懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

京都府京丹波町の茅葺音楽堂

2016年11月30日 | 茅葺き民家
車を買い替えて初めて遠出する。半年ぶりであろうか、しかし、白内障でよく見えない効き目だけにファインダーから覗いてもピントがあっているのか輪郭だけしか分からない。
手術は三カ月待ちだ。こんな状態では撮影など無理だ。
左目で何とか見えている状態だ。

私のような病気は各部が悪くなる。いつも行ってる大きな病院の看護師に産婦人科以外すべてお世話になったと言ったら看護師は少し考えてここ20年小児科にはいってないでしょうと返された。

紅葉も兼ねて京都へ茅葺民家撮影に行こうと思った。
旧日吉町の胡麻に茅葺民家と茅葺の音楽堂がある。まだ残っているようだったの行ってみた。
ピアニストのエルストン ザイラー夫妻が住んでいる。
ご主人は82歳奥さんは教え子だった。子供は二人女の子はバイオリン奏者、男の子は宮大工になったと地元の人が教えてくれた。
この民家の事は新聞テレビで度々出てくるので20年以上前に訪れたがモノクロ写真しか残っていない。20年前はここの周辺にも茅葺が三軒あったと思ったが今はない。
その時はここを撮り一般道で岡山まで帰ったなあと思い出す。篠山まで行き国道372号線で播但自動車道から姫路バイパス、国道2号線と走るコースだった。

撮影していたら地元の女性がきたので撮らせてもらう。
畑で野菜を作っている。道の駅へでもだすのかと聞いたら業者と契約しているという。トラックで集めにくるという。どれくらいの値段で買い取ってくれるのか聞きにくい事をスバリ聞く。大根なら100円、これは豊作時も今年のように野菜が高くても100円だそうだ。私は大根など買い取り30円か高くても50円位のものだと思ったら高く買ってくれるのだ。
毎月小遣い程度の収入があるのだと聞いたら首を横に振った。かなり儲けているなと思い20万円以上売り上げるのだと言ったらそれは言えんとかわされた。
先日NHKの昼の番組で今治市に巨大な市場があるそうだ、そこから放送をしていた。農家のオバアチャンが端末機から個数や値段を入力し売上状況を確認し売れ行きを見て補充していく。オバアチャンの午前中の売り上げが二万七千円 一日にいくら売り上げるのか 一か月に100万円以上売り上げるのかと思ってみていた。田舎は過疎、高齢化、限界集落の話題だけではないのだ。知恵を出せば進路はある。




黍(きび)

2016年11月29日 | 日記
私の住んでいる近くに三軒借家がある。
その真ん中に80代の女性が一人で住んでいる。
結婚していたのか家族はいるのか一切わからない。  
その人がどんな人生を送ったのかも分からない。
近所の人も個人の家庭事情まで詮索しない。
家内は庭の掃除や新聞取に行ったときによく話をしているがそんな深い話はしない。

私は自分で外に出る事がないので三度ほどしか会話をしていない。
その家の小さな花壇に玉蜀黍(とうもろこし)の様な物を植えていた。
しかし、一向にトウモロコシがならない。
家内と不思議だなあと話題にしながらその成り行きを見守った。
背の丈はトウモロコシの大きさになった。トウモロコシならとっくに葉が枯れているのに10月末になっても葉は青々している。
そのうち先端から穂が出てきた。

こりゃあ黍じゃないか、黍を何にするのだろう黍餅にするのか黍箒にするのか家内との話題になった。
家内と車で出かけるときに丁度女性がいたので長年の疑問を聞いてみた。
これは何を植えているのか何に使うのかと聞いた。
植えているのは黍で鳩の餌にするそうだ。鳩を飼っているのかと聞いたら飼っているわけでも
ないが春に生まれたばかりのヒナが二羽巣から落ちていたので拾って帰った。
幼鳥の時は練り餌を与え次第に小鳥の餌を与えて成鳥にした。
自然界に二羽とも放して飛び去ったが。翌日一羽が電線に止まり家の玄関に歩いてきたそうだ。
玄関を開けたら家に入ってくた。毎日放すが必ず帰ってくる。
鳩は伝書バトのように帰巣の本能があり幼鳥からかわいがったので懐いたのであろう。

鳩との生活がこの女性の生き甲斐になっているのだろう。

黍は五穀豊穣の五穀のひとつでもある。米麦黍粟稗が五穀であろうか 七穀、十穀という言葉もある。トウモロコシ、豆、蕎麦なども穀物のひとつ
世界の三大穀物は麦、米、トウモロコシだそうだ。南米やアフリカはトウモロコシが主食の国も多いのだ。
黍の仲間に高黍がある。満州ではコーリャンと呼ばれていた。


