懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車 石炭列車

2017年03月31日 | 蒸気機関車
撮影場所 福岡県 筑豊線中間付近

筑豊線も直方から若松間は平坦地で峠越えで煙を吐くところはない。
石炭の採掘も辛うじて行われていた時期だ。
エネルギーが石炭から石油に大きく変わっていた。
家庭のエネルギーも薪や炭からプロパンに変っていた。

筑豊線には撮影場所はすくなかったが中間の大きなカーブが撮影ポイントだった。
撮影ガイドブックを参考に撮影する事が多かった。
みんなが同じ場所で撮影することに疑問はあったが自分も撮影ポイントで撮る事がおおかった。
自分はもう成人しているのだからどんな視点で撮影すべきか考えたほうがよかった。
だた機関車だけを撮るのではなく時代も記録していかなければならなかった。

時代を記録するとはこれから何が消えどう変わるかを自分なりに推測する事である。
時代から消えるものを推測することは大変難しい現に45年前に自分がパソコンを打ちブログを書く事が想像できたか全くできなかった。

自分に出来ることはこれからきっと消えるであろうなくなるであろう物を撮影や記録をすること。日々の時代の変化に関心を持ち続けて日記なりスクラッフプブックに記録していくこであろうか

2016年 茅葺写真展 小屋も茅 その4

2017年03月30日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 長野県飯山市

飯山市へは蒸気機関車の走っていた頃に訪れた事がある。
あの頃はほとんどが茅葺民家だったと思うが全く記憶にない。

人間の脳や目は関心のある物しか見ない目に入らない欠点がある。
ボケーと生きていると何も見えない。いろいろ見える人は感性があるというのでしょうか

これは一生涯では大きな差になるように思う。
写真のネタや話題のネタ、親父ギャグのネタ、ブログのネタ

飯山で蕎麦を食べて見知らぬ道を走っていたら複雑な形の民家を発見する。
母屋の他に二棟が茅だ。
飯山市は何度か走っているがここには茅葺民家はないと思っていただけにうれれしかった。
長野県ならば一泊すれば観光旅行ができる。
この後は上越市の茅葺民家を撮影した。




茅葺民家 岡山県旧大佐町

2017年03月29日 | 茅葺き民家
私47歳 子供に手が掛からな無くなり茅葺民家の撮影を始める。
岡山県内だけでも走ろうと思った。
以前茅葺民家は撮ってはいたが挨拶に行って話をするのが恥ずかしく情熱もわかずやめてしまった。

中年になれば十分に厚かましくなり民家を訪れるのも会話するのも臆することもなくなった。
何かに感動するのは歳を取ってもおなじだ。
茅葺き民家に発見し出会えるのに初めは大変感動したものだ。
そんな感動は慣れと共に薄らいでくる。
感動が薄らぐのが活動のネックとなる。

新しい目標や感動のネタを探さないと継続は難しい。

大佐町の下屋のない民家、昔の思がげを残した風景は懐かししい。
民家は消えたかもしれないが感動の情景は今も心に残る。


日本茅葺紀行 NO,356 広島県熊野町 石垣の民家

2017年03月28日 | 日本茅葺紀行
熊野町の石垣のある民家を投稿します。

住宅地は平地ばかりではなく山の斜面や裾野に建つことが多い。昔の民家はほとんどが石垣を積み土を入れ平地を確保していた。
今ならばコンクリートで擁壁を造り造成地にするころである。
昔は人手により石や土を運び造成はしたと思う。
外注すると金が掛るので地域総出で助け合たと思う。家族だけで造成した民家もあるだろう。
棚田なんかは一代で一枚の田を増やしていったとも聞く。

そう見てみると石垣は庶民の残した文化遺産なのかもしれない。
司馬遼太郎氏は日本の棚田の石垣は万里の長城より長いと表現される。

日本の各地にはこんな庶民の残した文化遺跡が残っていると思う。


話は変わるが横綱 稀勢の里の優勝は感動した。
まず勝てないと思ていただけに素晴らしかった。
遅咲きの横綱だけに横綱で優勝がないと不名誉な横綱になってほしくない。
それと二場所連続で横綱になれなかったので連続優勝して文句をいわせないようにしてほしかった。
子供の頃に吉葉山は横綱で優勝が一度もなく引退した。兵隊で銃弾の古傷があった不幸な一面もあったが。
不名誉な横綱といわれないように一度は優勝してほしかった。

横綱になるのに優勝もなく横綱になっても優勝もなく親方の奥さんに手をあげ廃業させられた双羽黒(北尾)という力士もいたなあ



私の昭和鉄道遺産 その25 姫路駅 C11蒸気機関車 

2017年03月27日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 姫路駅ホーム

姫路駅のホームに播但線のC11の牽引する客車を撮っている。
駅に停車している風景など撮ったのは全く覚えていない。
撮影ポイントへ行って煙を吐きながら登ってくるシーンはよく覚えている。
印象に残るものがすくなかったのか

駅に停車している蒸気機関車を撮るのは評価が低かった。
蒸気機関車は走っているのがべストの考え方が強かった。
停車しているのは撮りやすいし何枚でも撮れる。

今考えてみると停車写真も走行写真の価値は変わらないと思う。
駅の風景や客車貨車、人の服装や持ち物が記録されていて時代の違いがよくわかる。
走行写真も時代の変遷が変る都市近くと全く変わっていない山間部がある。

時代を記録するならば停車写真の方が撮りやすく良かった。
他人のブログを見ていると写真屋の店主が蒸気機関車の写真は走行写真て迫力のある写真でないと教え込まれ停車写真をほとんど撮っていないと書いてあった。コンテスト入選を狙うが自分の生きた時代を記録するかであろう。私は自分の生きた時代を記録するために撮影してきた。

