憲法九条2項

護憲の立場から発言する。特に九条2項の交戦権否認を守る仲間を拡大する。

英霊に平和を誓う衆参両議長・・・63年前の思い出は・こんなものでした

2008-08-15 16:07:42 | Weblog
私の8月15日
〇記憶の残るのは1つだけある

〇ラジオの回りに
 叔父さんや叔母さんが集まった
 母親もいたような気がする?

〇父親は戦地に!父の弟もだ!
 新宅の叔父さんたち兄弟3人も戦地だった

〇ラジオの回りは
 叔母さんたち女だけだったと記憶する
 5-6人いたかな?
 小学生の私もその中にいた?
 学校は帰されていたのだろう?

〇子供たちが周りで騒ぐと
 叔母さんたちが静かにしろ
 天皇様の放送が始まるからなと注意され
 静かにしてラジオの近くいた。

〇ガガ-ガガ-ラジオの雑音が
 放送内容を時どき消した
 聞き取りにくかった。

〇2人の叔母さんが
 同時に
『負けたんだ!日本は負けたんだ!』
 と叫んだ。
 泣き出す叔母さんもいた。

〇日本が戦争に負けた
 分かったのはそれだけだった
 悲しくも悔しくもなかった
 大人が
 泣く意味も分からなかった。

〇もう空襲がないと!叔母さんが言った
 それを聞いて学校に戻った
 歩いて5分の距離に学校はあった。

〇戻った時
 校庭に生徒はいなかった

〇校庭内の古墳の穴に
 兵隊さんがいた
 通りがけに言った
 『日本負けたよ!』
 兵隊さんが怒った
 このガキ・何を言うか
 追い回させれ
 逃げて逃げて校舎内に逃げ込んだ。

〇兵隊さんは
 中までは入ってこなかった
 でも、
 殺されるかとか思った。
 怖かった!

〇昭和20年8月15日
 これ以上の記憶は全く残っていない!

〇それから
 63年生き続けた
 我慢と努力の人生だった
『我慢と努力』それしか知らない人生だった
 そして 
 我慢と努力の人生が今も続く。

〇戦没者慰霊式典が行われた
 衆参議長が述べた
「英霊に捧げる平和への誓い」
 多くの関係者の言葉が続いた

●素直になれない
 私は・・・
 『平和を言葉だけに終わらせる』
 虚しさを感じてしまう。

●政治家に言いたい
 非戦は
 誓うものではない
 作り出すものである
 その努力を
 政治家に期待したい。
 国民も積極的に
 平和運動に参加すべきである。

『今日はそれらを誓う日である』






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