懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家 おじさん

2016年12月25日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県猪名川町

茅葺民家の入口におじさんが座っていた。
了解を貰い人も民家も撮影させてもらう。
どんな話をしたか記憶に残っていない。

写真を見れば記憶がよみがえるものだがボケが進んでいるのか駄目だなあ。
性根(しょうね)を入れた会話をしていないのだ。何かを聞いてヒントや話題にしようとする気構えがないからだ。
近所の人がよくくるのだろう。外で話をする場所や縁台も立ててある。
夏の蒸し暑い夜には縁台に座っていろいろな話を聞いたものだ。

今はクーラーや暖房を効かせてテレビかパソコンスマホの時代だ。
情報機器を使いこなしあらゆる階層の人と対話ができる併用人間になる必要がある。

私も年寄りだが年寄りとの会話が多い。いつも同じ話をするひとがいる。
誰にこの話をしたという記憶が残っていないのだろう。話題の仕入れも少ない。
ドラえもんの道具のようにいろいろな話題の箱をもっておきたい。話の玉手箱

ホラ吹きの人もこの傾向がある。以前大きな事を言ったのも忘れ同じホラを吹く。


日本茅葺紀行 NO,336新潟県旧川西町 出会った人

2016年12月23日 | 日本茅葺紀行
各地を訪れて茅葺民家や地域特有の風景に出会えば撮影してきた。
自分の知らない事や新たな発見をする事がた旅である。
マニュアルもガイドブックもない。見て発見するだけでは限界がある。
実際の暮らしぶりを教えてもらうのが為になる。
会話をすることで相手との距離が縮まりいろいろと親切に教えてくれる。
旅は新しい物の発見と自分への修行でもある。
短時間で親しくなり良い情報やヒントを引き出すことである。
これは70歳になろうと80歳になろうと訓練であり勉強であるとおもう。
とんな話し方をすれば相手が嫌がりどう話せば相手が乗ってくるか。

日常の会話の場が訓練の場でもあるように思う。
家族に乾杯の笑福亭鶴瓶に学ぶことも多い。

私は歩く自由が失われ
皆さんのように自由に山や寺院の階段を登れない。行動範囲が極めて狭い。
残された機能は考える事と話すこと見ることである。

旅は家内に連れて行ってもらわないとどこにもいけないが、行けば目と口があればなんとかなる。

新潟県旧川西町の集落で生姜を洗っている人とタニシを洗っている人に話を聞く。
文化は建物や風景だけでは無く土地に住む人や暮らしも文化である。
それを記録していくのもアマチュアカメラマンの役割だと思う。


私の昭和鉄道遺産 その16 糸崎機関区

2016年12月22日 | 私の昭和鉄道遺産
広島県三原市糸崎機関区の大型蒸気機関車と機関区内の施設
蒸気機関車と消えた風景です。
街並みの風景も工場も駅の風景も田舎の風景も昭和から平成へは大きく変わった。

老齢になりあの時にこんな物を撮っておいたらと悔むものである。
蓄財や株式もあの時にこうすればよかったと虚しさが募るのである。
自分の人生なんか失敗と反省ばかりだなあと思う。自分史など恥ずかしくて書けたものではない。

広島に茅葺民家を撮影に一般道で走ると三原市糸崎で機関区のあったところを通過していた。
何度もおとずれて写真の残っているところは記憶にも鮮明に残っている。
写真は記憶を蘇らせるためのアイテムである。
写真を一杯撮り残した人は記憶も豊ということになる。それと各地へ出向き体験を多くした人ほ記憶が豊富なのかもしれない。

過去の写真を撮っていなくてもネガや写真、CDをオークションで購入して自分のテーマとしてまとめている人もいる。

それと楽しいのは自分でテーマを決めて各地を訪れ撮影や文章にすることであろう。


2016年茅葺写真展 屋敷林 その2

2016年12月21日 | 2016茅葺写真展
島根県の斐川平野や出雲平野は北風の季節風が強く遮るものが無いので屋敷林を植えた。
島根県では屋敷林を築地松(ついじまつ)と呼んでいる。斐伊川は天井川で氾濫を繰り返すので家の周りに土手を築づいていた。その土手を築地という。その土手に植えられた松だから築地松という。東京の築地(つきじ)も海岸部で土手で囲まれた土地であろう。
余談だが築地塀(ついじべい)という土塀がある。板で囲み土を突き固めて造る土塀である。

