懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

岡山の茅葺き民家 旧上斉原村の茅葺民家

2015年07月24日 | 茅葺き民家
上斉原村は岡山県の北部で鳥取県に隣接している。
この家の撮影にお邪魔したら茅葺民家の画家の合田氏が何度も写生にきましたと言っていた。
合田さんの名前は知っていた。日展に何度も入選し絵画教室で生徒に教えていた。
没後、所蔵していた絵は新見美術館が35点買い取ったと言われている。

画家の向井潤吉氏も上斉原を訪れて絵を描いている。茅葺民家の画集にも上斉原の民家は載っている。氏が訪れた頃は農家の殆どか茅葺民家であったとおもわれる。
向井潤吉氏は茅葺民家の写真も2万枚撮影されている。
絵画展に行ったら絵と写真を双方を何点か展示してあった。
上斉原の絵も山形県の田麦俣に多層民家がずらっと並んでいる絵、写真も展示してあった。
絵というのはいらない物は省くし茅葺の配置も本人の意思で自由に変えるものだとおもった。
写真と絵を同時に飾るのはよく分かっていいが素人考えだが絵が嘘っぱちく見えてしまう。
本人が生きていたら絵と写真の展示は嫌うだろう。
プロの写真家もネガを見られるのを嫌う。思考まで暴露してしまうからか

唄の文句じゃないけど絵だけでいつまでも騙し続けてほしかった。

茅葺民家 島根県旧大東町

2015年07月23日 | 茅葺き民家
大東町は宍道湖と中国産地の中間地点。
街の中心地には平野もあるがほとんどは山間部に開けた集落である。
私は中国山地側から日本海に茅葺民家を探して脇道を走った。
島根には二十回は足を運んだ。
島根県に残る茅葺民家があるのは出雲地方まで石見には少なかった。

横田町の大蛇ループからローラー作戦で島根県の集落を訪れた。
国道は観光で走る事もあっても脇道は何かを探す目的がないと走らない。
世の中には神社や狛犬、集落、棚田、ダムを求めて訪ね歩いている人がいる。

農村風景と共に残る茅葺民家の風景は消えていく日本の風景のひとつでもある。
茅葺民家は出雲地方特有の反り棟です。
大東町もまた田舎の雰囲気満載の集落に出合えるところだった。



日本茅葺紀行 NO,230 京都府旧日吉町

2015年07月22日 | 茅葺き民家
茅葺民家を撮り始める頃に早朝に出発して一般道で美山町まで行っていた。
園部町から日吉町を通り美山町に行っていた。
着いたら13時を過ぎていた。日帰りであったり民宿に泊まったりであった。
日吉から美山町への道は悪かった。今はいい道が出来て楽になった。
この前は名神高速道から大山崎ジャンクションを経由して京都縦貫道の園部インターで行ったら早かった。3時間半で美山町に入れる。
私は何処でも泊れないので日帰りの方が楽である。

日吉から美山町への道の途中にも茅葺民家は点々とあった。
今も少しは残っている。
日吉町で畑仕事をしているところを撮影させてもらう。
茅葺民家をバックに仕事をしている人をさがす。
茅葺民家と人を撮るのは数行かないとと難しい。
写真は数の多さが質を高めるというが下手な鉄砲数打ちゃ当たる作戦も必要だ。




蒸気機関車 北海道大沼の風景

2015年07月21日 | 蒸気機関車
北海道の南部、大沼は火山の噴火で堰き止められて浅い沼として残っている。
駒ケ岳が背後に見える。函館本線が走っていて撮影場所になっていた。
蒸気機関車もブームになった昭和45年頃になると撮影地ガイドの本が発行されて列車のダイヤも付いていた。
これがあると便利だった。どこの撮影ポイントに行っても人が何人かいた。
私は撮影しながら疑問に思った。みんな同じ場所で同じ列車を撮る。
個性のない自分の考えでない写真になる。
しかし、私は始める時期が遅かったので個性的な写真など考えるまに機関車が消えてしまった。
写真も露出は合っていない下手くそだとおもう。
ナメクジ会という三人グループの鉄道写真のホームページがある。
以前、NHKの団塊スタイルに鉄道を紹介番組に三人が登場した。
年齢は私より若いが半世紀以上撮影している。写真を見ると機関車や電車ばかりでなく乗客や国鉄職員も撮っている。
蒸気機関車がブームになる前から撮っている人の写真は鉄道の本質をとらえている。
ブームのあとの人はどれも同じ場所が気になる。
今はデジカメで誰でも何らかの撮影機材を持っているので一億総カメラマンである。
ガイドブックも沢山出ている。自分だけしか撮れないテーマを持ちたいものだ

