懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

昭和の遺物たち  懐かしい物 古い公民館

2016年07月31日 | 昭和の遺物たち写真展
撮影場所 岡山県旧芳井町

古ぼけた公民館と地神の立っている風景を撮影する。
公民館壁のコマイの竹が見えるのに補修されていない。
過疎化、人口減少で補修費の募金もままならないのかと思わせる風景だ。

山間部の公民館に敬天愛人館の看板のかかっていた。
パートナーがここは老人がイチャイチャするところかといった。
愛人館の所だけが目にはいったのであろう。
これは敬天愛人の言葉から引用している。天を敬い人を愛すの意味でよその人には言わないでと言った。

公民館の横に立っている地神の碑、岡山ではよく目にする。
信仰心の篤い田舎や山間部に見られる。地域の守り神として今も守られている。


昭和の遺物は今回で終了します。昭和の時代にこんなテーマに気付いていればもっといろいろな角度の写真が撮れたと思う。人生を生きている時は世の動きに注意を払わないといきませんね。必要な情報を整理し自分の趣味なりライフワークにすることでしょうか
何もしなければあっという間に何もない年寄りになる。

九月に入ればまた写真展をやります。終了次第ブログに掲載します。 


蒸気機関車 D51833 伯備線清音駅

2016年07月30日 | 蒸気機関車
伯備線に客車を牽引したD51833が停車していた。
D51が牽引した客車などごく普通に見かけた風景だ。
D51など数台とればみな同じ撮る意欲がなくなるいう人がいた。
ごく普通に見られた風景がなくなって久しい。
あの時、昭和の風景を撮っておけばとあとで悔むのである。

これはきっと消えて無くなると思い撮った人は偉いとおもう。
人から何といわれようがフィルムと時間を惜しまず黙々と撮った人は偉いと思う。
蒸気機関車はブームになり大勢の人が撮影したが注目を浴びなかった分野は撮っている人も少ない。
若い人や撮れなかった人の中には昔の写真を集めている人もいるようだ。
図書館でも町史や村史の写真を見る事がある。昔の生活が見られ懐かしいし心が穏やかになる。

D51833は山陰線の浜田機関区の所属で伯備線まで乗り入れていたのだ。
後藤工場で切り取り除煙板に改造している。昭和47年11月に廃車

懐かしい物 ブルートレインと電気機関車

2016年07月29日 | 懐かしい物
撮影場所 大阪駅

昭和50年頃に大阪で鉄道友の会のきっぷ大会に行ったときに早朝撮影にいったように思う。
大阪駅に早朝到着するブルトレ、駅には撮影する者などいなかった。
大阪、京都行のブルトレは岡山では夏場しか撮れないが大阪では冬でも太陽が昇っている。
EF58とEF65がブルトレを牽引していた。
電車は毎日走っていた私が撮影したのは1万日の1日か2日である。

このころは記念切符は人気があった。硬券は人気はさほども無かった。
このころにためた切符が価値もないままのこっている。切手も沢山持っているが50年前に買ったのが額面の7割くらいしかしない。切手や記念切符は買えば買うほど損をするコレクションだ。




茅葺民家 京都府旧美山町

2016年07月28日 | 茅葺き民家
美山町に明かり窓のついた民家があった。
養蚕でもやるために明かりをつけたのか
美山町ではあまり見かけない。こんな家は二軒くらいだろうか

大雨や台風のようなときは吹き込むおそれがある。構造的にも弱い。
屋根は葺きおろしの方が雨漏りも少ないと思う。


毎日同じような記事を書きマンネリ気味だ。茅葺に関心のない人には面白くない記事だ。
新鮮なネタも必要だ。


日本茅葺紀行 NO,304 兵庫県小野市の民家

2016年07月27日 | 日本茅葺紀行
小野市は昔で言えば播州である。姫路と神戸の間にある。
岡山からどんどんと茅葺を探しに東に侵攻していく。岡山から兵庫に入っても茅葺はなし。
姫路を過ぎても茅葺の気配すらない。
兵庫県には茅葺はないのかと思った。
小野市に入ったら茅葺が点々とさらに三木市や吉川から神戸市は茅葺の宝庫である。
丹南、篠山を入れると500軒はあった。私にとっては宝の山に思えた。

それから毎年四季折々2回は訪れている。もう30回以上はは通ったと思う。
小野市の民家は塀や生垣で囲っている。小屋や下屋は日本瓦で時間が経ち渋い味をだしている。





奈良の旅

2016年07月26日 | 日記
所要で奈良に行ったので奈良公園を散策する。
奈良公園はなんと言っても古い寺院と神社、鹿であろうか

京都や奈良に行ったのは50歳をすぎてからである。観光地の写真は撮っていなかったので興味もなかった。
50歳を過ぎても京都や奈良には行った事はありませんわでは恥ずかしいので行ってみた。
奈良公園の前の国道は茅葺民家を撮りに山に入る時は必ず通る。

奈良公園はそれから何度も行ったが外人観光客が増えてどうなっているのかと興味もあった。
昨年熊本城は7割が外人でにぎわっていたのに熊本地震で復興に10年はかかる。
地震と火山の噴火は日本の宿命、どこで何があるかわからない。