私の昭和鉄道遺産 その14

2016年11月29日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 岡山県 伯備線新見機関区

新見機関区は伯備、姫新、芸備の三線の機関車がはいるのでにぎやかであった。
こんな風景は昭和47年3月で終わった。

同じ岡山県にいながら通ったのは三回程度、一日機関庫や駅構内にいて撮影する日がほしかった。新見駅のホームで停車する列車の写真など一枚もない。今となっては乗客の服装やどんな人が利用していたかがわかったと思う。
機関庫の後ろに町並みが見える町並みも随分変った。新見には古い街並みや民家、水路が今も残っている。世間遺産として観光客の誘致に努めている。
昭和40年代という時代は今からすれば随分懐かしい風景だった。インフラの整備はされておらず道は狭いまま建物は古いままだった。

機関車が並んだ風景だけの風景だが私にとっては唯々懐かしい。

写真を撮る人は一か所にとどまらず各地を歩き回る。一か所にとどまるのは鳥
や雲海、日の出を撮る人ぐらいのものか 一日同じ場所で定点撮影する日もほしいものだ。


2016年茅葺写真展 四季折々 その3 ススキ

2016年11月28日 | 2016茅葺写真展
ススキは薄、芒と書く、キツネの尻尾に似ているので尾花ともいう。
秋の七草のひとつでもある。そこでは尾花と呼ばれる。
ススキは別名、茅と呼ばれ茅葺民家の屋根材のひとつでもある、

茅材には他に荻(おぎ)葦、刈安、ちがや、くぐが使われる。

ススキは野原の太陽のよく当たる所に生える。どこにでも生え強靭なため農業をする人らは嫌われ物だ。
私の勤めていた会社に宇薄という人がいた。「うすずき」と呼んでいた。宇は屋根を意味するので屋根のススキか屋根の茅材の意味だったのかと思う。
倉敷出身の詩人に薄田泣菫(すすきだ きゅうきん)という著名人がいる。
茅の付く苗字の人もいる。東大の学長に茅さんという人がいた。茅部,萱場の苗字も
ある。東京証券取引所のあるとろは茅場町

ススキは日本の秋の風景である。茅葺民家と一緒に撮りたいものだ。
ススキも9月では穂が出揃っていないし白くなっていない。10月中旬から11月中旬がよい。晩秋になると穂から種が飛んで白くない。


うさぎ

2016年11月27日 | 日記
訪問介護の担当者が何か話題を持ってきてくれる。
来るときに農業用水に鵜と鷺が少し離れて並んでいた望遠のついたカメラで撮ると良かったのにと話した。
鵜と鷺が並ぶ事があるのか、鵜にとっては米作りも終わり用水も少なくなって魚が獲れるのかと思った。
水が少なくなり逃げ遅れた魚の溜りがあるのかもしれない。
私は会話の途中、相手が男で女でもツマラナイ親父ギャグを飛ばす。
今日は鵜と鷺が並んだら「うさぎ」やなあと言った。
なぞかけにつかえそうだ鷺と鵜が並んだらどんな動物になるでしょうかウサギ
オレ―オレ 何でもフラメンコ 鵜と鷺が草を食べていたナンデカ、ウサギだから

そんな訳で鷺と鵜の写真がネットをさがしたらありました。無断で借用しました。
鵜も鷺も増えすぎてアユなど高級な魚を食べるので漁業関係者は困っている。
鳥の糞で木々が枯れるので琵琶湖などでは卵に洗剤の液を掛けたりサラダオイルを散布して卵が孵化しないようにしている。鳥は卵を壊すとまた産卵するので卵を孵化しないようにしている。
鳥の高さは鷺が足が長い分高い。鵜は潜水するので水掻きがついている。
鵜飼には海鵜が使われる。体系が一回り川鵜より大きい。一メートル位ある。
海鵜を獲る風景は写真や映像で流される。海辺の崖に小屋を作りスダレの中に人は隠れオトリノの鵜に天然の鵜が寄ったらスダレの下から手を伸ばし足を掴み捕獲する。
オトリの鵜は見えないように目をつぶされているそうだ。むごい事をするものだ。



茅葺民家  新潟県旧松之山町中立山

2016年11月27日 | 茅葺き民家
上越市で泊まり安塚町から大島村、松之山町を撮影する。
安塚では100キロウルトラマラソンのコースになっていたので選手の走行の邪魔にならないよう何度も足止めを喰らう。悪い日にきたものだ。
初めて新潟を訪れた頃は懐かしい風景が残っていたように思い。
10年経過し再び同じコースを走ったが懐かしい風景が減っていた。
棚田の耕作状況や暮らしを見ても活気がなくなっていた。