当初は松の寄せ植えでなく雑木であったと思う。
江戸時代には庶民が松の並木の屋敷林を植える事とはゆるさなかったとおもう。
贅を尽す事や格式を持たせることはお上は嫌ったと思う。

築地松を植えるようになったのは明治や大正以降であろう。
築地松で囲まれた民家の並ぶ風景は残して置きたい風景である。
この地域には茅葺民家も残っていたが今は辛うじて残っている程度になった。
このエリアは反り棟だが寄棟の家もある。
最近の新しい民家では築地松は見かけない敷地が一反は必要だろう。

会社勤めの時にグループで歴史探訪のため荒神谷遺跡に来た。バスガイドが斐川平野では墓は屋敷の前や中に作ると説明があった。あとで私は何でそんな事を知っているのかとガイドに聞いた。個人で見聞して仕込んだ情報かと思ったら教本に書いてあるそうだ。
いまの時代ネットですぐに調べるのでありきたりの話では聞いてもらえないのだなあとおもった。私も斐川平野の茅葺民家を撮る時に墓が邪魔で写らないように避けて撮っていた。




茅葺民家 竹垣のある家

2016年12月20日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県三木市

竹垣の家があったのでいろんな角度から撮影させてもらう。
竹垣は孟宗竹を二つ割や小さく割ったもの真竹を丸いまま使った垣や竹の枝を使った垣根がある。今は古い日本家屋や寺院、旅館等でしか見られなくなった。
茅葺民家探しの私は個人の民家の竹垣や板塀に出会うと嬉しい。
できる事ならば天然素材の塀や柵にであうとありがたい。
多分、この柵は自分で作ったものであろう。

カメラをもって絵になる写真を求めて走る。ブログやホームページ、SNSに投稿するする人はネタ探しに奔走している。少しでも話題ネタを探しに涙ぐましい努力をしている。
私も地元に出会えば話しかけていき話のネタがないか聞きだす。
昔、祖母がよく言っていた「聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥」
これとは意味合いが違うが 私も聞くは一時の恥でできるだけ話を聞くようにしている。

ホームページやブログのように写真だけでなく文章も一緒だと新聞雑誌の記事である。
一億総記者の時代に入った。ホームページを見ると取材に行ってきたと書いている人もいる。
取材などとは恥ずかしくて使えない。





温泉 その2  熊本県黒川温泉

2016年12月19日 | 温泉
黒川温泉はテレビや雑誌で度々とりあげられてブームになり大挙して人が訪れた。
そんなブームのなか訪れた。
熊本県南小国町にある。大分の湯布院、九重、熊本県瀬ノ本高原へと走るやまなみハイウエー、ハイウエーといいながら決して高速道路ではない。
高いところを走っているのでハイウエーであろうか

阿蘇を眼前に見る瀬ノ本高原はドライブしている人はだいたい立ち寄る。
熊本の銘菓の陣太鼓をここで何回買った。
瀬ノ本高原から国道442号線で6キロくらい走ったら黒川温泉である。
途中の道は二車線で狭くない、両脇の木々が道路を覆い緑のトンネルである。
やまなみハイウエーを40年ぶりに走ったら緑のトンネルになっていた。
建設して50年以上になる木は一年に40センチ伸びても20メートルになるのだと時の経つの早いこと。
温泉街への道は狭く観光バスは入れない。国道脇で乗客を降ろし温泉街へ行く人は歩きである。斜面から谷底に旅館が続く。歩行者の長い列の横を車でゆっくりと進む。