今回は大沼のガイドブック撮影地からひろってみた。
蒸気機関車の写真もみなさんに見せられる写真が少なくなった。いつかぷっつりと止めるかもしれない。





こんな商いもあるのだ

2015年07月20日 | 日記
岡山県総社市の国分寺五重塔の南の貸し自転車屋さんに桃を買いにいった。桃の販売所とは思えない。
六月に家内が桃が15個入った箱を1箱買ってきた。
自家食用で1600円で美味しかった。
白桃が出始めたので進物用に買いに行った。
私も家内の話しでは分からないので、どんなところで売っているかついて行く。
桃のシーズンになり150箱注文を受けているので発送に数日かかるという。
6箱注文して金を払おうとしたら送り先から味の程を聞いてから支払ってくれていいと言われた。倉敷から支払いにくるので面倒臭いので支払うと言ったが受け取らない。
送った品が美味しかったのその声を聞きたいので後払いにしているという。
私など初対面の人に何万円もの金を後での支払いでいいとはこんな信用商いをする人もいるのだ。
初対面だったのでみんな確実に支払ってくれるのか聞かなかったがサギをはたらく人もいないのだろう。
定年後に桃や葡萄の栽培を始めたようだ。年金もあり資産もあり金には困らないのだろうが振り込みサギなどに遭わないか心配になってきた。
作業用小屋の店には販売用の桃はほとんどおいていない。
団体の客がくればすぐに売れて無くなると言っていた。

後払いのメリットは1.売れば終わりではなく買ってもらい美味しいかったの言葉が聞けて生産の励みになる。2.人との信頼感のつながりが出来、リピーターになってくれる。3.支払に来てくれる時にまた別な物を買ってくれる。

ここの老夫婦の話しを聞きに行くために再度買いに行こう。

岡山の茅葺き民家 倉敷市の茅葺民家

2015年07月20日 | 茅葺き民家
私の家から歩いてカメラを持ちよく撮影に行った。
一カ月に一回はカメラを持ち出し撮影しにいと感も鈍るしカメラにもよくない。
遠くに行かない時は近くで撮る。
この家きデジカメで撮ったので100枚、200枚は撮ったであろうか。
蒸気機関車も馬鹿のように同じ写真ばかり

岡山南部の形を残している。
旨は箱棟、入母屋造り、下屋は本瓦葺きである。
茅葺は各地違いがありコレクション写真の楽しみもある。



茅葺民家 石川県輪島市の民家

2015年07月19日 | 茅葺き民家
能登半島に茅葺民家を探しに走る。
能登半島は観光などの目的がないと立ち寄らない。

能登半島の旅行の目的
1.能登半島の茅葺民家を探す。
2.日本海側の一般道を下関から竜飛岬まで走るのひとつの区間
3.砂浜を車で走れる渚ドライブウェ―?を走る。

茅葺民家は何軒か教えてもらっていた情報を元にあとは自分で探す。
能登半島の印象
1.能登半島は海岸線ばかりで耕作地は少ないと思ったら中央部は広い稲作田園地帯が続く。
2.家がどの家も大きい。横に長い、他の地区の倍はある。なぜこんな大きな家が建てられるのか
3.瓦は黒釉薬瓦、壁も板張り、黒づくめの集落が異様に見えた。これは記録に残しておくべきだ。若狭の方も黒い瓦が多い。冬に見ると余計寒々しい裏日本の風景に見える。
余談だが裏日本の表現は、放送禁止用語になっていた。
4.能登半島の海岸線は岩でない。海底の堆積物が隆起している。
堆積物で加工しやすいのであんな千枚田がつくれたのだ。石垣積みなら直線的な棚田になる。