雪も多く斜面の棚田、暮らしや耕作には厳しい土地だ。
こんな場所は全国でいたるところで見かける。
全国各地の過疎地の収入や産業。助けあいや互助制度、四季折々楽しみや土地ならではの行事、その土地の魅力と問題点をみてみたいものだ。

松之山町中立山 スキー場が近くにある豪雪地帯
このあたりの集落には茅葺民家が残る。松之山の中心地や松之山温泉にいくには天水越えを越えなくてはならない。冬季は通行止め



日本茅葺紀行 NO,330 京都市左京区広河原

2016年11月25日 | 日本茅葺紀行
広河原には久しくいっていない。デジカメでの撮影は全くない。
フィルムカメラのモノクロとカラー撮影の物しか残っていない。
今のデジカメはフィルムに比べてシャープだし粒子も細かい。

生きている間に一度は訪れたいがなかなか実行できない。
三日滞在すればこの近辺の過去に撮影した民家や地域も訪れることができる。
美山全域 京北全域 広河原 花背 久多
元気な人で過ごしやすいシーズンならば車中泊で写真に没入できるのであろう。
各地へ旅行していると高齢者の車中泊をよく見掛ける。
中には夫婦で仲良く旅行している人がいる。よく喧嘩もせずやるものだ。

私の場合はこの先、何年生きられるのかと思うと情熱が湧かない。
あっさりと茅葺民家撮りは止めてもいいと思う。
こんなのは情熱が乗り移らないといい写真が撮れない。

高齢になっているのに情熱的に行動する人がうらやましい。


蒸気機関車 急行ニセコ小樽

2016年11月24日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道 函館本線 小樽市郊外

小樽市の築港機関区に立ち寄る。機関車は機関庫に収納され凍結を防いでいる。
この日はスワローエンゼルのC622号機は機関庫の中にいた。
今日の急行ニセコの運行にはC622号機は牽引しないのが分かった。

その後、小樽郊外を歩き函館本線が登りに入る場所をさがすが急行ニセコの通過時間が近づいたのでカメラをセットして待った。
しかし、郊外と言っても建物が立ち並ぶ体育館のような施設もありバックが絵にならない。
C62重連が牽引するはモクモクと煙を吐き快調に通り過ぎた。

小樽は日本海沿いのため札幌より雪が多い。

2016年茅葺写真展 四季折々 その2 鯉幟

2016年11月23日 | 2016茅葺写真展
田舎は旧暦で行事を行うので5月一杯は鯉幟が見られる。
最近は茅葺民家に子供が同居しないので茅葺民家で鯉幟を見るのはまれである。

最近の鯉幟はイベントや地域行事で揚げることが多い。
川渡しや富士山をバックに鯉幟をよく見かける。
今の住宅事情では大きな鯉幟は泳がせるのが難しい。
ロープを張るタイプは絡んで外すのに腹が立つ。
風向きは時々刻々変り絡みつく。

島根や鳥取は鯉幟の横に武者幟りを立てる。
家の周りに何本も立てる家がある。
あんな風景は見栄を飾っているように見える。

凧揚げにしても鯉幟も風を利用した遊びや行事が残る。


茅葺民家  島根県木次町

2016年11月22日 | 茅葺き民家
木次町は島根県の中央部で木次線の沿線。
旧国名は出雲、石見の国には少し距離がある。
例によって脇道、細道、怖い道を一本一本走る。
全国各地、茅葺求めて3000里である。
これは馬鹿な行為であるが、これが無かったら自分の人生は軽薄な物に終わっていた思う。
旅をするのは観光地に立ち寄り、温泉に入り旨い物を食べるだけではない。
全国各地で人々はどんな場所に住みどんな暮らしと収入を得ているかを見ることである。
都会の暮らしの様に金さえあれば何でも買える場所ではない。

人々は厳しく不便な場所でどう暮らしてきたか茅葺き民家探しを通じて少しは見えたように思う。
旅行者が見聞するのは単なる表面的な物かもしれないが訪れることに意味があったと思う。

茅葺民家の壁に藁の編み物があったのでここに住む奥さんに聞いたら背中当てという。
薪などを背負子で担ぐときの背当てだといった。
農家の壁や納屋には宝物が掛かっている。目ざとくそんな物を見つけてはカメラに収める。
住人にとってカメラマンは迷惑な集団に映るのだろう。