懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

昭和の古い町並み写真展 通り その6

2012年02月29日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 通り その6 児島由加山

撮影場所 倉敷市児島由加

児島由加に由加大権現がある。江戸時代から金毘羅さんとの両参りでにぎわった。
宇高連絡船が出来てから金毘羅まいりは国鉄を利用して行くようになった。
かっては児島や下津井から船に乗って四国へ渡っていたが、宇高連絡船が便利になったて。
その対抗策として下津井電鉄で下津井まで鉄道を敷設したが由加大権現までは駅で歩いて二時間も歩く距離で訪れる人も減った。

かって参道も門前町として栄えたが私の訪れた頃はさびしかった。
昭和40年代になり境内の裏山に桜を植えそれが大きな桜の園になっている。
マイカー時代になり参拝者も増えてきている。
門前町の面影の残る本瓦葺きの民家を親子が歩いていたので撮影した。




雲上の楽園 松尾鉱山跡

2012年02月28日 | 旅行
雲上の楽園といわれた松尾鉱山跡

廃墟、廃坑ブームで訪れるファンも多い。しかも、ここは松尾八幡平アスピーテラインの脇にあるので訪れる人も多い。
最初は千メートルを超える山中に異様にそびえたつコンクリートの廃墟
まるでアウシュビッツの廃墟のようにも見えた。
廃墟の入り口に行って立ち入り禁止の札に松尾鉱山と書かれているのを見て松尾鉱山の跡地であるのがわかった。

かって天然の硫黄を産出し人口一万五千人が住んでいた。コンクリートの社宅も建設した。
劇場もあり雲上の楽園と呼ばれた。日本紀行や新日本紀行ふたたびでも放送された。
しかし、海外から安い硫黄が輸入され石油の脱琉で大量の硫黄が抽出できるので昭和44年に閉山となる。
石油には3パーセントから5パーセントの硫黄を含んでいる。そのまま焚くと亜硫酸ガスを放出しゼンソクなどの病気を起こす公害を発生させる。現在石油精製の過程で硫黄を取り除く脱硫をしている。
その過程で大量の硫黄を生成するので鉱山から採掘する必要がなくなった。

硫黄は硫酸を始めゴムをを硬くする加硫、農薬、火薬などに使われている。







鉄道 伯備線 特急おき

2012年02月27日 | 鉄道
特急おきは伯備線に初めて走った特急だった。
それまで山陰線で急行とし走っていた「おき」が特急に昇格した。

従来、地名は急行名であったが特急の増加で地名を付けた特急が増加したのもこの時期だった。
特急は鳥の名や色彩や気象用語などが多かった。夜行寝台は天体に関する名が付いた。
「おき」が登場したのは昭和46年4月だった。これは昭和47年3月15日の山陽新幹線岡山開業に合わせて姿を消して特急「やくも」に変更となる。
新幹線岡山開業に合わせての増便できるかの試行ではなかったと思われる。


「おき」はキハ82系のディゼル特急だった。やくもになりキハ181系が投入される。
伯備線にもまだ腕木式の信号機が残っていた。

茅葺き民家 「めわら」のある風景

2012年02月26日 | 茅葺き民家
茅葺き民家の置き千木の棟飾りを茅や葦で作ったものを「めわら」という。岡山県や兵庫県で見られる。岡山では置き千木の事をカラスオドシという。
千木は神社の棟飾りの呼び名で一般的には鞍とかウマとかオドシなどと言われている。

めわらを作るには茅の葉を落とすので結構時間が掛かる。9本乗せている民家は丸二日掛かったそうだ。茅でできているので傷みやすいのでトタンで丸く覆っている家が多い。

茅だけの「めわら」はほとんど消えてしまった。
岡山県にあるのはアジサイで有名な寺のアジサイ園の中の観光用の茅葺き民家だけである。

茅葺き民家の本を見ると昭和40年代には神戸市にも沢山残っていたようだ。

岡山県は岡山の中央部で見かけた総社市から津山の手前まで

岡山県久米町

岡山県中央町大垪和




岡山県賀陽町


岡山県旭町

昭和の古い町並み写真展 その5

2012年02月25日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 通り その5



撮影場所 倉敷市天城 昭和48年11月

倉敷市天城には陣屋があった。岡山城の城主池田家の墓跡もあり古い町並みが残る。
板壁や土壁、土塀の続く光景は落ち着きがある。車が障害物である。
車、ガードレール、ブロック塀、コンクリート電柱のあるところは撮影しないか外す事にしている。
着物姿の人が来るまで待った。
レジ袋も一般的でなく主婦は買い物かごを持ち買い物にいっていた。
着物にエプロン姿が主婦の服装であった。
女性も車の免許をとり車社会になり着物は着なくなった。

写真展をしてみんなの感想は人が入っているので時代の違いが判るという意見が多かった。
人を入れなければ保存地区へ行けばこんな光景のところは撮影できる。
その違いは人が入っているか電柱が木とコンクリートの違いであろうか。今は保存地区は電柱が無いところが多い。電柱のない風景も映画のセットみたいで好きでない。
「滝田ゆう」の漫画じゃないが電柱も風景の一部である。


知覧武家屋敷

2012年02月24日 | 旅行
旅行で訪れた鹿児島県知覧町の武家屋敷跡

民家自体は余り残っていなかったが石垣が素晴らしい。
九州は石垣の武家屋敷跡が沢山残っている。これを全部見て回るだけでも楽しい。
現在はほとんどのところが保存地域に指定されている。
九州は石橋も沢山残っている。タンカンサーなども含めて九州の石文化を訪れるのも面白いかもしれない。












