懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蕎麦とイノシシ肉

2016年12月15日 | グルメ
イノシシ猟が解禁になり猪肉を買いに行く。
県北まで車を走らせる。
あと何回食べられるかわからない。冬は蟹、牡蠣、猪肉である。


家に籠り冬眠の熊のような私を外に連れ出す意味もあり県北までいく。
まずはJAの市場巡り、新見市草間の山の上の蕎麦屋 田舎屋で昼食
夏場はここの蕎麦屋は多いが冬場はほとんど客がいない。しかし、今日は17人も客がいた。
待ち時間もなく食べられた。
客が余りいないと経営が成り立つのかこちらが心配になる。
昨年一月に来た時にざるそばを頼んだら寒い日で凍るような水でさらした蕎麦がでてきた。
冷たいと思いながら食べたが寒さで体の震えがきた。厳寒期にザル蕎麦はたべるものでない。
そばつゆを何杯か飲みもとに戻った。
兵庫県の北部の出石に雪の日に蕎麦を食べにいったら温かい蕎麦はなく冷たい皿そばだけしかないのだ。

田舎屋に来ているグループの人にどこから来ているか聞いた。
岡山市、倉敷市2組 金光町とすべて県南の人だった。車で70キロ走っても食べにくるのだ。蕎麦は遠くまで食べにいくものだ。
地元の人でそば粉を買いに来ていた、これから打つのだそうだ。1キロ1200円 これで10人前できるそうだ。
私は温かいケンチン蕎麦をたのんだ。ここは蕎麦道場も持っている。50人は収容できる場所がある。10時からと14時からの時間帯に教えるそうだ。その間、店にくる人の蕎麦は誰が打つのと聞いたらこの地区の女性はみんな打てる。パートの人に店をたのんでいるそうだ。ここの御主人と話していたらケンチン蕎麦でも蕎麦湯を出してくれる。
蕎麦湯で焼酎を割るとルチンがでているので健康によい、いる人は容器を持ってくると入れてあげるといった。水筒にもらって帰る人がいた。私は酒を飲まないので蕎麦湯割には関心がなかったがルチンより焼酎を減らすのが余程、健康だと思った。 

イノシシ肉を新見市のJAあしんで買おうとしたが肉の赤身が黒めでブロック肉が多かったので買わずに帰る。
帰りの途中の総社市種井のJAの市場を見たら300グラム1200円だったので3パック買った。うちは夫婦2人なので1パックでいい。息子家族は多いし食べ盛りなので2パック
篠山は猪鍋の有名なところ一人前3900円だそうだ、家族みんなで喰った大金がいると話していたら家内が主婦は店でたべるのがいいという。作らなくてよいし片付けもしなくていい。
店の方がおいしいしと言った。

日本茅葺紀行 NO,334 里芋のある風景

2016年12月14日 | 日本茅葺紀行
茅葺民家を撮る時に農作物と茅葺、花と茅葺、庭と茅葺、屋敷林と茅葺など50項目くらいリストアップする。それを一つ一つクリアーしていくの楽しみだ。若い頃はそんなことも考えず脈略もないまま撮っていた。
歳を取ると行動力は著しく低下するが何かを撮影するにも先に構想を練り物語を作るようになった。
これが歳を取るということであろうか。
歳を取れば行動力も思考も低下して痴呆もでると思っていたが前向きな人は若者と変わらない。
若い人は精神的に打たれ弱い人もいる。年寄りはそんな試練を潜り抜けているのでちょっとの事では挫折しない。やりだしたら貫徹する強さを持っているように思う。
定年後の20年は何でもできる鬼に金棒のゴールデンタイムでもある。
老いて益々元気な老人を私の周囲にも見かける。

野菜と茅葺民家もいくつも撮影した。野菜のうちでも里芋は葉が大きく高さもあり撮影向きである。
あとは白菜キャベツ、イネや米麦、煙草くらいのものかジャガイモやサツマイモは写真に撮っても判別がしにくい。

里芋は縄文弥生の時代に日本に渡来した芋といわれている。ジャガイモやサツマイモは遅く15世紀17世紀になって日本に渡ってきている。
日本の言語も里芋と共に渡ってきた思われる。東南アジアや太平洋の島々の主食だったタロイロの仲間であろうか
本来は熱帯や亜熱帯の植物が日本で育てられている。韓国や北朝鮮ろね中国にもあるのだろうか
里芋も花が咲くのだそうだが日本ではほとんど咲かない。
山形の芋煮には里芋が欠かせない。地味な芋だが今もお袋の味、郷土の味として確固たる地位を保っている。


蒸気機関車 姫路駅C57貨物列車

2016年12月13日 | 蒸気機関車
姫路駅発車の播但線貨物列車
C57に貨物を牽引させて峠越えするのは酷である。
C57は客車用の蒸気機関車で動輪径が貨物用より20センチ大きい。荷重のかかもる発車や峠などは空転を起こす。
貨物用の蒸気機関車を入れるのもメンテナンスや運用のむつかしさもありC57で兼用しているのか。
姫路駅で撮影していたのは記憶にない。
山陽線沿いの駅は電車の架線があるので余り積極的には撮らなかった。
今となっては懐かしい。

