懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

藤井4段  C級川柳

2017年06月30日 | 日記
それにしてもすごい天才が現れたものだ。新人で29連勝とは。
まだ14歳、自分の14歳は性に芽生え頭のなかは女の事で一杯だった。
女性を口説く度胸も話術もなかった。情けない中学生だった。

今後どのように伸びるかたのしみだ。しかし、壁に当たることもあるしスランプに陥る事もある。それを乗り越える術が頂点を目指す人には必要だ。
鬱やノイローゼで廃人になるのだけは避けてほしい。

愛知県はイチローといい天才が生まれるところだ。決して親にその才能があるわけではないのに素晴らしい人が育つ。、

 C級川柳
1.弟子勝って師匠テレビにまた出てる。

2.チョコ食べて不二家が届く自宅まで

 テレビで対局中、不二家の製品を食べるのを見て早速送ってきた。商魂たくましい
 加藤一二三さんがわしも対局でチョコ食べているのに送ってこないと

3.不祥事を見事に消した14歳

4.一二三さん14に負けて出番増え

5.小6で師匠に勝った天才児

6.幾千の人を潰してプロになり

7.奨励会、ワシも行ってる症例会 
  難病の症例会に 

8.大竹さん14相手に喧嘩売る。
  大人げない

茅葺民家 モノクロ 佐賀県鹿島市の民家

2017年06月30日 | 茅葺き民家
鹿島市には久しく行っていない。
ほとんどがフィルムカメラで撮ったもので今のデジタルカメラでは全く撮っていない。
いつまで撮るか夫婦で旅行が出来なくなったら終わりだ。

ブログも写真が切れたら終わりだ。
鹿島市の民家も痛んできている。
茅葺民家はいつまで存続するのであろうか。
生きている間は記録していきたい。
茅葺民家など撮影してどうなるのだろうか
昭和の鉄道や民家を漠然と撮影していた。
40年経過すると撮影していてよかったと思う。社会は時代とともに刻々と変化しているのだ。
若い頃に何もせずに何も残していなかったら車椅子の生活となった今虚しい人生だったと思う。
昨日ゆるキャラの考案者、みうらじゅんがNHKの昼の番組に出ていたが子供の頃からテーマを見つけてはスクラップブックに貼っていく。膨大な数のスクラップブックを所有している。
人間何か熱中するものを見つけて長年続けることだ。゛





好きな露天風呂

2017年06月29日 | 日記
岡山県下湯原温泉の思い出。

湯原ダムの下の露天風呂砂湯は有名だ。タダで入れて安上がり
この温泉から5キロ下に下湯原温泉がある。今は有料の温泉施設になっているがお湯を掘り当てて10年ほどは無料で開放されていた。
囲いもなく風呂の横に車を止めて入っていた。
常連さんは洗面器など用具一式を籠に入れて車から降りてくる。
タオルだけしか持たず掛け湯するのに洗面器は借りた。

入るのは男だけだった。何回目に女性が入っていた。珍しいことに目を見張たら倶利伽羅悶々の入れ墨した怖いお兄さんのスケだった。
見たいが因縁をつけらそうで見ぬふりをしてチラチラとしっかり見た。
その女性は上から下まで隠しもしないのでしっかり見えた。
それにしても女房とついている物は同じなのに興奮するのかね。

面白い温泉は秋田県湯沢市の川原毛地獄の湯の滝、泥湯温泉の近く。
温泉や硫黄の噴き出す地獄から流れだしたお湯が滝になっている。
岩は硫黄で変色している。30メートルの滝から落ちるのは温泉
下の滝つぼが風呂になっている。入っているのは男だけ。
女性は周りで見物、男でもみんなが服を着いれば裸ははずかしい。
この風呂は雪のシーズンは入れない。

日本茅葺紀行 NO,375 塀のある家

2017年06月29日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 兵庫県神戸市

都市近郊であれば家の周りを塀で囲む。目隠しと防犯や風よけの目的もある。
板塀や土壁の塀に出会うと嬉しい。
茅葺民家の家は敷地も広く全周を囲むと結構な金が掛る。
庶民は塀に贅を尽くすのは建築資金的に余裕がない。

見てみると茅葺民家は贅沢な民家である。
自分では建てられないので他人の民家をカメラに収めてコレクションしている。

鉄道の写真も撮っているが列車や機関車は自分では持てないので写真でコレクションしている。
美人女性とは結婚できないので写真でコレクションしている者もいるかもしれない。
女子高校生なと撮影して一人で見ている人もいそうだ。
中学校の校長がフィリピンで1万人以上の女性の裸をコレクションしていたのには驚いた。

あの時はコレクションの数で負けたと思う。しかし、犯罪になるもの倫理に抵触するものは論外だ。



蒸気機関車 呉線のC62普通列車

2017年06月28日 | 蒸気機関車
撮影場所 呉線安登—川尻 広島県

呉線の電化前の写真
C62型蒸気機関車が普通列車を牽引して安登の峠を登っていく。
C62型蒸気機関車が普通列車を牽引して走るのは贅沢なものだ。
こんな光景は毎日走っていたので見られたのである。

毎日のありふれた光景に宝物があってもなかなか気づかないものだ。
みんな報道やネットに出てきて初めて気づく事が多い。

ネットオークションでも鉄道写真は売れる。風景写真や建物の写真は有名なカメラマンの撮ったものでないと売れないが鉄道の古い写真は人気がある。
鉄道ファンは多く愛好者かの多い昔の列車など消えてなくなり今更撮れない。建物などは愛好者がほとんどいない、歴史的価値のあるものは別だが。風景写真は風景は変わらないのでいいカメラで撮りに行く。

