懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,381 新潟の風景

2017年07月31日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 新潟県旧松之山町

新潟県の中越、上越地方の山間部の風景だとおもう。
棚田に茅葺に杉の木、昭和の時代にはありふれた風景だったかもしれないが今となっては懐かしい。

プロの写真家の佐野昌弘氏の写真集を見ると昭和40年代の松之山の茅葺民家の風景がよくでてくる。
あの頃から松之山の棚田や茅葺民家の存在を知っている人はしっていたのだ。
自分も家庭もあり新潟までは行けないが自分の住む近県には足を伸ばせたはずだ。

時代というのは20年30年はあっと思うほどに過ぎてしまった。
若い頃から関心のある事はスクラップブックに情報を貼り情報集めをやっておかなくてはならなかった。


蒸気機関車 しまった残念

2017年07月30日 | 蒸気機関車
撮影場所 兵庫県 播但線


C57の重連が生野の坂を上っていく。
真横を喘ぎながら登っていく。
杉の植林でこれから機関車が隠れていくのだ、場所がわるかった。
杉で邪魔されない位置にカメラマンが二人いる。
場所取りを間違えた残念

撮影には何度か訪れていい場所取りが必要だ。
生野の坂は延々とトンネルもなく山際を登ってくる。
遠い距離、煙を吐きながら登ってくる。
三重連のある日は小山に人だかりまるで動物園の猿山だった。

懐かしい物  標津線西別駅

2017年07月29日 | 懐かしい物
標津線はもう廃止され今はない。
オホーツク海に沿って鉄道網が張り巡らされていたが゛今はほとんどない。
鉄道の写真をと撮っていた頃か20年も経過した頃、地図を見てびっくりした。
オホーツク沿岸の鉄道が消えている。
国鉄からJRに移行するときに大赤字路線は淘汰された。

標津線に一度だけ乗ったその時に西別駅を撮影している。数枚しか残っていないが撮っていてよかったとおもう。
西別駅は1976年に別海に改称された。
西別ではわかりにくいので別海町にあったので表玄関にするため改称されたようだ。
標津駅を走っていて感動したのは線路わきに白樺林が続く風景だった。
撮影もすることなく廃線になった。
こんな駅の入場券も立ち寄ったところはすべてかっていたが段ボールひと箱みんな売ってしまった。

2016年 茅葺写真展 最終回 二棟続き その4

2017年07月28日 | 2016茅葺写真展
2016年9月に行われた茅葺民家写真展は67点は今回で終了します。

二棟続きの最終回は福島県南会津町の水引集落です。
標高が千メートル近い会津高原にある。
最初行ったときは壊れかけた無住の茅葺民家が三軒ありこれが壊されたらこの集落の茅葺民家は衰退するだろうとおもった。
しかし、ブログやホームぺージを見ると段々茅葺きの復元がすすみ立派な集落になっている。

この町には保存地域に指定されている前沢集落があるので抱き合わせ観光地にしようとしているのか
復元するにも金が掛ったと思うが観光資源としての価値があるとみたのか

定年後7回写真展を実施した。今後の写真展は考えていない。他人に手伝って貰わないと何もできないので気が重い。
やるとすれば私の茅葺民家集落百選や私の昭和鉄道遺産のテーマでしょうか




茅葺民家 モノクロ倉敷市下津井の茅葺民家

2017年07月27日 | 茅葺き民家
倉敷市下津井に金波楼という茅葺の料亭があった。

下津井は船で航行する時代は栄えたが半島の先端で交通の便がはなはだ悪い。
下津井電鉄もあったがかなり歩かないといけない。車にしても道は狭いし車を止めるところもない。
あんなところで来る客もいたもんだ。庶民は相手にはしていなかったのだろう。
その後はサノヤスドッグに売却され保養施設として使われていた。
しかし、下津井の不良グループに放火され全焼する。

料亭の頃はすぐ下が海だった。瀬戸大橋の関連工事で埋め立てられ広い道路ができた。
この石垣も埋め立てられ撮影ができるようになった。

鉄道、道路、公共施設、民家の古いものはどんどん消えていく。老朽化だけではなく災害や事件でもなくなる事もある。
デジカメの時代とりあえず撮って置くことか。何十年か経過すれば時代の変遷がわかる。


日本茅葺紀行 NO,380 女子中学生

2017年07月26日 | 日本茅葺紀行
茅葺民家を撮っていたら学校帰りの中学生が通る。
声を掛けて撮らせてもらう。
学生に出合うのはまれである。若い成人女性は撮らせてくれない。
顔を塗りつすのはかわいそうなので撮影場所は記入しない。
カメラをもって外にでれば何かに出会う。


私の昭和鉄道遺産 その37 佐土原のC57型

2017年07月25日 | 私の昭和鉄道遺産
佐土原に入ったC57109号機、給炭や給水をするためである。
C57の門鉄デフがスマートで格好よいとおもう。
1974年 4月に廃車されているので随分遅くまで残っていた。・
雨が降り出した撮影する 条件が最悪だ。
やっと休暇を取って宮崎にきた。
有給休暇の使える範囲しか撮影はできない。
学生の人は夏休みや冬休にたっぷり時間が取れる。
学生の人は全国各地に出向いている。

それでも若者中心でリタイアした人は少なかったようにむ思う。
現役の頃に定年後のビジョンを持っていないと難しいのか

懐かしい物  木の橋

2017年07月24日 | 懐かしい物
撮影場所  岡山県の山の中

どこで撮ったか記録もない。山の中を茅葺民家を探していたらあったので撮ったのだろう。
フィルムカメラなのでこんな余計な物を撮るかどうか考えたとおもう。
作業用の通路に木の橋を造ったのであろう。不思議と猫が写っているなぜ山中に猫がいるのか

木の橋や吊り橋、木の半鐘や停留場、作業小屋や公民館、地蔵なども撮っておくとブログに使えそうだ。人が暮らしや生活に活用されたものは味わいがある。


2016年 茅葺写真展 二棟続き その3

2017年07月23日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 京都府旧美山町盛郷

盛郷は美山町の北の端、トンネルを越えたら福井県
茅葺民家が三軒残る、
住んでいる人は別荘代わりに買った地元以外の人が多い。
人の気配はなく晩秋でもあり寂しくさせる。

かっては集落にも活気があったのであろう。
小川や野山では子供が魚釣りや川遊びや野山で遊んだことであろう。

農業や林業を糧にいきてきたのであろうか
農業も都市近郊ならば農産物直売所でうれば収入が得やすい、
同じ会社のOBの方で広い畑を持っている人かが二人いる。
聞くと年金位の利益はあるようだ。孫のために貯金しているといっていた。


茅葺民家 モノクロ 京都府京丹波町の民家

2017年07月21日 | 茅葺き民家
京都府の美山町に旧知和町から行く途中にあった民家、二棟並んでいた。
その茅葺民家も 次に来た時はトタンを掛けていた。
古い建物はとくに時間は待ってくれない。
私など難病に罹ってもしぶとく15年も生きている。

自分の生きた人生は写真、俳句短歌、日記や漫画、コレクションで残しておかないといけない。新聞のスクラップや絵葉書やスタンプ、観光パンフレットなども残して置くと自分の行動の記録になり時代の記録にもなる。
最近はブログやフェースブックなどの自分の行動記録が残せるようになった。パソコンやスマートフォンやデジカメのおかげである。