蒸気機関車 ラッセル車

2012年02月23日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道室蘭本線

蒸気機関車 D51形蒸気機関車の押すラッセル車が走ってきた。
雪が少ないので通常の速度で走り去った。
雪が無くても雪のシーズンにはダイヤの隙を使って走行するのであろう。
アメダスも気象衛星もない時代、積雪の状況をつかむのは難しい。平坦地は雪が少なくとも峠は降っているかもしれない。
始発前にはラッセル車は走行して除雪しておくのであろう。
雪が少ない時はラッセル車で除雪が出来るが豪雪にはキマロキの登場を願うしかない。
キマロキとはキ、機関車、マ、マクレーン車、ロ、ロータリー車、キ、機関車の編成の除雪車の事です。雪を押しのけて、集めて、遠くに飛ばす機能を持っている。
蒸気機関車のキマロキは映像でしか見たことはない。豪雪の後でないと除雪しないし豪雪の線路を歩いてたどり着けるか撮影はよほど時間がないと難しい。

昔でも鉄道の列車の撮影にはダイヤ表を持っていた。時刻表では貨物列車が載っていない。
ラッセル車はダイヤには載っていないのでカメラをしまい込んでいると撮影できない。
駅員に本日の臨時列車はないか聞いておくとよい。
鉄道マニアになると小学生でもダイヤの見方はすぐに習得する。
ちなみにダイヤはダイヤグラムの略で日本語に訳すと線図です。電気の回路図やロジック図もダイヤグラムです。




茅葺き民家集落百選 村山市五十沢集落

2012年02月22日 | 茅葺き民家
茅葺き民家集落百選 山形県村山市五十沢集落

茅葺き民家集落百選などというものは選定されていません。自分で勝手に選定したもので今も茅葺き民家が残っているか保障の限りはありません。

五十沢集落をテレビ番組で見たのは大分以前の事だった。
保存されている地域以外でこんなに茅葺きが残っていて俗化されていない集落が残っているのに感動した。行ってみたかったがまだ40代で仕事をしていた頃で長い休暇は取れなかった。
私が訪れたのは10年前だった。
五十沢は「いさざわ」と読む。山形は沢の付く地名が大変多い。関西以西には沢の付く地名は大変少なく沢に対して谷のつく地名が多い。その理由はネットに載っているので検索ください。

五十沢集落は尾花沢市から村山市にまたがって存在する。茅葺き民家のあるのは一番奥の村山市の五十沢集落です。これ以上は道がない。
山の中かと思いきや国道13号線から数キロ入った平坦な道である。
奥まった集落のために残されたものと思う。










昭和の古い町並み写真展 その4

2012年02月21日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展作品 通り その4 ボンネットバス

撮影場所 岡山県高梁市片原町 昭和49年7月

池上醤油店を撮影していたら遠くに備北バス会社のボンネットバスが見えたのでレンズを広角に取り換え撮影した。
宇治行きのバスだった。宇治への道は山道の狭いところを走るので小さいボンネットバスだったのか
昭和40年代はどこのバス会社にも車庫の片隅にボンネットバスがいたようだ。
今は観光用でボンネットバスが使われているところもある。
木製の停留場とボンネットバスの写真があれば懐かしさ一杯である。

ネットを見ていると停留所ばかり撮影している人やバスばかり撮影している人が世の中にはいる。
観光バスを3000台撮影している人は観光地が近く店屋をやっている。見知らぬ観光バスが来ると店は奥さんに任せて撮影に出かける。観光バスを車種、メーカー別、バス会社別に分類するのだそうだ。
何かひとつにテーマを決めて撮影するのをコレクション写真と言うのだそうだ。
暖簾や灯台、電車、飛行機、車、古い町並み、神社仏閣、狛犬などデジカメ時代になり現像代も考えなくてすみ愛好者が増えている。ひとつの事を長年やると詳しくなるし興味が増えてくるので楽しみ倍増である。ひとつの事を継続的に撮影していると社会の流れや情勢の変化も画像に映し出される。

この醤油店は現在、昔の醤油屋の展示館になっているようだ。

写真展作品



醤油屋 関連写真

蒸気機関車 伯備線清音駅

2012年02月20日 | 蒸気機関車
伯備線、清音駅の駅舎と蒸気機関車

清音駅は旧清音村にあった。現在は平成の合併で総社市

この当時のローカル駅の駅舎は木造、板張りのものが多かった。
駅前はダルマポストと電話ボックスが置かれていた。
最近電話ボックスをほとんど見かけなくなった。町の中からも電話ボックスは姿を消した。
10年前には電話ボックスはあったが知らぬ間に姿が消えた。コンビニの前の公衆電話も置いてない。
電話ボックスで電話を掛けている風景も消えてしまった。そういう私も電話ボックスで会話している光景は撮影していない。
こんな社会の変化を撮影している人は極めてすくない。
みんなが興味のあるイベントや祭りは撮影はされているが日常のごく当たり前の光景は見過ごされる。
自分の人生です。撮影も他人と同じ事はしない。自分だけの世界を探す頑固さがあってもよいと思った。

私は現在、建物を撮影している。この駅舎のように板張りの建物は懐かしさがある。
かっては焼板や漆喰、土壁、ナマコ壁がほとんどであった。天然素材の建物は時代が経過しても渋い味わいがある。その点、新建材や合板は古くなると汚いだけである。
天然素材の家は古民家再生がされるが工業化された素材は解体か張替される。
民家を撮影するうえで自分なりの基準は天然素材である事にこだわりたい。
新建材の民家は対象としない。デジカメだけになんでも撮影できるが不要な物は写さない頑固さも必要かと思う。




清音駅の東側には製材工場があった。この当時は蒸気機関車しか興味がなく製材所を撮影する事まで気がまわらず




切り取り除煙板のD51、D51に切り取り除煙板は似合わないという人もいる。
線路に入り撮影すると叱られそうな写真ですみません。