奈良公園の鹿はいくら見ても飽きない。外人も鹿には興味津々だった。
交通量の多いところで事故死があっても減りもせず維持できている。
猪は何頭も産むので繁殖力がすごいが鹿は一頭出産なので爆発的には増えない。
若草山などの牧草地もあり繁殖地には適している。

鹿は宮島や牡鹿半島にも人に懐いたのがいる。
宮島は山はあるが草原がなく生育は厳しいようだ。
水路の歩道で市場やスーパーで廃棄になった野菜を鹿に与えて保護している人がいる。

野生動物の飼育は外人に人気がある。猿や鹿、白鳥や鶴、ウサギの名所までできた。









昭和の遺物たち  懐かしい物 ボンネットバス

2016年07月26日 | 昭和の遺物たち写真展
子供の頃はボンネットバスが多かった。昭和30年代になり観光バスはボンネットのない先切れタイプのバスになつた。ボンネットのないのが目新しくて新しい時代を感じた。

ボンネットバスは狭い山道には有利で昭和40年代はどこのバス会社にも残っていたようだ。
世の中にはバスマニアもいて観光バスや路線バスを撮っている人がいる。
バスの通過台数の多い停留場を調べるマニアもいる。一時間に100本も通る停留場があるのだ。
三路線が合流する区間に見られるようだ.
なんでも一つの事を長年追い続けるといい作品が生まれる。

駅前に停車のボンネットバスとdiscover Japanの看板を一緒に撮った。
高度成長期で食い物は豊かになりみんなが豊かになれる希望があった。
あの時点で現在を予測するのは難しかった。

野村元監督がTBS系のテレビであまりほめない人がイチローをしきりとほめていた。
実績が残れば何でも言える。結果が見えれば人間なんでも言える。
大リーグで通用しないと野村さんあんたは言ったと書き込みをされていた。

評論家でも時代の先読みはむつかしい。庶民はなにをすべきか趣味ならは一つの事を根気強くやる。カメラが趣味ならは消えるもの変化するものを撮り続けることか。


撮影場所 岡山県高梁市 池上醤油店 備北バス


撮影場所 徳島市徳島駅前 徳島市バス


岡山の茅葺民家 津山市阿波の民家

2016年07月25日 | 茅葺き民家
朝四時に起きて茅葺と雲海を撮りに行く。雲海が出やすいのは大きな川があるところで谷間に発生しやすい。
この日は冷え込みが弱くいい霧は出なかった。
能勢町の棚田と茅葺の撮影に朝の5時頃からカメラを構えているそうだ。
私のところだと夜中に走り日の明ける前について車の中で仮眠する。
雲海の撮影で車で寝泊まりする人を見掛ける。それも高齢者の年齢の人である。
朝早く撮影に行くと一日眠くてそれから行かない。

鳥を撮るためにカメラマンのたまり場がある。アジサイ、桜、バラの見学を兼ねて年に3回ほど話を聞きに行く。
いろんな写真を撮っていてW4判のアルルバムを車に乗せている。それを見せてくれる。
写真談義が面白い。私など行動範囲が限られているので聞くだけで楽しい。

天空の城の備中松山城が雲海に浮かぶ姿を一度みたいものだ。
わたしのような体の者が車の中から見えるところはあるかと聞いたらあると教えてくれた。
早朝に出るのかと聞いたら高速利用で一時間で行ける。
朝は八時にでて丁度よいという。日が昇り温められ始めて霧が上昇するので天空の城になるという。今年の秋の天気のいい日にいきたいものだ。


茅葺民家 福岡県旧浮羽町

2016年07月24日 | 茅葺き民家
浮羽町は茅葺民家の雑誌やネットで出ているのでその情報をもとに訪れた。
写真の民家は保存家屋の国の重要文化財に指定されている。
しかし、住人の方が暮らしている。洗濯物を干している。
行ったのは一回きりで今後も行く予定はない。
行こうと思ってもなかなか実行できないものだ。
私は一人で行けるわけでもなくどこにでも泊まれるわけでもない。身体障害者の泊まれるバリアフリーのホテルでないと困る。入口に階段や段差のないホテルでエレベーターが設置されていて6人乗り以上の広さがほしい。
大きな市に行かないと私の泊まれるところはない。
浮羽へ行った時は久留米で泊まるように思う。
世話をする人間には私は手間のかかる厄介者である。
粗大ごみで生きるのも辛いものだ。
粗大ゴミで人生の幕を閉じたくはない。生への怨念を写真に込めて生きるのだ。
生きていりゃこそ黒田の200勝、イチローの3000本安打にも出会える。


日本茅葺紀行 NO,303 兵庫県旧丹南町

2016年07月23日 | 日本茅葺紀行
国道372号線沿いの茅葺民家、今田町から亀岡市を走っているがその沿線に茅葺民家が点在していた。
ここを走れば何の苦労もなく茅葺を発見できた。・
今も茅葺民家が残っているのはありがたい。
角屋つくりの民家も四軒あった。
わずか10年から15年で姿を消している。。
写真には二軒民家がみえるが奥の家は撤去され手前の家も痛みがひどい。

茅葺を撮るのが目的だが時代の変遷も記録している。
これからどのように集落の形成は変化していくのであろうか
茅葺民家にトタンを掛けたり建て替えるより取り壊す家が多い地域もある。