常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

栗川稲荷神社

2020年07月12日 | 日記
上山の阿部鯉屋から東に200mほどのところに栗川神社がある。ここは、山登りの仲間の待ち合わせ場所に使うくらいで、参拝したことも、参道を見学したこともない。春雨庵の近くにあるので、少し歩いて神社のなかを巡ってみた。鬱蒼と茂る樹々のなかに、朱塗りの鳥居が、数え切れないくらいに建ち並んでいる。

この稲荷神社は、備中国庭瀬藩(現岡山県北区)城主松平信通の守護神であった。元禄10年、藤井松平家はここ上山藩へ国替えとなり、この稲荷神の本体も藩主とともに上山へと下ってきた。途中埼玉県久喜の辺りの栗橋で泊っていたが、城主の夢に稲荷神のお告げあった。早く利根川を渡らなければ大変なことになると、いうお告げあった。夜中ではあったが、信通は同道の一行を起こして夜の内に利根川を渡り切った。

そうこうしている内に、一転空はかき曇り、土砂降りの大雨となった。利根川が大氾濫となり、一帯は大きな洪水被害となった。城主は、稲荷神のお告げで一命を救われたのである。これに感激した信通の稲荷神への帰依は厚いものとなり、上山城に着くと、城内に社殿を設け、名を栗橋と利根川の一字づつをとって栗川稲荷神社とした。その名稲荷からも想像できるが、稲作の田の神が後に狐が神の使いであることから、狐が祀られるようになる。狐の尾の形が如意宝珠の形しているところから現世利益に縁起よいとされ広い信仰を集めている。

ウォーキングの効用は、こんな歴史的なスポットに、注目してその由来を調べる楽しめるのも、その一つだ。山形市で始めた「健康マイレージ」にも、歩くための様々な動機付けが工夫されている。

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