安登の峠で毎日列車を撮っていた人の写真ネガは高く売れるであろう。

2016年 茅葺写真展 干す その2

2017年06月27日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 岩手県久慈市

茅葺を求めて山間部の集落へ行く何軒か茅葺きがあった。岩手県の北部から青森県の太平洋側は草棟である。
秋の稲刈りの頃で稲を稲架に干していた何段も積重ねていた。
上に男性が上り下から竹に稲を掛けて奥さんが上げている。
竹の先は股になっていて結び目に挟み上に上げる。
農業の人や漁師の人は夫婦ての共同作業で一日一緒にいる。
親爺が家にいるだけでストレスを感じる人は務まらない。
ヤキモチ焼きは木地屋になれという言葉がある。一日一緒にいるので亭主が他の女と会話する暇もなく監視できるということであろう。

稲を挿しているのは竹か木か分かりにくい。岩手北部には竹は野山にないだろう。
丸い棒かもしれない。

我々のところは稲架は一段積みだが何段も積むのはあまり見かけない。
真竹の太いのがいくらでもあるので作業のやりやすい一段積なんだろう。

東北には棒杭を打ち込んでいろんな掛け方をする稲干しがある。

一年を通して数多く各地を歩かないとこんな風景には出会わない。

茅葺民家 兵庫県旧千種町の民家

2017年06月26日 | 茅葺き民家
千種町は兵庫の北東部、鳥取県にも隣接していた。

今思えば田舎の風景が残っていた。
モノクロで撮ると昔の味わいのある風景だと思う。
一回撮影したら達成感があり次に来たのが5年後だった。
その五年で随分いい風景がなくなった。

風景が5年を待ってくれなかった。
昭和50年代からやっておけばいい風景も残っていたが気づきやり始めるのが遅い。

私はもう撮影は諦めた自分で運転し歩きまわれなければ終わりだとおもう。


日本茅葺紀行 NO,374 ゼンマイを干す

2017年06月25日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 秋田県羽後町

茅葺民家の撮影にお邪魔すると庭先にムシロにゼンマイを干す光景を目にする。
私も健康であれば定年後は山菜やキノコや魚釣りや素潜りで貝を獲る生活をしていたと思う。
山間地に住んでいる人はこんなのを獲り暮すのが毎年の楽しみであろう。
何月何日頃に何処へ行けば何が採れると記憶や記録に残っているのであろう。
人間は何かを獲っている時は熱中できるし沢山とればまた嬉しい。

何を獲るにしても生育するための環境をしらないといけない。
わらびやゼンマイ、タラの芽の見分けと方どんな場所に生えるかをよく歩き経験を積む事だ。
サザエやアワビを獲るにしても何を食べていてどんな場所が住みやすいか貝の気持ちになって考えてみる。

庭のチューリップが美しい




私の昭和鉄道遺産 その34 行橋機関区

2017年06月24日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 福岡県行橋市

北九州ならば急行列車で三時間半くらいでいけた。
しかし九州でも宮崎などになると単線のため随分時間がかかる。朝でて夕刻の到着だ。
北九州はもっと簡単に行動を起こせたのではないかと思う。二日休めれば強行軍で十分いけた。

しかし、過ぎ去った45年も前の事で逆戻りできない。
この歳になるとあの時にこうすればよかったと悔やむ事が多い。
ワシの半生は反省ばかりである。
人生の指南には過ぎ去った過去など忘れる事だと書いてある。
忘れる事など出来ないのでいつまでも過去の失敗をくよくよ生きてもいいと思う。
また失敗するのではないかここは慎重に行こうと歯止めにもなる。
高齢者には失敗は許されない。後がない敗者復活戦がないのだ。

レンガ積の機関区は明治時代のものだろう。
あの頃は明治時代の物は残っていたと思う。
蒸気機関車が廃止されれば解体撤去される運命になる。
フィルムの中にでも保存しなければと思い撮影した。
長く生き続けていれば昭和の物も懐かしい物になってきた。





オリンピックで印象に残る試合

2017年06月23日 | 日記
オリンピックの思い出に残る試合は数多くあるがひとつあげるとすると1972年のミュンヘン大会の男子バレーが金メダルを獲得したことであろうか
予選リーグを一位で通過し決勝トーナメントの準決勝でブルガリアと当たる。
勝てると思ったが思わぬ苦戦で2セット先取されてもう後がなかった。
忘れもしないズラタナフの強打に苦しまされる。後の無い日本は起死回生を狙い南、中村のベテランを投入して1セットとった。それからも苦しい戦いだったが2セットとり逆転勝利。
深夜日付が変わる時間帯まで日本国中が歓喜に湧いた。
決勝はラッキーなことに実力NO,1のロシアを東ドイツが破る。
決勝は日本と東ドイツで3-1で日本の初優勝

その当時は松平監督で大きな外国選手のブロックを防ぐために一人時間差や時間差攻撃を秘密兵器で使って勝ち抜いた。その戦法は直ぐに外国チームも使い始めた。
日本がチャンピオンになると欧米ではルールを変更する。スキージャンプ、スキー複合や柔道
バレーではブロックの時にオーバーネットして良くなった。ネットがあることで身長の低い日本人もそれなりに頑張れたがあのルール改定で日本のバレーは長く低迷している。