熊本の秘湯、黒川温泉の看板が目に入る。
どこが秘湯やねん。人ひとひとひとや10回いうたら、「ひとう」なるかいな
大阪の人だったらみんなこういうであろう。

入ったお湯は鉄分の色のついた少し硫黄臭のする湯であった。
南小国町、小国町には沢山温泉がある。茅葺民家も何軒かあるので撮影も兼ねて立ち寄る。

日本茅葺紀行 NO,335 広島県熊野町の民家

2016年12月19日 | 日本茅葺紀行
広島市の東側の熊野町に茅葺民家が残る。
40軒も残ると書かれているが現在は何軒のこっているのだろうか
随分解体撤去されたようにおもう。
それでも20軒は残っていそうにおもう。
普通、茅葺民家は田や畑の隅にあるがここは住宅地の中に茅葺がある。
道も昔ながらの狭い道なので車を安全なところに駐車して歩いて探すのが無難である。
広島市への通勤圏なので住宅はまだ増える。
茅葺は減る一方であろう。茅葺が残される環境は次第に厳しくなる。
熊野町に残っていた茅葺民家を投稿します。

私にとって高低差があり車イスは厳しく狭い道は脱輪や車の接触も懸念され家内に撮影に連れて行ってほしいとは言いにくい。

いつまで茅葺撮影は続けるかと自問している。
いい加減やめたらと思うが辞めると家に籠るだけだ。以前のようにほとばしる情熱が湧かない。





懐かしい風景 雪の駅

2016年12月18日 | 懐かしい物
撮影場所 北海道宗谷本線 和寒駅

和寒(わっさむ)駅は和寒村にある駅、ここは急行列車が停車するが家はそんなに無かったようにおもう。
駅は石炭ストーブが燃えて温かい。雪ので列車を待ち続けて身体は冷え切っている。
ストーブの前に座ると暖かい体が弛緩するのがわかる。途端に睡魔が襲う。
石炭の煙がわずかにする。
蒸気機関車の煙の匂いにストーブの匂い懐かしい匂いだ。

駅の字が昔の難しい字だ。
冬の北海道の風景や駅や鉄道の風景を撮っておきたかった。

駅の屋根からのツララが長い。ツララは家が温かくないとできない。冷たい屋根では出来ない。屋根に接面している雪が解けて軒先まで流れて凍って伸びていく。

2016年茅葺写真展 屋敷林 その1

2016年12月16日 | 2016茅葺写真展
屋敷林と茅葺民家のある風景を探し求めている。

屋敷林や高い生垣の風景は日本中探せば各地に残る。
しかし、茅葺民家との組み合わせとなれると平成の時代には厳しい。

それでもそんな風景を探している。
屋敷林は風雪の厳しい場所が多い。
しかし、津軽地方は風雪がすごいが余り発達していない。
津軽は家々が寄り添うように集り集落を形成している。
新潟の広い田の平野部も集落は一か所に寄り集まっている。
厳しい風雪の暮らしは助け合い励ましあいの生活をしないと個人では厳しい。
今は車や除雪車や重機がある時代だから町や市が援助してくれる。

集落の形成にも土地土地の暮らしがあったのであろう。
民家が一戸一戸離れて暮す散居村は風雪を防ぐために家の西北部を屋敷林で囲む。
屋敷林には柿などの果物も植え枯れた葉や枝は燃料にする。
地方によって植える樹木も違う。常緑針葉樹が多いが落葉樹や常緑照葉樹のところもある。


写真は山形県長井市、置賜地方は散居村になっている。隣の家まで100メートルは離れている。敷地はどの家も一反はあろうか 杉の屋敷林が神々しくもある。神ってるというべきか


茅葺民家 岡山県備中町の民家

2016年12月15日 | 茅葺き民家
岡山県では珍しい切妻の茅葺民家だ。
小屋などは切妻にするが母屋は余りしない。
茅葺民家の家は昔からの暮らしから大きく変わらず維持されている。
プレハブメーカーの民家になると過去の暮らしは一変する。
中国などを見ているとわずか30年で時代が一世紀進んだ。
ダイヤル式電話もプッシュホンの電話も持たずいきなりスマホである。

他人の家を訪問するのは物売りが選挙の応援依頼くらいだ、しかし、カメラをもって茅葺民家を撮影には行きやすい。そこで世間話や昔の暮らしの話もしてくれる。
私は最近は動けないので人との会話は激減した。
訪れた人との会話はブログネタの宝庫であった。

カメラを持たなくても人との会話はブログネタの宝庫だ。
おしゃべりでも毎回同じ話しかしない人は敬遠したい。
いろいろと話のネタが尽きない人は面白い。お宅の話は面白いと言えばネタ仕込みにどんどん励む。
話のネタネットワークを持ちたいものだ。