姫路ではいつもホームで立食い蕎麦を食べた。安くて腹一杯が理由だ。

コラムにこんな事を書いてあった。
立喰い蕎麦やうどんを食う時に素うどんがなかなか頼めない。
見栄を張って天ぷらうどんやそばを注文する。
あるとき素うどんを頼む若者がいた。頼む時に臆するもことなく頼むのにこの人には負けたと思った。

家内と夜スーパーに買い物に行くと時間半額のものだけポンポンいれていく。
私なら半額ばかりでは恥ずかしい正規値段を二つほどいれる。
家内に半額ばかり買って恥ずかしくないのかと聞いたら男はつまらんことで見栄を張ると一蹴された。

立食い蕎麦に立ち寄る若い女性は少ない。最近はオッサン化した女性もいるのでどうであろうか 吉野家などの牛丼店も若い女性は少ない。男の世界である。

去年ヤクルトが優勝したトリプルスリーで活躍した山田がデーゲームの試合が終わり300円の立喰い蕎麦を食べているのをフライデーにスクープされた。
スターになっても驕ることなく自分で金を出して庶民の店で食べるのは素晴らしい。
店主も時々来てくれる言っていた。

山田くらいになればいくらでもおごってくれる人はいる。中には暴力団やいかがわしい会社の誘いもある。飲食、女の誘い暴力団いろいろな誘惑には乗らないのが無難だと思う。


何故ノーベル賞 今日のひとこと

2016年12月12日 | 日記
ボブ ディランのノーベル賞欠席に憤慨する。
私があげるわけでないので憤慨しても意味がないが
こんな事になるのならもっとふさわしい人がいたとおもう。
科学分野での受賞者にとってはノーベル賞ほど名誉なものはない。
欠席するような行為は過去の受賞者を冒涜している。

文学賞、平和少、経済学賞はノーベル賞が必要なのか疑問に思う。
世界にはいろんな政治体制がある。表彰を歓迎する者もいれば害、毒とみなしているものもいる。そんな賞は除外すべきだとおもう。

今回のボブディランが賞をとったのにも納得がいかない。

1.ボブディランの何がノーベル賞なのかが一つわからない。
大衆歌謡の歌詞に威厳も格調もあるのか、次はビートルズがもらうのか
それは音楽分野だけの表彰にとどめてほしい。
ノーベル文学賞には威厳や格調も必要ではないか

2.麻薬常習者をなぜノーベル賞に推挙したのか
野球の殿堂入りは麻薬やドーピング対象薬の使用者は推挙されない。

ボブディランを推した背景には何があるのか背後に後押しする団体や個人いるようにおもえう。

2016年茅葺写真展 四季折々 その6 雪

2016年12月12日 | 2016茅葺写真展
鳥取県智頭町

我々のところでは雪が降るのは珍しい。
雪は非日常である。
勢い込んで雪の撮影に何回も行った。雪の写真ばかり沢山残った。
肝心の雪のない写真がないのに気付く。
雪の茅葺民家は三枚見たら飽きる。

綾小路のネタに美人は三日見たら飽きるブスは三日見たら慣れるである。
雪は家の周りの汚い物も生活も隠してしまうので美しいには美しい。
しかし屋根も雪で覆われ形状も分からない。
茅葺民家の面白みは屋根の形状や暮らしが見えることである。

雪の無いシーズンに沢山撮影しておいて雪の写真を一回撮る程度でよい。
雪で家が隠れる程、降ると茅葺もトタン屋根も変わらない。

中国地方や兵庫京都の日本海側は雪が多い。
岡山でも県北は一メートル位降る。


鳥取県日南町



岡山県加茂町

茅葺民家 島根県松江市の民家

2016年12月11日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根半島の松江市の郊外

島根半島には昔ながらの懐かしい茅葺民家に出会える。
出雲地方特有の反り棟である。
棟の反っているのは誇らしげである。民家が自己主張している。
棟や煙出し破風は民家の顔である。
それを意識して職人の腕の試しどころであったように思う。
家主も自分の格式に応じて風格を持たせたる民家を注文したとおもう。
貧乏農家の寄棟民家はそれなりに自己主張が少ない。

島根半島の民家、生垣に押し迫る山の自然。
空き家になり放置されると自然に飲み込まれそうだ。


ヨーコさんの言葉

2016年12月09日 | 日記
NHKのETVでヨーコさんの言葉という5分間の番組がある。

絵本作家の佐野洋子さんのエッセーだそうです。
5分で収められたので長ったらしくない。
日常に出会った人との会話や出来事を話題にしている。
NHKも粋なもので放送のあった全編をネットでイラスト入れで聞かせてくれる。
ヨーコさんの言葉で検索ください。

