懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車 プレートを撮る

2012年03月31日 | 蒸気機関車
蒸気機関車のプレートナンバーを集めてみた。
ナンバープレートには機関車の歴史が刻まれている。
C6026のプレートから
鹿は鹿児島機関区所属、昭和16年 汽車製造会社で製作、製造されたのはC5940型として誕生
その後軸重軽減のため改造、国鉄浜松工場で改造されC6026型になった。
蒸気機関車で60番台は改造車 C61、C62型など 

プレートナンバーはそんなに撮影していない。自分が出会った蒸気機関車はどれほどいたか記録のためにも一台一台撮るべきだった。
フィルムの時代はプレートなど撮るのはフィルムがおしいという思いもあった。
それとD51型などいくらでもいたので一枚や二枚は撮っても何枚も撮っても意味がないと思った。
機関車にはプレーとは四枚付いている。正面は機関車の顔、横は機関車の歴史がわかる。
テンダーのプレートは機関車のお尻の顔、四枚撮影しておくと完璧だった。
フィルム時代に一台づつ刻銘に撮影した人は少なかったとおもう。

この前、夜行寝台列車(日本海、きたぐに)のさよなら運転の鉄道ファンの行動を見ていると、カメラ、ビデオ、録音機の三点セットで記録している。蒸気機関車廃止前も音鉄の人はいた。
いまのように機材がコンパクト軽量化、高性能ではなかった。
寝台車のオロネ(A寝台)やオハネ(B寝台)の車内のプレートを撮影していた。
デジカメだからこんな事ができるのだ。
琺瑯の看板を撮影している人がいるくらいだからプレートナンバーは撮るべきだった。






昭和の古い町並み写真展 その14 「路地」 岡山県早島町

2012年03月30日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その14 「路地」 岡山県早島町

早島町の小学生の通学路に土塀があった。早島の裏の通りに行くと土塀で囲まれた屋敷があった。
表の通りは板塀が多かった。
土塀で囲まれた屋敷もすくなくなった。

板の型枠に土を入れ打ち固めたのを築地塀(ついじべい)という。
上部に軒瓦を乗せているのが多い。
土を打ち固めたものだけに長雨に弱い、田舎の粗末な築地塀は下の方から崩れているのをよく眼にした。
崩落を防ぐために排水溝を付けるか下段を石垣にする。
もうひとつ崩落を防ぐのに練塀がある。練塀は古瓦を積み上げ隙間に土を打ち固めたものです。
セメントが手に入らない時代は古瓦の再利用を兼ね近場にある材料で塀を作ったのでしょう。

この土壁は釘などの硬い物でひっかくと傷となる。
子供の落書き場所になっている。京都の世界遺産の寺院の土塀に落書きがされて問題になった事がある。早島町の人の住んでいない屋敷の土塀に二重丸に縦線の日本人だけに分かるマークが描かれていた。男の子は面白がってこんな落書きをしたものだ。

斐川平野には築地松というのがある。斐伊川の氾濫で度々、水没するので家の周りを土の土手築地で囲っていた。そこに防風のため雑木を植えていた。明治以降、農家も松を植えて防風林とした。


茅葺き民家  広島県西城町の民家

2012年03月29日 | 茅葺き民家
広島県旧西城町の国道314号線沿いに茅葺き民家があった。

広島県の森林公園や島根県横田町に行くのにこの道を何度か通った。
この民家は国道沿いあったのでよく眼につく。
岡山県の新見から広島県の東城町を経由し西城町に入る、東城町に降った雨は高梁川に流れ倉敷に流れ下る。一方西城町に降った雨は江川に流れ江津から日本海に流れ出る。
広島県は降った雨が他府県に流れる損な地形である。
東城町と西城町の境が高梁川と江川の分水嶺になっている、東城町小奴可のはずれである。

茅葺き民家を裏側から俯瞰する。民家は俯瞰すると屋根の形状や茅の葺き方も見えるし集落の様子もわかる。
寄棟造り、漆喰造りの倉がある。倉には寿の鏝絵が描かれている。

秋など霧の出る時期は早朝にくればいい光景が撮れると思う。







蒸気機関車 C12型加古川

2012年03月28日 | 蒸気機関車
兵庫県加古川駅にC12型蒸気機関車がいた。
加古川線を走っていた。
加古川線も田舎のローカル線と思ったが今は電化しているのだ。

