懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家 島根県木次町の民家 モノクロ

2015年03月31日 | 茅葺き民家
木次町(現在は雲南市)周辺は私にとって魅力的だった。
まだ昭和の風景が沢山残っていた。
山間の集落を訪れると何があるだろうと思いながら走る楽しみは何歳になっても変わらない。
これは生きることへのエネルギーになっているのは間違いない。
老人の脳トレのアイテムがいろいろ開発されているが一番いいのは熱中できるものを持つこととそれにより感動とヤル気を生みだす事である。他人から訓練でやらされるのではなく自分で発見し体験する事であろう。
感動する心は若者であろうと年寄りであろうとかわらない。
知識や経験の豊富な年寄りの方の感動する心は豊かである。
無気力、無感動は若者の方が遥かに多い。
若い時は精神的にも弱い面がある。前日あれだけ行こうと思ったのに朝になるとヤル気がおきない。私もこんな事はよくあった。

三軒並んだ茅葺き民家があった。民家も集落、同様に衰退の一途をたどっているように思えた。解体もされずに私が来るのを待ってくれていたと勝手に思う事にしている。








わが人生は悔いばかり

2015年03月30日 | 日記

石原裕次郎の最後の歌に「我が人生に悔いはなし」があるが私なんか毎日悔いている。
趣味にしても投資にしても、あの時こうすればよかったのにとか、いまだに悔いている。

末期患者が口にした「死ぬ時に後悔する25の事」という本が話題になった。
人間死ぬ前まで悔やむのだなあと思った。

ネットを見ていたらヤフーの株を持ち続けていたら億万長者という記事が載っていた。
1995年、1000株を150万で購入した株は14回の分割で81万9200株になり3.8億円の資産になっているそうだ。セブン&アイの株は1000株180万円が1億8000万円になっているそうだ。
こんな株に将来性を見出し持ち続ける事はまずできない。
倍になれば売り払う、それよりNTTの二次売り出し255万が40万に下がるのが素人の嘆かわしいところだ。
成功するには運、鈍、根といわれている。
運は時代の流れを分析見通す能力を身につけ、ここぞと思われる時に出動できる事でしょうか。鈍は他人に惑わされず信念を貫く事でしょうか、根は根気強く
悔やむのは運も磨かず根気も鈍もなく平凡に生きて来たのを悔やむ。

会社に勤めている時にこんな人がいた。
中学を卒業して会社に入った。給料の2割を貯金に回した。
1年で4万円ほどの貯金だが5万円溜まったら1000株買った。買った株は決して売らない。
高度成長期になり給与は大幅に上がった。配当金も全部貯めて株を買った。
定年の時には年収550万円、配当金が500万円になった。無償増資などもあり総資産は7億円になったそうだ。これなど鈍を貫いた人でもある。
しかし、子供にこんな金残しても苦労をしていないのでギャンブルや働きもせず贅沢三昧な人間にしてしまう。ほどほどが庶民にはいいのかもしれない。

人はみんながやり始めてブームに乗ってくるものだ。これを繰り返していたらババばかり掴まされる。
「幸運の女神には後ろ髪がない」という言葉がある。みんなが摑もうとした時には掴むものがない。趣味なども誰もやらない時に信念を持ってコツコツやる。、50年も続けている人は偉いとおもう。

日本茅葺紀行 NO,205  新潟県川西町の民家

2015年03月30日 | 日本茅葺紀行
新潟県川西町小白倉、現在は十日町市になっている。
地図から川西町の地名が消えている。小白倉には三度訪れた。
小さな集落には子供もいて遊んでいるところを撮影させてもらった。
20年以上前にNHKの番組で十日町市枯木又の風景がでてきた。茅葺民家が何軒もでてくる。
行きたい思いながらそれから10年以上が経過していた。
訪れたが豪雪地帯で限界集落、雪降ろしをしないので重みでつぶれた民家になっていた。
ここ15年で茅葺き民家の状況も大きく変わった。過疎化、高齢化が茅葺き民家消滅に拍車をかけた。
新潟では雪国ならではの民家が見られるのも特徴である。

新潟県は長くて広い隅々まで回れば茅葺き民家も発見できたであろうが、現在は発見するのに時間とガソリン代が掛かる。
茅葺き民家を撮影しているカメラマンや絵を描く人は各県にいて記録されている。
新潟県も何十年も撮影している人がいると思う。昭和期の写真を見てみたいものだ。




蒸気機関車 石北本線遠軽駅

2015年03月29日 | 蒸気機関車
遠軽駅は名寄線などオホーツク沿岸に線路があった頃は鉄道の分岐駅でにぎわったが今は石北線のひとつの駅になってしまった。
蒸気機関車の機関区もあった。
機関庫の写真を撮りに行ったが冬場の機関庫は扉で閉ざされていた。
北海道へはほとんど冬場に行っていたので機関庫の写真が少ない。
撮影していれば鉄道遺産としての記録写真がとれたのであろう。

この地方は雪は少ないが寒さは厳しい。歩くところはアイスバーン列車が動いている時に滑ると列車に轢かれる。
機関庫には気動車もアイドリングのままエンジンが掛かっている。
エンジンを切っるディゼルエンジンは再起動が難しい。
マイナス20℃では厳しくなる。
機関庫の中はエンジンンの排気ガスが充満している。蒸気機関車も炉内には石炭を残り火程度に投入して凍結防止をしてている。
私が会社に入った頃はストカ―焚きのボイラーが予備機でいた。
何時でも起動が出来るように石炭を残り火程度に投入し加温していた。これを埋火(まいか)といっていた。
この機関車は遠軽所属の機関車で名寄線の貨物列車だったのであろうか
石北本線はD51形蒸気機関車が牽引していた。9600形は補機に付く事が多かったのではないか
49699号機は蒸気機関車全廃の昭和50年まで配属されていたようだ。
大正時代の機関車が長く残ったものだ。