ブログは日常自分の身近にあった出来事を話題にすべきだなあとおもう、
格言やことわざ、相田みつおや山頭火をそのまま転記する人がいる。
酷い人はネット情報をそのままコピペや週刊誌などの記事をそのまま引用する人がいる。
それは著作権侵害でありドロボーである。

訴えられたら投稿者のIDも投稿文すべてを削除されますよ。

ブログのネタは自分でアンテナを張り探さないと投稿している意味がない。
ヨーコさんの言葉が動機付けに大変参考になった。

日本茅葺紀行 NO,333 岩手県旧大野村の民家

2016年12月09日 | 日本茅葺紀行
大野村は岩手の北部、青森県に近い。
草棟の民家が今も残る。以前は随分茅葺民家があったようだが私が行くのは15年遅かったと感じる。
定年後ならばまだしも仕事をしていてはそう来られない。
時間的に不可能なものを悔んでも仕方ない。
定年になってもすぐに行動を起こさないと10年はすぐに過ぎる。何を追いかけるにしても金も時間もかかる。
年金暮らしで金を掛かることは厭で慎ましい生活をする人がいるが個人の自由である。
同じ一度の人生なら悔いのないやり残しのない人生を歩みたい。

数少なくなった茅葺民家をもとめて走る。人が暮らすところならどこまでも日本の辺境を走る。どうしてそこで暮らすのかここでの暮らしのいいところは厳しぃところはを感じながら走る。そこでの暮らしに希望的な言葉でがあればうれしい。悲観的な言葉ばかりではこちらも辛い。
都市部で暮らす私にはこんな田舎で暮らす覚悟はない。こんな厳しさには耐えられないとおもう。辺境で暮らす人達は忍耐強いし根性もある。
それを体得するのも旅である。


私の昭和鉄道遺産 その15 石炭列車

2016年12月08日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 筑豊線直方駅操車場

辛うじて石炭列車が残っていた時期である。
NHKの深夜のアーカイブで蒸気機関車の映像を流してくれる。
九州編では昭和47年でも若松港から石炭の積み出しの映像が流れる。
まだ九州でも炭鉱で採掘していた鉱山があったのだ。
映像はモノクロからカラーになっていた。

昭和45年になったらエネルギーは石油になっていた。
石炭は貯炭場が必要だし
貯炭場からボイラーへの移送、灰の処理も必要だった。
タンクからポンプで移送でき灰の処理の必要のない石油が便利だった。
家庭も薪や炭、練炭豆炭からプロパンガスに移行した。
北海道はストーブも石炭であった。今はほとんどの家が燈油である。

直方駅の広い操車場のヤード、標準レンズでは距離があり撮れない。
列車の行き交う線路を越えてヤードの中央部まで進んで撮影。
今ではレッドカードの違反行為
石炭列車をD51のナメクジタイプが牽引していた。

石炭列車やナメクジタイプが私にとって昭和の鉄道遺産だ。

横浜CD文庫

2016年12月07日 | 日記
どこの図書館にも置いてある横浜CD文庫のCD
以前は横浜カセット文庫と言われていたが今の時代、車にカセットテープがセットできない。
長距離の撮影に行くとき図書館で10枚か15枚借りていく。往路と復路でこれを聞きながら走ると運転する人が随分楽になる。

東北の山形や福島へは1000キロメートル位い距離がある。朝五時に出ても着くのは夕方の五時くらいになる。眠くなると仮眠の時間やトイレ休憩を十分とる。
これをすべて家内が運転する。女性は筋肉が柔らかいのか疲れや肩こりにならないようだ。
私は600キロも走ったら翌日は休まないと疲れがとれない。
この長い道中は横浜CD文庫を聞きながら走ると大変楽だ。

音楽を聞くより小説の朗読の方が物語の舞台に自分も没入して聞き入ってしまう。
浪曲や講談は家内が嫌う、漫才は余りよくない。落語は声が大きくなったり小さくなるので高速の騒音では聞きづらい。中島みゆきの歌は嫌いなのかかけたらラジオに替えられた。家内は中島みゆきが嫌いなのが初めてわかった。

私は若いころから本は読まなかった。今は目も悪いし座ったまま読むのはお尻が痛い。 
本を読まない人間は駄目と言われているが今更、偉くならなくてよい。
その点、朗読を聞くのは楽ちんでいい。

20回は撮影に持って行ったので200枚は聞いたと思う。しかし、記憶だけで借りてくるので以前聞いたのもある。内容は時代劇が圧倒的に多い。
山本周五郎、藤沢周平、池波正太郎、平岩弓枝、宇江佐真理など現代物では宮本輝、伊集院静、乃南あさなど

歳をとり涙もろくなり人情物がいい。市井の人が描かれたものがよい。
山本周五郎の「あだこ」藤沢周平の蝉しぐれ、泣かない女、雪明りなどがよかった。
芥川龍之介の「みかん」なども時代背景が分かり貧しいながら生きた少女の姿が浮かぶ。

定年になった時に決めた五ツの目標も達成してまだ生きながらえている。
図書館にあるCDをすべて聞きながら生きるヒントを得ようかと思う。