蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

子供のまま

2018-11-11 | わたし
わたしが、わたしが、、、と子供のように自分のことを書いてみたくなった。

「ねえ、聞いて聞いて、あのさー、あのさー」と保育所に通う孫はアピールする。
そうでもしないと大勢いる子供から一斉に話しかけられる先生の注意を引けない。
家でもその癖が抜けないようだ。

さて、わたし。
ねえ、聞いて聞いて、ではないのだが、自分で面白がるために。
他人が聞いてもなんも面白くない。
見て見て、と自分の孫の写真を見せられる他人のように。
美醜的に可愛くても可愛くなくても、とりあえず褒めておく。

と、相変わらずもったいをつけた前置き。
じつは、もったいぶっているのではなく、何を書こうか考えている。
助走、ウォーミングアップにお付き合いいただき申し訳ありません。

で、わたし。
なんどもここで書いている、わたしの子供時代。
乳幼児の頃、お花畑にちょこんと座らせていたら大人しく機嫌が悪くなかったそうだ。
母がそう言っていた。

ずーっと一日中?
ずーっとそのまま?
保護者の保護責任放棄、ネグレクトの一種か?
本人は精神的ダメージも受けていないので、そのような事実は確認できず、問題はなさそうだ。

小学校1年の担任の先生の、通知表に書かれているわたし評。
「大人しいが、芯はしっかりしている」
このコメントは気に入っている。
今の原型は、そのまま維持。
全く変わっていないことに、むしろ面白くなさを感じるほどだ。

学年が上がると、協調性の項目には△が付き始める。
まあ、これも原型そのもの。

つまり、1人でほっておいても、お気に入りの空間なら静かで大人しい、ということだろう。
ただし、「さあ引き上げよう、帰ろう、みんな帰ってるよ」と促されても、一向に重い腰を上げない可能性がある。
あるいは、「こうしましょう」と決まったことにでも、従わない可能性がある。
具体的にはよくわからないが、ちょっとマイワールド重視なんだろう。

で、ここで待ち人、来たる、の直前。改札口前。
続きはいつになるのか、誰もわからない。