モノを教わるにも時代が在るのかも知れないが、オイラが料理や音楽や彫金や筆を習っていた頃、嫌々学生時代の部活なんかの頃はとことん食いついた。解るまで、出来るまで、「よしっ!」と言われるまで食いついた。先生、師匠も根負けして可愛がってくれた訳である。鍋釜フライパンは投げつけられ、ギターでは手を叩かれ、彫金では制作途中で投げ棄てられ、筆は折られの記憶は今でも忘れない。しかし、そういう経験をしてきた稽古事に限って何十年も続いている訳である。続いている処か今では自分の流派も築いてしまった。ギターも家元だし、料理は温故知新流だし、写真は叙情的古典派印画機械持込散歩術派だし、筆は先生から「枯樹の型」の印可を授かった。頑張って古典を続けるとは、追ぞ自らの流派も築いていける訳である。だが、今は築いただけで後継の行方は判らない。
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