この写真の時代とはずいぶん時代が変ったものだ。

・ダイヤル式電話からスマートホンになりいつでもどこでも連絡がつく。
・パソコンの普及で無理と思われた年寄りまで使えるようになった。
・フィルムカメラからデジタルカメラ ビデオ、映像が誰でも残せる
・みんなが車を持てるようになった。
・コンビニ、大型ス――パーで個人商店の廃業と街の空洞化
・高速道路網や新幹線網 昭和47年に田中角栄さんが唱えた日本列島改造論がほぼできた。

2016年 茅葺写真展 小屋も茅 その3

2017年03月26日 | 2016茅葺写真展
撮影場所  京都府京都市左京区久多

春の陽光の中、山を越えて久多に向かった。
随分山の中だ。私の住むとからだと285キロ離れている。
一般道では日帰りは難しい距離だった。この日は美山町で泊まってからの行動だった。
世間から隔絶した茅葺の里が谷間の小さな盆地にあった。

最初訪れたのは滋賀県側から帰路に立ち寄った。
十数軒残る茅葺民家に感動したのを覚えている。
人生は見知らぬ土地を訪れて見知らぬ物を発見し感動する。
発見と感動の数の多い人が勝だなあと思う。

この家の御主人は久多茅葺きを残すよう活動もされていたが数年前にトタンを掛けたと人づてに聞いた。


茅葺民家 兵庫県旧今田町

2017年03月25日 | 茅葺き民家
今田町から旧国名では播磨から丹波になる。
丹波に入れば落ち着いた風景になる。
自分で先入観がありそう見ているのかもしれない。

今も茅葺民家は少しは残ってるが最初訪れた時は沢山残っていた。
フィルムカメラだったのでフィルムを7本位しかもっていなかったので300枚弱しか撮っていない。

下屋のない茅葺民家を尋ねたらここの御主人が縁側に座っていた。茅葺きの職人をしていたという。地下足袋姿である。
茅葺き民家を西暦2000年に2000軒撮ろうと頑張っていますと言ったらあんたのような人がこの前、訪ねてきた。
下屋の無い茅葺き民家を100軒撮るという人が来たという。
茅葺き民家を撮っていると同業者のマニアに出会う事はない。
カメラを持って訪れるのは年に2人か3人というところが多い。

鉄道などは線路の近くで撮影ポイントに集まるのでマニアと会話する事があった。

茅葺き民家撮影の会話は住民の方か土地の人との会話である。
山道を走っていて車を止めて山菜やキノコを採っている人の話も面白い。




日本茅葺紀行 NO,355 水仙のある風景

2017年03月24日 | 日本茅葺紀行
WBCでアメリカに負けて腑抜けになってもた。それでも楽しませてくれた。
それでも今日はサッカーがアウエーでUAEに2-0と完勝 オーストラリアが引き分けて優位に立てた。
後は残りを三勝すれば予選突破できる。韓国は中国に負けた。
野球 サッカー 政治と負けつづる韓国

1.負け続け少女の像の祟りです。(あの少女像の名称は売春少女像だったかな)
2.総理の座、軽口夫人に揺るがされ。(日本も危ない叩けばでる出る)

東北水仙が美しい。
花壇だけでなく道路脇や斜面にも咲いて繁殖している。
水仙やチューリップは西日本では気温が高すぎる。
開花後すぐに気温が上がり葉が枯れるので球根が太り切らない。
その点、東北や北海道は涼しいので十分球根を太らせる時間がある。
水仙は毒があるので動物や昆虫が寄り付かない。
チューリップやユリは山間部だと猪が掘り繰り返し食べられると言っていた。





蒸気機関車 大沼と駒ヶ岳

2017年03月23日 | 蒸気機関車



撮影場所 北海道 函館本線大沼

大沼と駒ヶ岳が撮影できるので鉄道ファンは沢山立ち寄った。
沢山のネガが残されていると思う。
ここは室蘭本線経由の千歳線と函館本線の列車が札幌 函館を目指して走るので本数も多かった。線路は複線化されていた。
それとC62型 D52型の大型蒸気機関車の最後の活躍場所だった。

今も電化されていないので特急ディゼルの撮影に行く人もいるようだ。

昨年五月末に小学二年生の男の子が一時置き去りにされ行方不明になり一週間捜索したが分からず自衛隊の演習場の宿舎で無事発見された事件があった。
その場所は駒ヶ岳の裾野の鹿部町だった。
駒ヶ岳の写真の右側の裾野付近だ。
無事でよかった。幼い子供が野山で行方不明になる事がある。
子供と年寄りは判断力体力に要注意


2016年 茅葺写真展 小屋も茅 その2

2017年03月22日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 山口県周南市大道理

周南市の国道、県道を山間部に向かって走り茅葺民家を探す。
走れば茅葺民家に何軒か出会える程度残っていた。

山口県になると一泊した方が時間がとれる。
山口県の茅葺民家の情報はあまりなく自分で探すしかなかった。
この家は撮影した頃はデジタルカメラを持っていた。
フィルムカメラはモノクロ、カラー、デジカメと三台で撮影していた。

デジカメが普及し始めてモノクロの現像が一週間かかりその店ではフィルムを買うのは私だけになった。
カメラも故障したのでモノクロはやめた。
最初のデジカメは画素数が低く次々と性能のいいのが出てくるのでキリがない。


この民家は国道から少し見えたので行ってみる。小屋も茅でいい家だ。
山口はこん寄棟が多い。角度も緩やかで温かい地方を思わせる。

今もこんな茅葺が残っているか久しく行っていない。