性がないとも言えない。
(廻り廻った言い方)

虚偽はないにしても、読む方に誤解させるような書き方、事実の提示の仕方をしているかも。
悪意はないが、故意の思い入れ(意図)はあるかも。
それなら、ハッキリ書けば良いのだが。
所詮、事実の解説など、自己解釈に過ぎない。
自分に都合よく、見える部分だけを見て考察している。
見えない部分や、見ない部分は確実にある。

歴史がそうだから。
ただわたしは「こう思われたい」という故意の作為的気持ちはない。
自分が思ったままを書いているので、忖度はない。
いいね!をくださる方々にはモチベーションをいただいている。
が、交流を持つと、よく思われたいという忖度が頭をよぎる。
なので、こころの中では感謝し喜んでいるが、具体的に行動して形で示していない。
この機会に、
「ありがとうございます」と一言。

さて、自分流に自分そのものを編集して書いているブログ。
「何もしないわたし」が、最近のテーマになっている。
が、これはやるべきタスク(課題、義務)がある上で、何もしない状態でエネルギーをチャージしている。
本当に全く何もすることがなかったら、廃人の道、まっしぐら。
なので、わたしのブログを言葉のまま、真に受けていただくと、申し訳ないことになりかねない。

ちなみに。
女性学の権威、おひとり様の人生をあと推しする上野千鶴子さんが、じつは結婚していた、既婚だった、、、、
ある日、わたしは、ああそうなんだ、、、やっぱりな、、、
と、へんに納得した。
そうだろうと思った。
おひとり様を貫く決心をして邁進していた女性はハシゴをはずされたわけだ。
ではあるが、「転ばぬ先の杖」的な教え、アドバイスなのだから、悪くはない。
今までにないほどの大型台風が来ます、万全の備えをしてください、命を守る行動をとってください、
と繰り返しTVで緊迫した表情で訴えるアナウンサーに、悲壮な気持ちで臨んでいたら、、、
あら、台風、いつ来たの?

まあ、何も発信せずにアナウンスなしで、いきなりハワイのようなことになるのも怖いし、無事ならそれで良い。

話は戻る。
上野千鶴子さんの夫殿が山男でナイスガイだったとしたら、益々、あーあ、そんなもんだ、と思ってしまう。

選ぶ道、歩く道は自己責任。
考察され納得の指針を示されたとしても、自分でその後、考えなければならない。
頭から丸のみ、盲信してはいけない。
とは言え、人生は賭け。
何が良くて何が悪いのか、後にならないとわからない。

全く何もすることがなく、無理やり暇つぶしでしたことの延長で、思いもよらぬ大事なことを見つけることもある。
意図しなくても、偶然、面白いことに出会う場合がある。
「退屈」は宝物を引き出すキッカケになる。
がむしゃらに見つけようと頑張っても徒労に終わり、あ〜あ、しかたないなあ、と、ふと空を見た瞬間に何か閃くかも知れない。

退屈な瞬間は、「無」の境地である。
それまで色々してきたことが、一旦、無になって、その後に息を吹き返す。
無になる瞬間に耐えられない人は多い。
瞬間ではなく、長い長い時間、年月に長引くこともある。
わたしは、いつも無で、シャキーンとすることがない、が、これも自慢できることではない。

ところで。
認知症の新薬が認可されたようで、ホッとしている。
しかし、アメリカではこのアルツハイマー治療薬、年間380万円かかるとか。
お金持ちにしか認知症回避は出来ないのか。
日本での価格が気になるところだが、なんだかお安くないような予感。
自分のアタマは自分でどうにかするしか手がないのか。

しかし、世の中には色々な脳の病気、精神の病があり、受け入れ機関で働く人は日々大変である。(直接、話を聞くと)
家庭で生活を共にする家族はもっと大変。
逃げ場がない。