人生で四回の株の売買で億万長者

2015年07月18日 | 日記
なにか三流雑誌の思わせぶりなタイトルになった。

人生も終末期になると過去の失敗がおもいだされる。
あの時、こうすればよかったと悔やまれるのだ。

株式投資も我慢さえすれば楽に億万長者になれたのだ。
売り買いばかりしていたから儲からないのだ。買うタイミングが間違っている
株で確実に儲かるのは底で買うしかない。買ったら爆騰するまで売らない。2割、3割上騰がると売るからお大儲けできない。

この簡単な事が人間には出来ない。買った株は騰がる事しか考えない。損する事は眼中にない。これが人間の弱点でもある。

私の人生で株式相場に四回か五回の山と谷があった。
谷で買うと山では五倍、10倍になる事がめずらしくない。・
一方山から谷に落ち込む時は1/0.1/20に下落する。
底は半値八掛け二割引きと言われるがに大相場のあとは5パーセントまで下がる。
バブルの時の住友金属は1000円を越えていたが48円まで下がった。
野村証券は6000円していた株が280円までさがった。

昭和45年に鉄鋼株を100万円で買い五倍になるまで我慢する。
儲けた金は定期貯金に入れ底になるまで5年10年待ち株を買わない。
底で買い大幅上昇で売るを繰り返す。
儲けた金があれば証券会社からいろいろな商品をすすめてくるが一切応じない。うるさい時は電話を切る。電話に出ない。株を持っている事も金を持っている事も意識しないし家族にもいわない。

これを徹底すれば4回、五回の相場でいくらになるか

一回目 100万円が500万円

2回目 500万円が2500万円

3回目 2500万が1億2500万円

4回目 1億2500万円が6億2500万円


いくらなんでも庶民が6億円は儲けすぎ、金の有難さがわからなくなる。
スーパーの半額セールの楽しみがなくなる。子供を道楽者に育てる。
やはり金のために頑張るくらいが丁度よいのかも。

株でも趣味でも人がやり始めブームやバブルになると明らかに遅い。
幸運の女神には後ろ髪がないと言われている。掴むものがなく振り落とされる。

日本茅葺紀行 NO,229 茅葺民家出合った人々

2015年07月18日 | 日本茅葺紀行
茅葺民家をバックに出合った人々を撮ろうと思っていた。
後ろの茅葺民家住む男性を撮らせてもらっていたら親戚の女性がやってきて話しに夢中そこをパチリ。
出合った人を最低でも500人は撮りたかった。
家は撮らせてくれても人の写真は撮らせてくれない。
私は今の茅葺民家はどの家も有形文化財だと思って撮っている。なにも文化庁が定めたものが文化財ではない。自分の心が決めた文化財でを作ればいい。世間遺産と自分で決めて撮影している人もいる。世界遺産だけが遺産ではない。
茅葺民家はその存在だけで有形文化財だか住んでいる人もまた無形文化財である。

「茅葺民家は存在だけで文化財、住む人もまた文化財」
こんな事を言うと叱られかもしれない。

そんな訳で民家と共に住む人も撮らせてもらっていた。
しかし、歩けなくなりこれは大きなハンディである。
山道や坂道の家はまったく撮影出来なくなった。
しかし、人間は不思議な物である。身体の一部の機能が失われると強くなる部分があると思っている。
私に残された武器は口だけである。車の近くまてど来てもらい撮影するしかない。
車の入れる家で車の近くまで来てもらい撮影する、そんな誘引作戦しかないのだ。



懐かしい物  日本瓦屋根

2015年07月17日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市玉島

玉島の水門周辺の昔ながらの本瓦葺きの屋根を撮影。
古い町並みを訪れると小高いところから撮影をしておけばよかった。
昔の古い民家の集まるところは日本瓦の家が多かった。
モノクロで撮っても日本瓦とセメント瓦やスレートとの区別はつく。
町の全景を知るためには面倒臭くても高いところに登り撮るべきだった。
だいたいこんんな場所は狭い路地を通り他人の敷地を通り上は墓地などになっている。
夏は汗をかきながら蛇に出会い木陰では蚊に刺されついついやめてしまう。

写真で記録するには全景、中景。詳細の写真を撮っておくとあとで便利だ。
私などそんな考えも持たず撮ってきた。

こんな日本瓦の屋根は落ち着く、古い町並みも人が通り見るところだけは整備するが人見ないところは手抜きである。