岡山の茅葺民家  加茂町青柳 モノクロ

2015年03月28日 | 茅葺き民家
加茂町(現在は津山市)に青柳という集落がある。行き止まりの集落で50戸くらいが暮らしている。この集落に8軒の茅葺き民家が残っていた。
二軒続いた余り大きくない家があった。
かなり傷んでいたので新しく現代風の家に建て替えられたえられた。
まだこの地域で住み続けるりだと思った。
土地も建物も捨てる人が多いのに過疎地な新しい家を建てて住み続ける人もいるのだ。

茅葺き民家に住む人がその後どのようにしたのか追跡調査をするのも必要かとおもう。
茅葺き民家にトタンを掛けて住みつづける。トタンを掛けたが放置空き家、茅葺民家を放置し空き家廃屋、取り壊して他所で暮らす。茅葺のまま維持、住人が亡くなり解体撤去
その土地に住み続ける理由はなにか
各々家庭の事情や地域の事情もあり日本の社会がどう変化しているのかも茅葺き撮影の機会に聞いて見たい。


茅葺き民家 兵庫県南丹町の民家 モノクロ

2015年03月27日 | 茅葺き民家
南丹町は現在、篠山市になっている。
北へ延びる国道176号線を北上していたら小高い山の上に茅葺き民家が見える。
初めて訪れた時、丹波篠山は懐かしい田舎の風景に見えた。
最初見た心地よい光景は訪れるたびに思いだす。しかし、風景はどんどん変わっていく。茅葺は姿を消して新しい現代風の民家に建て替わり何処にでもあるコンビニのやチェーン店に変わりゆく。全国が画一的な町の風景になっている。
最初見た篠山の風景が思い出せなくなっている。
昭和50年代に訪れていたら随分古い建物や風景がのこっていたと思う。
平成の時代でもそんな昭和の断片を求めて民家を訪れた。
昔ながらの漆喰の塀で囲まれた民家、これだけでも昭和の風景である。
倉の前に干し柿が吊るしてある。
これだけで人の生活が伺える。




日本茅葺紀行 NO,204  山形県川西町の民家

2015年03月26日 | 日本茅葺紀行
山形県川西町には玉庭以外でも茅葺き民家が点在する。
標高は300メートルくらいあるのであろうか、平らな平野が広がる。
長野の松本周辺でも標高は500メートル位あるが平野になっている。
どのようにしてあんな平野が生まれるのであろうか
かって湖だったところが川として流れだし干上がり平野になったところもあるようだ。
山形県の風景は落ち着く、田舎がまだ残されている。
茅葺き民家は家そのものも面白が周りの風景も重要だ。
絵になる風景がほしい。ビルや電柱、電線、ガードレールでは魅力は半値八掛け二割引である。

川西町の民家も防風雪のための屋敷林に生垣がいい。周りがまだ田圃をやっているのがよい。

懐かしい物  岡山県鴨方町の民家

2015年03月25日 | 懐かしい物
鴨方町鴨方は昔からの町並みが残る。
岡山の街道という本に鴨方の古い町並みが載っていて印象的だった。
その本は昭和40年に発行された。私が最初に訪れたのはそれから9年後
古い町並みはそれなりに残っていたが訪れた時間が夕暮れで陰影がありいい写真がない。
それっきり訪れもしなかった。標準レンズしかなく。道も狭く撮りにくかった。
平成になり訪れたら地域の庄屋の大きな家はかなり傷んでいた。
無住だったので裏から屋敷に入った。取り壊すのかと思ったたらその後「かもがた町屋公園」にリフォームされきれいに整備されている。母屋は1600年代の建物だそうだ。





岡山の茅葺民家  建部町 モノクロ

2015年03月24日 | 茅葺き民家
建部町もいまやゆ岡山市に併合された。岡山市は岡山県の1/4の面積になるほど広域になつた。
国道53号線を走っていると山の上に集落が点在しているのが見える。
山の上にも人々は暮らしている。
吉備高原と呼ばれる500メートル位の高原に人々は暮す。
一帯は山の斜面を利用した棚田で農業を営んでいる。
岡山に住んでから20年異常経過した頃、茅葺き民家を求めて岡山県の各地を走った。
写真の撮影という名目がなければ決して訪れない場所であった。
このころはカメラを一台しか持っておらずモノクロで撮っていた。カラーの撮影はしていない。
ここ20年で過疎地は限界集落と呼ばれ集落の存続が危惧されている。
もっと違った視点で記録を残せなかったと思う。

茅葺き民家 赤穂市の民家 モノクロ

2015年03月23日 | 茅葺き民家
兵庫県赤穂市は海岸沿いとばかり思っていたら国道二号線沿いも赤穂市なのだ。
国道二号沿いの集落に茅葺き民家があった。なんとか頑張って茅葺きを維持していたがトタンを覆ってしまった。

民家の周囲を囲む塀が面白い。板張りの塀である。
昔は社宅などもこんな塀で中が見えないように囲っている。
今はブロックや鉄やアルミの化粧柵が多い。

この家は入母屋だが神戸あたりより破風の部分が少なく棟飾りも置いていない。
こんな風に昔のものは姿を消しいつの間にか時代が変わっていくのであろう。
気付いたら時代が大きく変わっていたというのはよくあることだ。

個人商店、駄菓子屋、火の見櫓、公衆電話、過疎地のガソリンなスタンド、過疎地の学校、過疎地の公民館、限界集落から消滅集落へ 時代は毎日僅かづつ変化していく。