C12型はタンク車軽いので線路規格の低いローカル鉄道を走っていた。
高森線や日之影線、明智線を走っていたように思う。
小型の機関車だか好きな機関車だった。
加古川駅の北側に小さな機関区があり給水や給炭、灰だしをやっていた。
石炭には灰分が5パーセント程度含まれているので燃焼室底部から灰だしと前面を開けて配管などに付着した灰を掃除する必要がある。これをやらないと燃焼を阻害するし熱伝導が悪くなる。





昭和の古い町並み写真展 その13 「路地」 倉敷市下津井

2012年03月27日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その13 「路地」 倉敷市児島下津井

路地の写真を撮っていたら雨が降り出す。三脚を出し傘をさし撮影した。

下津井こにはナマコ壁、板壁、本瓦葺きの民家が沢山残っていた。

天然素材で痛みの出ている壁が味がある。

雨が降り路面や瓦゛濡れ情感がでる。

晴れた日は屋根や路地の撮影には向かない。瓦は照って古さがなくなるし明暗が大きすぎる。

撮りにくいが小雨か曇り空がいい。

漁師町だけに資材が雑然と置かれている。

昭和40年代は日本の街もゴミだらけだった。

工場排水もそのまま排水、川がゴミ捨て場になっていた、道路にもゴミだらけ。公害防止の法律もで

き環境基準も制定された。

環境意識やモラルも低かったためと思う。資源ゴミの選別回収も効果があったのか、外人が日本の街

は綺麗と書き込みがある。

道路や河川の掃除にも金を掛けているのであろうが処罰を含め環境意識が向上したのが大きい。

茅葺き民家 角屋造り

2012年03月26日 | 茅葺き民家
茅葺き民家の形に角屋造り(つのやづくり)というのがあります。
家の上から見るとLやTの形をしている。
母屋に直角に棟がでている造りで東北の曲がり屋ほど長くない。
二男、三男の部屋や隠居部屋として使われた。棟の高さが母屋より一段低くなっている。
東北の曲がり屋は牛や馬小屋や農作業小屋に使われる。

この角屋造りは江戸時代には庶民階級では造れなかった。明治以降は制限がなくなり改造で部屋を増築されたものもある。
分布は摂津や丹波地方で見られる。兵庫県や京都府で見る事ができる。
残ってもらいたい茅葺き民家である。

兵庫県 赤松家 兵庫県には建物百選という本がある。茅葺き、瓦葺き、石造り、レンガ造り、洋風建築から百選してある。こんなに建造物や民家が沢山残っているのは兵庫県をおいて他にないであろう。
その本には茅葺き民家は七軒しかなくその中にこの民家が入っている。兵庫で赤松家と言えば室町時代には播州摂津、備前、美作を治め江戸時代にも大名として名を残した一族てはないかと思われる。調べたわけでもないので推測ではあるが




兵庫県篠山市 



蒸気機関車  大雪の日

2012年03月25日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道 室蘭本線栗山駅

列車はC57型蒸気機関車の牽引する普通列車

大雪で駅構内の雪も片付いていない。
気動車の前面も雪におおわれている。
大雪や地吹雪の日はダイヤが大幅に乱れる。30分、一時間遅れはよくある。

客車はこれが唯一の交通手段の人もいて遅れても運行できる時は走らせる。
貨物は大雪の日は荷物も少なく運休することもある。
こんな日に何の障害物もないところで汽車を待つのはつらい。
いつ来るか分からない列車を待ち続ける辛さ。
作業小屋の風雪の当たらないところで待つのも二時間が限度
駅に帰れば待合室の温かい石炭ストーブが待っている。

寒い雪の中で列車を待つのはやめて駅に到着するするのにした。
石炭ストーブは温かい。冷え切った体から血の巡りが感じられる。
駅のストーブでどれほど心が温まったか
こんな待合室の光景も撮影しておけばよかったがフィルムが惜しくて撮影していない。
汽車を撮るだけでなく地元の人との会話をしておくべきだった。








