蒸気機関車のプレートナンバーを集めてみた。
ナンバープレートには機関車の歴史が刻まれている。
C6026のプレートから
鹿は鹿児島機関区所属、昭和16年 汽車製造会社で製作、製造されたのはC5940型として誕生
その後軸重軽減のため改造、国鉄浜松工場で改造されC6026型になった。
蒸気機関車で60番台は改造車 C61、C62型など
プレートナンバーはそんなに撮影していない。自分が出会った蒸気機関車はどれほどいたか記録のためにも一台一台撮るべきだった。
フィルムの時代はプレートなど撮るのはフィルムがおしいという思いもあった。
それとD51型などいくらでもいたので一枚や二枚は撮っても何枚も撮っても意味がないと思った。
機関車にはプレーとは四枚付いている。正面は機関車の顔、横は機関車の歴史がわかる。
テンダーのプレートは機関車のお尻の顔、四枚撮影しておくと完璧だった。
フィルム時代に一台づつ刻銘に撮影した人は少なかったとおもう。
この前、夜行寝台列車(日本海、きたぐに)のさよなら運転の鉄道ファンの行動を見ていると、カメラ、ビデオ、録音機の三点セットで記録している。蒸気機関車廃止前も音鉄の人はいた。
いまのように機材がコンパクト軽量化、高性能ではなかった。
寝台車のオロネ(A寝台)やオハネ(B寝台)の車内のプレートを撮影していた。
デジカメだからこんな事ができるのだ。
琺瑯の看板を撮影している人がいるくらいだからプレートナンバーは撮るべきだった。
ナンバープレートには機関車の歴史が刻まれている。
C6026のプレートから
鹿は鹿児島機関区所属、昭和16年 汽車製造会社で製作、製造されたのはC5940型として誕生
その後軸重軽減のため改造、国鉄浜松工場で改造されC6026型になった。
蒸気機関車で60番台は改造車 C61、C62型など
プレートナンバーはそんなに撮影していない。自分が出会った蒸気機関車はどれほどいたか記録のためにも一台一台撮るべきだった。
フィルムの時代はプレートなど撮るのはフィルムがおしいという思いもあった。
それとD51型などいくらでもいたので一枚や二枚は撮っても何枚も撮っても意味がないと思った。
機関車にはプレーとは四枚付いている。正面は機関車の顔、横は機関車の歴史がわかる。
テンダーのプレートは機関車のお尻の顔、四枚撮影しておくと完璧だった。
フィルム時代に一台づつ刻銘に撮影した人は少なかったとおもう。
この前、夜行寝台列車(日本海、きたぐに)のさよなら運転の鉄道ファンの行動を見ていると、カメラ、ビデオ、録音機の三点セットで記録している。蒸気機関車廃止前も音鉄の人はいた。
いまのように機材がコンパクト軽量化、高性能ではなかった。
寝台車のオロネ(A寝台)やオハネ(B寝台)の車内のプレートを撮影していた。
デジカメだからこんな事ができるのだ。
琺瑯の看板を撮影している人がいるくらいだからプレートナンバーは撮るべきだった。