昭和の古い町並み写真展 その12 「路地」 岡山県早島町

2012年03月24日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その12 「路地」 岡山県早島町

今回から路地シリーズ

路地は民家や倉庫の外壁や土塀や石垣に囲まれた車の入ってこない道をいうべきでしょうか
地元の人しか知らない通路であり近道です。時には子供の遊び場だったり犬猫の通路や散歩コース

その素材は天然素材がよい。焼き板や板壁、漆喰、土壁、ナマコ壁であってほしい。
保存地域のように完全に整備されたのより壊れ掛けたり痛んだりしている方が歴史や建物の使われた長さを感じるものだ。人間の眼はそんな見せかけの古さを見逃さない。

現在の建築法では外壁は不燃物、難燃材となっている。
板壁や焼き板では造れない。
写真に撮る場合はブロック塀やコンクリートでは味がない。
まだ探す気で探せばのこっていると思う。

早島町は戸川家の陣屋として古い町並みが随所に残る。昔からの裕福な家が多い。

宗谷本線  芦川駅(廃止)

2012年03月23日 | 鉄道



宗谷本線 芦川駅 2001年7月1日駅が人口減少で廃止された。

芦川駅はサロベツ原野にあり開拓農家が明治以降入植したが厳しい気象状況、作物も米は作れず離村する人が増え、1986年に駅は無人化され住む人も少なくなり乗降客もおらず駅が廃止された。
私が宗谷本線で稚内から旭川に移動する途中、芦川駅の駅員さんを撮影した。
何か映画のポッポ屋のワンシーンのようでもある。
各駅で駅の風景を撮影しておくと今となると面白かったと思うが冬は停車時間でレンズの曇りがとれず撮影は難しい。
それと貧乏撮影旅行のため車内泊が多く睡眠不足で移動中はひたすら寝ていた。

ここまで北辺にくると米は作れない。旭川周辺は広い水田が広がっている。
どの農家も十町歩から二十町歩の広さである。米の北限は遠別と言われている。
芦川駅より50kmほど南であろうか

芦川駅の次の抜海駅は宗谷本線の蒸気機関車の撮影場所だった。天気が良ければ利尻富士を入れて撮影できる。
抜海駅は最北の無人駅で夏場、自分探しの旅で若者がこの駅に降りる。
「何もないからよい」の言葉に若者は駅に降り時間をつぶす。
ニートの若者、仕事のない若者、みんなの思いを書いた旅ノートに自分を探そうとしている。
2010年8月26日に放送されたNHKにっぽん紀行を見ながら宗谷本線に乗った頃の私と同じと思った。
若い頃は自信が持てず詰らない事でくよくよしている。
北海道の冬の旅を通して厳寒の地で逞しく生きる人々を見て私も逞しく生きようと思ったものだ。

茅葺き民家集落百選  佐賀県北方町

2012年03月21日 | 茅葺き民家
茅葺き民家集落百選  佐賀県北方町

佐賀県北方町は佐賀市の西方、現在は武雄市に編入された。
佐賀県は沢山、茅葺き民家の残っている地域である。
国道、県道を一本一本走り茅葺き民家を探す、家内も同伴のため観光地も入れたり道の駅にも立ち寄らないと機嫌が悪くなる。
私は観光地や神社仏閣には全く興味がなく自分の撮影対象に出合えば満足である。
撮影の方針としてネットで検索できる写真やガイドブックに載っている物は撮影の対象がら外す事にしている。
デジカメ時代になり大勢の人が莫大な映像を残しているものは撮影しない事にしている。
私は身体的にハンディがあり旅行も困難になっているので興味のない物(撮れないものまで)撮影しない事にしている。健康で動ける人はなんでもどんどん撮影してください。

北方町は長崎海道の宿場町でもあって町自体に古い建物や石垣が残っていた。
明治から昭和まで炭鉱でも栄えた。
茅葺き民家も点々とあり寄り添うように固まって残っていた。
形は寄棟造りやクド造りである。クド造りは裏から見るとコ字型でご飯を炊くおクドに似ているからこの名が付いた。